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2006年10月31日 (火)

四季のうつろい

10月27日の記事「秋のソナタ」を書いてしまったならば、どうしても触れざる得ないネタがある。「ブラームスは春夏秋冬のどれが好きなのだろうか?」という話である。

標題音楽に背を向けたブラームスであるから、作品のタイトルに四季の痕跡を見ることは難しい。弦楽六重奏曲第1番が「春の六重奏曲」とあだ名されているが、ブラームス本人の関知するところではない。器楽作品の中には四季のいずれかを暗示する部分は無いと考えていい。

やはり四季に対する感性は欧米人と日本人では差があるのかもしれない。ビートルズは膨大な作品を残しながら「四季」を何らかの形で盛り込んでいるのは「Here comes the sun」の「winter」ただ一箇所だったと思う。

ブラームスとて例外ではない。しかし歌曲の作曲のためにブラームスが選んだ詩には、わずかながら四季を描写したものがある。タイトルそのものに四季のいずれかが盛り込まれているケースや、タイトルには無いものの歌詞の中に四季を盛り込んでいるケースである。総数としてあまり多くないので以下に列挙する。対象は四季(春夏秋冬)の言葉が直接出現するものに限った。日本人の感覚であれば四季を連想する単語であっても、カウントには入れていない。たとえば「雪」「夕立」「月」などはそれぞれ「冬」「夏」「秋」とも受け取れるが、ブラームスもそうだったとは断言できないのでカウントしていないということだ。また「五月」も「春」か「夏」か怪しいのでノーカウントとした。

<春>

  1. 愛と春Ⅰ op3-2
  2. 愛と春Ⅱ op3-3
  3. 春 op6-2
  4. 誓い op7-2
  5. 春の慰め op63-1
  6. 春は優しい恋の季節だ op71-1
  7. 秘め事 op71-3
  8. 恋歌 op71-5
  9. 昔の恋 op72-1
  10. 春の歌 op85-5
  11. 調べのように op105-1
  12. ねこやなぎ op107-4

<夏>

  1. おお来たれ、心地よい夏の午後よop58-4
  2. 夏の宵 op84-1
  3. 夏の宵 op85-1

<秋>

  1. 秋思 op48-7
  2. 野を渡って op86-4

<冬>

  1. 霜が置いて op106-3

ご覧の通りこの勝負は「春」の圧勝である。

ブラームスの故郷ハンブルグは北国である。ウイーンはハンブルグよりは相当南だけれども、緯度で言うなら日本の北海道に相当する。当然冬は厳しく、夏は短い。長い冬から開放される春を待つ気持ちは、日本人の想像を超えていると思われる。そして春は5月からなのだ。「五月の夜」や歌詞に「五月」が出てくる「口づけ」op19-1は、「春」に加えてもいいくらいなのだ。

逆に秋は短い。日本のように秋を初秋、仲秋、晩秋と3分割出来るほど長くないのだ。その長くない秋は、冬に備える準備で忙しいのだ。そうした感覚が上記の統計に反映していると思われる。

春12曲のうち短調は4番と8番の2曲だけだ。夏は2番が短調だ。春夏15曲のうち短調は3曲だけである。一方秋冬は3曲全て短調になっている。

秋にブラームスが聴きたくなったり、秋というとブラームスを連想するのは日本人の特徴のようだが、こと歌曲の題材で見る限り「春」優勢は動かし難い。ドイツに当時流布していたテキストが数の上で元々「春優勢」で、ブラームスは満遍なく曲を付けただけという可能性もあるが、留意だけはしておきたい。

2006年10月30日 (月)

のための

世の中で「のだめ」が話題になっている最中、2週連続してのだめネタを発信した後、しかも今日はテレビ放映のある日だ。このタイミングでこのタイトルはいささか紛らわしいが、実は「のだめ」とは関係がない。といいつつ実はこの時期を敢えて狙っていたりもする。明らかにのだめネタのフェイクである。濁音を示す点々を落とした訳ではないということだ。

「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」や「左手のためのシャコンヌ」の中で使われている「のための」が本日の話題である。これが英語でいう「for」であり、ドイツ語であれば「fur」(uはウムラウト)に相当する。いわゆる前置詞だ。前置詞のこういう使い方は思うだにスマートである。これを杓子定規に「のための」と訳すのだが、こなれていないと思う。強いて品詞分解をするならば格助詞「の」+形式名詞「ため」+格助詞「の」とでも解するのかもしれないが、ワンパット多い感じがして座りが悪い。

