シェーンベルクの辞書
9月が今日で終わる。8月12日以来集中してアップしてきたシェーンベルクネタを一旦集大成したいと考えている。前期の期末レポートの提出というようなノリである。
本日のこの記事をいれて12本に達したシェーンベルクネタは楽しかった。ブラームスのピアノ四重奏曲第1番をシェーンベルクが管弦楽曲に編曲していたという一点の事実から、これほど話題が展開するとは思わなかった。もちろんシェーンベルク本人の作品全体を俯瞰する立場からは、この編曲は枝葉末節に類する作品だろうが、それを差し引いても評価に値する業績だと思う。無調音楽の旗手と位置づけられるシェーンベルクだが、それは一方で調性音楽の最高峰のブラームス作品への深い理解と知識に立脚していることが改めて認識出来た。何もないところから降って湧いた「無調音楽」ではないのだろう。
記事の執筆やブラダスへの取り込みを通じて感じたことを以下に列挙し、シェーンベルクの業績に対してささやかに敬意を表したい。
- 「fff→ff→f→mf→mp→p→pp→ppp→pppp」という伝統のダイナミクスメータを尊重する姿勢に貫かれている。「fff」「pppp」の外的拡張に加え、「mp」「mf」のようなブラームスからはどちらかというと忌避されているダイナミクスも必要に応じて、こだわりなく使用している。
- 「poco f」「molto p」等の、少しだけダイナミクスメータから逸脱したブラームス独特の言い回しを避けている。上記1の姿勢からみれば必然的な帰結である。心象としては「知っていて避けた」と感じている。
- 声部間の優劣を表す「espressivo」の使用が激減している。いわゆるブラームス節と解されるような微妙な用語用法を避ける流れの一環をなしている。声部間の優劣は、付与するダイナミクス記号の書き分けで表すことに徹している。
- 「poco」「piu」のような「微調整語」の使用を避けている。演奏者の考えを試すような言い回しは意図的に避けている。この点でブラームスに拮抗することを諦めているようにも見える。
- 明らかにテンポ操作を指す用語はトップ系に集約する一方で、結果としてテンポ操作を伴う用語はスッパリと使用を諦めている。テンポ表示に対する毅然とした姿勢が好ましい。
- 金管楽器、打楽器のダイナミクスを周囲に比べて低く設定するというブラームスの傾向、いわゆる「金管打抑制」は見事なまでに保存されている。
- 抜けてしまうピアノの声部の多くは木管楽器に当てられている。特にブラームスでは使用されない「Esクラ」が、この意味でのキーポイントになっていると思われる。
- 第2楽章コーダのサラサラの響きと、第3楽章冒頭の濃厚な響きの対比に十分な注意が払われている。この点に代表される微妙なニュアンスの表現を楽器の重ね方や、ダイナミクスの繊細な選択によって実現しているように思われる。
ブラームスの一般的な傾向に比べて「打楽器の種類が多過ぎる」「中間楽章における響きが厚過ぎる」「Esクラが出過ぎる」「金管楽器が鳴り過ぎる」というような視点は確かに存在するが、それをもってシェーンベルグを批判するのは明らかにお門違いだろう。
この編曲の分析だけをもって「シェーンベルグの辞書」とは、我ながらいささか大袈裟なタイトルだ。どこかのシェーンベルグ愛好家が本物の「シェーンベルグの辞書」を書いてくれることを期待している。今後も気付いたことがあればまたブログ上で言及したい。
何だか夏休みの宿題がやっと終わった気分である。
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