実は前置詞有りの言語を操る人たちも、内心はスマートだと思っていないのかもしれない。その証拠に「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」や「ピアノのためのソナタ」はそれぞれヴァイオリンソナタやピアノソナタという通称が用いられている。マッコークルもこうした表記をしているので、この手の通称も権威あるものになっている。この程度ならまだ判りやすい部類で、「ヴァイオリンとチェロとピアノのための三重奏曲」が「ピアノトリオ」と通称されるのは、よく考えると合点が行かない。我が家の娘は私に「ピアノ三重奏曲なのに何故ヴァイオリンの音がするの?」と真顔で質問してきたことがある。彼女はピアノ3台だと思っていたようだ。当然クラリネット五重奏曲はクラリネット5本だと思っているに違いない。

こうした混乱は慣れによって減じられもするが、入門者にとっては最初のハードルの一つだろう。何かと気持ちの悪い「のための」を避ける言い回しとしての工夫と位置づけてお茶を濁す次第である。

どこの業界でも「勝ち馬に乗る」のはマーケティングの鉄則である。この度私もフェイクで乗ってみたという訳だ。この記事が「のだめ」というワードで検索されるのか興味深い。

2006年10月29日 (日)

バッハ協奏曲イ短調

昨日のレッスンの話だ。左手の怪我で長女のレッスンがキャンセルになったので次女のレッスンだけだった。レッスンの最後に先生から次に取り組む曲の提案があった。現在マリーの「金婚式」取り組んでいる次女の次なる課題である。

先生の提案を聞いて驚いたのは私だ。「バッハのヴァイオリン協奏曲イ短調BWV1041」である。先生は「前回お姉ちゃんが挑戦したヴィヴァルディのイ短調協奏曲よりは易しいわよ」とキッパリである。私に異存があろうはずもない。大好きな曲だ。本人は毎度毎度のおとぼけリアクションでケロリとしている。すんなり決定した。場合によっては次の発表会に持って行けるかもしれないとのことだ。

というわけで気が変わらぬうちに今日楽譜を購入してきた。早速自分で弾いてみた。これからしばらくの間大好きなコンチェルトに浸っていられる。娘が曲を吸収してゆく様子をしっかり見届けたい。

芸術の秋たけなわ。

2006年10月28日 (土)

祝販売30冊

昨日2005年7月11日の「ブラームスの辞書」刊行以来の販売が30冊に到達した。

献本などの無償提供で手許を離れることとは別に、代金回収を伴う出荷を販売と位置付けてカウントしている。

10年で全部売り切るために毎月2冊の販売ノルマを設定してきた。刊行後最初の一年で24冊売れた。2年目に入って既に4ヶ月経過したから今頃8冊売れて合計32冊になっていなければいけないので、やや進捗が遅れている。それでもまあ順調な部類に入るだろう。

人さまがお金を出して買ってくれるというのは、思うだに貴重である。うまく表現出来ない嬉しさがある。

30冊の一区切りを機に改めて御礼申し上げたい。

2006年10月27日 (金)

秋のソナタ

少し前にはやった韓国系ドラマの題名が「冬のソナタ」だった。今日のお題は「秋のソナタ」である。

四季の移ろいがはっきりと感じられる風土のせいか日本人は四季の比べっこが好きだ。源氏物語の昔から「四季のうちどれが好きか」は、割とメジャーな話題である。クラシック界でもヴィヴァルディの合奏協奏曲集「四季」は押しも押されもせぬ業界の定番だ。俳句の世界で言う季語を持ち出すまでも無く、日本人は周囲に起きるさまざまな事象を四季を切り口として眺めている。何の断りもなく「花」といえば桜を指し、黙っていても「春」をイメージするし、「月」といえば秋だ。「雪」といえば冬なのは恐らくドイツとて一緒だろうが、日本では相当広い範囲でこうした暗黙の決め事がある。「甲子園」と言えば恐らく「夏」であるように。

ブラームスに取り付かれてかれこれ27年になるが、どうも日本人のブラームス愛好家は「ブラームス」というと「秋」をイメージすることが多いようだ。「秋になるとブラームスが聴きたくなる」「秋の夜長はブラームスの室内楽が似合う」等々の決まり文句とともにブラームスと秋を結びつける発言が目に付く。「ブラームス」が秋の季語になっていないか心配になる程だ。ブラームスの作品が引き起こす感情が、日本人が秋に対して抱いているそれと一致するのだろう。年がら年中ブラームス三昧の私は、秋だけが特別という気はしていないが、周囲にはそういう人が多い。特にクラリネット五重奏曲や第3交響曲にはその種のバイアスがあって、うっかり反論しようものなら火ダルマになりかねない雰囲気が充満している。

ブラームス本人は、けして声高に「秋の気分」を主張していないだけに、日本人のそうした感じ方は特徴的である。

2006年10月26日 (木)

週間アクセス700

「のだめ」由来のアクセス増のドサクサの中、ブログ立ち上げ当初からひそかに目標にしていた数字を達成した。「週間アクセス」が700を超えたのだ。つまり1日平均100アクセスということだ。これがなかなか「言うは易し」で達成出来なかった。もちろん1日のアクセスが100を超えることは今までにもあったが、いつも期待をもたせてはしぼむという単発の現象に終わっていた。今回はなかなか底堅い手応えがある。もちろん「のだめ効果」であることは疑い得ない。「のだめカンタービレ16巻」発売の10月13日からのアクセス推移を以下に記す。

  • 10月13日(金)  63ac のだめ16巻発売
  • 10月14日(土)  65ac 
  • 10月15日(日)  54ac
  • 10月16日(月)  76ac のだめテレビ放映初回
  • 10月17日(火) 109ac
  • 10月18日(水) 113ac
  • 10月19日(木) 119ac
  • 10月20日(金)  90ac
  • 10月21日(土) 131ac
  • 10月22日(日) 114ac
  • 10月23日(月) 132ac 「のだめカンタービレ」テレビ第2回放映
  • 10月24日(火) 115ac
  • 10月25火(水)    98ac

今回私が700を超えたと騒いでいるのは、上記の赤字の部分の合計が752になっていることを指している。厳密に言うと月曜日から日曜日に限らないで「連続する任意の7日間」と捉えると700を超えていたことはあるかもしれないが、意識して統計していないので判らない。やはり月曜日から日曜日で超えることに意味があるのだと思っている。その後の3日間のアクセスも安定しているので、今回は手応えが違う。

上記の数字の推移を見ていると、コミック「のだめカンタービレ」16巻の発売はあまりアクセス増に貢献していないように思える。何と言ってもテレビ放映だ。放映初日の16日は朝からずっと平凡なアクセス数だったが、のだめの放映が終わった22時以降アクセスが増加した。16日のアクセス数76は中の上か上の下という感じだが、22時以降の瞬発力は大変なものだった。そして17日以降その瞬発力が持続しているという訳だ。

昨今インターネットが広告媒体としての位置づけを急速に高めているようだが、テレビは元祖であるだけに底力を感じる。いずれこの波は収まるのだろうが、今ひとまず乗っていようと思う。

2006年10月25日 (水)

冷や汗

長女が1時間目の体育の時間に怪我をした。

跳び箱をしていたときに、左腕を変についてしまったようだ。元々跳び箱が苦手で嫌がっていた。腰が引けたような跳び方をしているから余計に変な跳び方になるのだろう。保健室で応急処置をしてもらって帰宅後、医者に行った。

幸い骨に異常はなかった。左掌に内出血している。痛がるので湿布したが、すぐに直ると言われてホッとした。入浴は許可されたが、濡らしてはいけないという条件付だ。妹が一緒に入浴して洗髪を手伝った。なんだか妹が妙に優しく世話を焼いている。入浴とともにヴァイオリンの練習も許可されたのだが、痛いと言って今日はお休みになった。

大きな怪我にならずにすんでホッとした。

2006年10月24日 (火)

ロンド

ソナタ形式に並ぶ主要な形式の一つ。多楽章ソナタの終曲として起用されることが多い。ブラームスも以下の通りロンドを書いている。青字で表記したホルン三重奏曲だけが第1楽章への設置になっている。

  1. ピアノソナタ第1番op1
  2. ピアノソナタ第3番op5
  3. ピアノ三重奏曲第1番op8
  4. 管弦楽のためのセレナーデ第1番op11
  5. ピアノ協奏曲第1番op15
  6. 管弦楽のためのセレナーデ第2番op16
  7. 弦楽六重奏曲第1番op18
  8. ピアノ四重奏曲第1番op25
  9. ピアノ四重奏曲第2番op26
  10. ホルン三重奏曲op40 第1楽章
  11. 弦楽四重奏曲第2番op51-2
  12. ヴァイオリン協奏曲op77
  13. ヴァイオリンソナタ第1番op78
  14. ピアノ協奏曲第2番op83
  15. チェロソナタ第2番op99
  16. ヴァイオリンソナタ第2番op100
  17. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲op102
  18. ヴァイオリンソナタ第3番op108
  19. 弦楽五重奏曲第2番op111
  20. クラリネットソナタ第1番op120-1

上記表示のうち赤文字になっている5つの作品では楽曲冒頭の楽譜上に「Rondo」と記載されている。逆に言うと他の14曲はロンド形式でありながら楽譜に明記されていないということだ。明記するしないの基準は明らかとは言い難い。

ここで本年10月17日の記事「フィナーレ」を再読願いたい。初期の作品の中に5曲「フィナーレ」記載の空白があることに言及している。不思議と言えば不思議なのだが、フィナーレ記載の空白5曲は、上記の赤文字の作品とピタリと一致しているのだ。つまり「Rondo」と明記する代わりに「Finale」の記載を落としているとも解されるのである。

そうした見方をすると、不思議なことに同一楽曲で「Rondo」と「Finale」が併記されているケースは1例もないことに気付く。マーラーの第5交響曲の終曲は「Rondo Finale」だが、ブラームスにおいては、そうした重複記載が1例もないということなのだ。もしかすると少なくとも初期のある時期において、「Rondo」という言葉が「Finale」と限りなく同義だった可能性を考えたら行き過ぎだろうか。

中期から後期に向かって、もはや「Rondo」の文字が楽譜上に踊ることはない。ロンドそのものは引き続き書かれていながら、曲にタイトリングされないということなのだ。

そのあたりの傾向は「スケルツォ」や「フィナーレ」と一致している。一方で中期から後期にかけて頻度を増す「インテルメッツォ」とは逆の傾向だ。標題音楽に対するブラームスの姿勢との関連はなかなか興味深い課題である。

2006年10月23日 (月)

のだめ効果

コミック「のだめカンタービレ」第16巻の刊行から10日たった。またTVドラマ「のだめカンタービレ」の放映から一週間経過した。

別世界の出来事のようにも感じていたが、実はそうでもない。16日からブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスが急増した。ひょっとするとこれは「のだめ」のお陰かもしれないと推測している。

何故かというと、ココログのアクセス解析でブログ「ブラームスの辞書」へどのような経路でたどり着いたか調べてみると、「のだめ」関連のサイトから来ているビジターがここ一週間で大変多くなっていると判る。正確にいうと16日の22時以降倍増という感じである。あるいは「のだめ」や「のだめカンタービレ」または「のだめ16巻」のような言葉を入力した結果ブログ「ブラームスの辞書」にたどり着いているケースが増えた。第16巻の発売や、テレビ放映の開始で「のだめ」の注目度が上がっていることは、明らかだ。必然「のだめ」系の言葉でネット検索する人も増えているだろう。明らかな「のだめ」系とは言えないまでも関連の疑われる単語でのヒットも少なくない。今で言えば「ニールセン不滅」「ウイリアムテル序曲」や「ハイドンの主題による変奏曲」などがそれにあたる。

その意味で10月13日の16巻発売日に「のだめの中のブラームス⑲」をアップしたのはタイムリーだった。がんばった甲斐があるというものだ。「のだめの中のサッカー」を入れればこの記事で21本目になる「のだめ」系の記事が検索される確率を大きく高めていそうである。「風が吹くとオケ屋が儲かる」式のアクセス増とはいえ、そのうちの何人かが常連さんになってくれるかもしれない。テレビ放映の期間中、特需が続いて欲しいものだ。ただちに本の売り上げに繋がる訳ではないが、何事も種まきである。

2006年10月22日 (日)

難燃性ブログ

昨日は久々に盛り上がった。古くからの音楽仲間2人と5時間以上飲んだ。

話題は多岐にわたる。音楽、演奏会、ヴィオラ、ブラームス、のだめの話に加え、相当な量の昔話に花が咲いた。アルコールも相当進んだ。それでも飲み食いよりも話で腹が一杯という感じだった。

私のブログの話になった。2人とも私の著書「ブラームスの辞書」を所有している上に、ブログ「ブラームスの辞書」のコアな読者でもある。知り合いのブログが炎上した話になったが、私のブログ「ブラームスの辞書」は炎上しにくいと言われた。いわく「あのブログの揚げ足取るほどの知識を持っている奴は少ないに違いない」というのが二人の一致した意見だった。極論と正論の狭間を行きつ戻りつのブログだから、少なくとも批判が殺到するという事態は考えにくいという。ブログ「ブラームスの辞書」は、いわゆる「炎上」に強いブログだということだ。不燃とまでは断言出来ぬからさしずめ「難燃性ブログ」とでもしておこう。結局最後は「だからがんばってね」という話に落ち着いた。付き合いが長いのでよくわかるが、これは遠まわしな称賛なのだ。音楽仲間はありがたい。

おかげでまたいくつかネタを思いついた。次にまた集まるまで、ブログの記事を途切れさせる訳には行かない。

2006年10月21日 (土)

高性能センサー

今日はヴァイオリンのレッスンだった。ここ一ヶ月で目に見えて変わってきていることがある。

妻の形見のヴァイオリンを弾く長女の出す音にコシが出て来たでもいうのだろう。4月の中学入学と同時に入部したバドミントン部で鍛えられていることは既に書いた。そのせいか秋の運動会でもたくましいところを見せてくれた。どうやらそれがヴァイオリンの音に現れているような気がするのだ。

思い当たる転機はもう一つある。8月に次女に楽器を買い与えたことで、妻の形見の楽器が長女専用になった。次女の練習の時私が長女の楽器を弾く他は、長女しかその楽器に触らなくなった。一方8月に入手したばかりの次女の楽器は新作楽器なので、今のところ練り上げが足りない感じが抜けない。だから長女の弾く楽器の音が一層際立って聞こえるのだ。

特にG線の音が変わった。長女の練習では必ず毎回スケールとアルペジオと重音を組み込んでいる。シャープやフラットが極端に多くない調でG線からE線の第7ポジションまで満遍なく使うよう心がけている。特にG線の開放弦から立ち上がるト長調の音階なんかを聞いていると、いわゆる「G線特有の」底光りが感じられる。次女はもちろん私だってそんな音は出ない。昨日のレッスンで先生と一緒に弾いていたときに、G線のところで実はゾクッとした。何も華麗なパッセージを弾いている訳ではない。単なるGdurのスケールでだ。「16分音符を恐れないこと」「ポジションチェンジを億劫がらないこと」「暗譜の能力」においてはとっくに抜かれている私だが、今回の「G線の音」については、かつてない「してやられた感」がある。もちろん「時折発する耳を疑うような間抜けな音程」や「作品に対する無惨なまでの興味の無さ」は引き続き課題だが、幼い頃から言われている「余分な力を抜くコツ」がようやく判りかけてきた感じだ。

あのヴァイオリンは長女に弾かれて喜んでいる。「今誰に弾かれているのか」を判別する高性能なセンサーがヴァイオリンに装備されているらしい。

冷静を装ってはいるが、相当嬉しい。

2006年10月20日 (金)

Komm Bald

作品97-5を背負った歌曲で「早く来て」と訳される。

作詞者はブラームスの友人のスイスの詩人クラウス・グロ-トだ。1885年5月7日つまりブラームス52歳の誕生日にこの詩を贈ったところ、ブラームスがその場で作曲したと、贈り手のグロートが証言している。

だとすると10月16日の記事「焼却漏れ」でも話題にした作曲の途中経過はどうなっていたのだろう。よく寄席の会場で、客席からお題を募って、その場で小話を作ってしまう名人芸に似ている。

ブラームスは贈られた詩をその場で読んで意味内容意図を理解したばかりか、韻律をも呑み込んで瞬時に曲をつけて見せたことになる。誕生日に詩を贈られたことに対する、最高の返礼なのだろう。

実際に曲を聴く。ブラームス特有の「インテルメッツォ系遅めの3拍子」だ。中音域でたゆとう旋律の微妙な進行が悩ましくも美しい。この規模の曲で、苦心惨憺推敲三昧ではかえって良い作品にはならないのだとも思えてくる。ブラームスは別の知人に「よかれと思って出来上がった曲をいじると大抵は元よりダメになる」とも語っていた。

もちろん現在流布している「Komm Bald」の楽譜が、この時グロートに示されたものと全く同一である保証はないが、興味深い話である。

2006年10月19日 (木)

作品8初版調査報告

10月7日の記事「柳の下にドジョウを探しに」で予告したとおり、ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8の初版をブラダスに取り込んだ。このほどその成果がまとまったので報告する。

  1. 初版は全4楽章合計で1728小節に及ぶ巨大な室内楽であった。改訂版は1279小節に圧縮されている。実はこのことが最大の所見かもしれない。その中でもスケルツォは、たった1小節の圧縮にとどまっているから他の楽章の圧縮の大きさが際立っている。
  2. 初版では全1728小節の中に101種の音楽用語が延べ609回用いられている。2.84小節に1個である。改訂版では、全1279小節の中、59種が316回となり、4.05小節に1個となった。本改訂にあっては無風とも思われるスケルツォだが、用語設置だけは2.77小節に1個から4.05小節に1個という具合に頻度を落としている。言葉での説明のし過ぎにブレーキをかけたと解される。
  3. ダイナミクスの使用バランスは「ff」が6%減って、その分が「f」の増加になっている。初版に出現しない「mp」が改訂版に現われている他「poco f」も改訂版で出番を増やしている。大変に珍しい「pp possibile」が初版にあったのだが、改訂で削除されてしまった。
  4. 初版に存在せず、改訂版にのみ出現する指定は20種だ。この20種には特にレアな用語は見られない。
  5. 初版に存在しながら改訂によって削除された指定は67種に及ぶ。「accelerando」も敢え無くカットされている。op46を最後に出現しないという原則が守られている。「marcato e pesante」「p leggiero ma marcato」「p leggiero legato」「poco diminuendo」「pp veloce」を含む約10種の用語は、生涯でここだけになっていた用語である。また初版には「rf」が6回も使用されていたが、これらも全て改訂で削除の憂き目に遭っている。
  6. 「portamento」も初版にあったが改訂でカットされた。作品6-6にただ一度使用されているだけのお宝アイテムである。
  7. 器楽曲では大変珍しいというより室内楽では唯一と言ってよいドイツ語標記も、改訂で抹殺されている。「schneller」がそれである。
  8. 4つある楽章冒頭のトップ系指示にも興味深い改訂がある。「Allegro molto」の第2楽章スケルツォだけが、改訂をくぐり抜けて保存された他は皆修正を受けた。第1楽章「Allegro con moto」は「Allegro con brio」に修正され、第3楽章「Adagio non troppo」は単なる「Adagio」にとって代わった。「Finale-Allegro molto agitato」もまた単なる「Allegro」とされた。旧版第1楽章の「Allegro con moto」と第4楽章の「Allegro molto agitato」は生涯で唯一ここだけの指定である。
  9. 多楽章形式器楽曲の終楽章の冒頭に「Finale」と明記するのは初期から中期までの特徴である。1882年のピアノ三重奏曲第2番op87を最後に途切れる。初期作品に相当する初版で掲げられていた「Finale」の表札が、改訂とともに降ろされているのはこの傾向に矛盾しない。10月17日の記事「フィナーレ」参照。
  10. ちなみに楽曲冒頭では修正を受けなかったスケルツォだが、中間部は「Piu lento」から「Meno allegro」に差し替えられている。

上記の傾向を総合すると作品8の改訂の主旨は「スケルツォを除く全楽章の短縮」が最優先だろう。「mp」や「poco f」が出番を得た一方で「レア用語の削除」もキーワードになっていると思われる。弾き手聴き手ともブラームスの語法に慣れたと判断したブラームスが自ら筆の滑り過ぎを戒めたかのようだ。

シェーンベルグネタに気をよくして手をつけてみたがなかなか楽しめる。柳の下にドジョウがいるものである。

2006年10月18日 (水)

音楽は楽しいか

このところ教則本にはまっている。

娘たちがカイザーのお世話になっているせいで、毎週カイザーを題材にした練習につきあっている。娘たちが先生から言われたことを注意しながら自分も弾いてみる。繰り返し弾いてみる。すると今娘たちが何を学んでいるのか体験出来る。ヴィオラ用だから5度低く移調されてはいるが娘たちの気持ちになるには十分だ。娘たち2人分の費用で私まで習っているようなものだ。学生の頃おろそかにしてきたことを今、再履修している気分である。娘たちの練習を見てやった後、必ず自分だけでカイザーをさらっている。たった今娘に注意したことを自分で実践してみるのだ。得るところは大きくて重い。娘への言い方接し方を反省せねばならないと感じることも少なくない。

今娘たちは「指をバタバタさせない。前の指を手がかりに次の指を取る」と言われている。私にとっても他人事ではない。それから永遠の課題である音程。娘たちはいつも先生から音程を厳しく指導される。違った音程を取ってグニュグニュと取り直す癖を指摘される。「最初から一発で取れ」と。娘たちが羨ましい。こんなに小さな頃から音程をうるさく言われて育つなんて夢のようだ。娘たちは不思議そうに私を見ている。「パパは何故つまらない教則本をそんなに楽しそうに弾いていられるの?」と長女に尋ねられた。別に楽しそうに弾いている訳ではないのだが、そう見えているらしい。

答えに窮した。今更上達したい気持ちはさほど多くない。娘の取り組む曲を弾くことで気持ちが共有出来るという答えは優等生過ぎて当たらない。娘に見抜かれた通り、ヴィオラを弾くこと自体が楽しいのだ。娘たちは多分楽しくないのだろう。だから私が楽しそうなことが、不思議なのだ。娘たちは何故楽しくないのだろう。

今は、楽しくないのを無理して続けてくれればいい。やがて私に感謝する日が来る。

けれども「何故音楽は楽しいのだろう」の問いには答えが見つけられずにいる。

2006年10月17日 (火)

フィナーレ

「Finale」と綴られ「終曲」と訳される。オペラのエンディングだったり、変奏曲の終曲、多楽章ソナタ形式の曲の最終楽章を指す場合もある。

ブラームスは室内楽24曲、交響曲4曲、協奏曲4曲、ピアノソナタ3曲、変奏曲6曲において合計41回フィナーレを書いているが奇妙なことがある。それは終曲(終楽章)冒頭の楽譜上に「Finale」と記すか記さないか対応が割れているのだ。以下にマッコークルの譜例で「Finale」と明記されている例を列挙する。

  1. ピアノソナタ第1番op1
  2. ピアノソナタ第2番op2
  3. ピアノソナタ第3番op5
  4. ピアノ三重奏曲第1番op8初版
  5. ピアノ四重奏曲第2番op26
  6. ピアノ五重奏曲op34
  7. ホルン三重奏曲op40
  8. 弦楽四重奏曲第2番op51-2
  9. ハイドンの主題による変奏曲op56
  10. ピアノ四重奏曲第3番op60
  11. 交響曲第1番op68(カッコ付き)
  12. ピアノ三重奏曲第2番op87
  13. 弦楽五重奏曲第1番op88(カッコ付き)

上記11番と13番はマッコークルにはカッコ付きで「Finale」と記載があるのにスコアには記載が無いという悩ましいケースである。

すぐに気がつくことは、「Finale」の明記は初期から中期にかけてに集中していることだ。象徴的なのはピアノ三重奏曲第1番だ。1854年の初版では明記されているのに1890年の改訂で削除されている。昨年7月7日と8日の記事「スケルツォ」「舞曲楽章の流れ」でも言及したように、創作の初期ほど厚く、後期に行くほど書かれなくなる傾向は「Scherzo」でも認められた。「Scherzo」と明記される最後の作品はピアノ三重奏曲第2番op87だ。これは「Finale」と明記された最後の作品でもあり、不気味な一致である。

初期中期に集中するとは言っても、ピアノ三重奏曲第1番作品8で明記された後、ピアノ四重奏曲第2番作品26で再び記載されるまでの5曲は「Finale」記載の空白が5曲続くのも不思議である。

他にも謎が多い。作品51を共有する弦楽四重奏曲の1番2番は、2番にのみ「Finale」と明記されている。弦楽六重奏曲やピアノ四重奏曲にも見られるように、対になって作曲された作品が「Finale」の記載不記載で対応が割れているケースが多い。

変奏曲ではハイドンの主題による変奏曲にのみ記載がある。第一交響曲へのカッコ書きを例外として管弦楽曲には「Finale記載型」は存在しない。また長調短調による相関関係は認められない。いわゆる三楽章制のソナタでは第3楽章に「Finale」と明記されない。

41回もフィナーレを書いておきながら「Finale」と明記されたのが13回だけにとどまり、しかも初期から中期に集中している。明記しないとフィナーレと判ってもらえない心配があったのだろうか?あるいは演奏に入る前に「これで最後だ」と演奏者に自覚を促す必要性を感じていたのだろうか?なんだか謎が多い。

2006年10月16日 (月)

焼却漏れ

10月6日の記事「作曲工房」や同じく12日の記事「作品8の改訂」でも言及したが、ブラームスは作曲の途中経過を容易に露にしないことを美徳としていた節がある。しかしもちろんそのことは「途中経過が存在しない」ということを意味してはいない。途中経過の内容を推定されるような証拠を処分していたことを指している。あるいは、途中経過を詳しく知り得た立場の関係者への口止めをも含まれる。

この点でもブラームスは作曲同様、完全主義者である。作品8の改訂は数少ない例外だ。これは36年を経た後の作曲観や音楽観に照らして、課題の残る唯一の作品の後始末と位置付けたい。

このケースとは別にブラームスが最終稿の前の段階の手稿の処分に失敗したと思われるケースが存在する。「愛と春Ⅰ」op3-2がそれである。aとbという2つのバージョンが残されている。ペーター版のブラームス歌曲全集にはbが収録されているが、我が家のドーヴァー版は嬉しいことに両方掲載されている。もしかするとブラームスは嫌がっているかもしれない。

全33小節の小品である。両者の違いは5~8小節目の節回しと伴奏。および11~12小節目の節回しが手直しされている。13小節目以降最後まで違いは無い。と思いきやである。起用されている音楽用語が意味ありげに代わっている。

  1. 1小節目 ピアノと歌両方に付与されていた「p dolce,espressivo e sempre legato」がピアノ側のみとされ。歌の側には「p」を置いた。
  2. 10小節目 「diminuendo e ritardando」がピアノと歌双方で単なる「ritardando」に置き換えられた。
  3. 12小節目 歌の側の「p sempre legato」およびピアノ側の「espressivo」「legato」が全部消去された。
  4. 14小節目 歌ピアノ双方から「crescendo」が削除。
  5. 16小節目 歌ピアノ双方に存在していた「f sostenuto e molto espressivo」のうち歌の側のみ削除。
  6. 21小節目 歌ピアノ双方に存在していた「p dolcissimo」のうち歌の側のみ削除。

以上が変更の明細である。これには下記の通りの特徴が見て取れる。

  • 全ての変更が「シンプル化」を指向している。「大袈裟気味の指定」が初期のピアノ作品に集中して現れ、中期以降姿を消すことと矛盾しない。
  • 特に歌のパートへの指図の抹殺を意図している。この現象はop19を境にそれ以降歌のパートへの指図が激減する傾向と一致している。
  • 上記1番3番5番の各指定はブラームスの生涯でここにしか存在しない、いわゆる「むすめふさほせ型」である。

上記のような推敲が、おそらく全ての作品において行われていたと推定したい。そのほとんどの証拠は、ブラームスによって処分、おそらく焼却されていたと思われる。

たまたま運良く(ブラームスにとっては運悪く)焼却を免れたのが作品3-2なのだろう。ほとんど音楽考古学の世界である。

2006年10月15日 (日)

見ィつけた

長い間探していたCDを見つけた。

ブラームスのクラリネットソナタのヴァイオリン版のCDだ。クラリネットのパートをブラームス本人がヴィオラに差し替えた編曲をしていることは有名だし、ヴィオラ弾きのレパートリーとして広く取り入れられている。実はヴァイオリン版もご本人の編曲なのだ。オリジナルのクラリネット版を凌ごうかという人気を誇るヴィオラ版にはCDに事欠かない。名高いヴァイオリニストが録音したCDも多い。ズーカマン、スーク、ミンツの面々はわざわざヴィオラに持ち替えてくれている。一人ぐらいヴァイオリンで弾いてくれていてもよさそうなのだが、なかなか見つけられなかった。

実は一昨日購入したのだが、のだめネタで忙しくて記事に出来なかった。アンドリュウ・ハーディーというヴァイオリニストの演奏でフランス製だ。ヴァイオリンソナタ3曲と合わせて5曲2枚組である。2800円はお買い得だ。

実際聞いてみた。音域の関係によるオクターブの上下動は別として、いくつかの細かな工夫がある。第1番の第1楽章の末尾で、控え目な重音で動くところがクラリネット版にはもちろんヴィオラ版にもない装飾だ。1番2番ともスケルツォには、オリジナルにもヴィオラ版も無い旋律線が加えられていて驚いた。第1番の緩徐楽章はヴァイオリンのG線を意図的に聞かせる配慮がされていると思う。

ヴァイオリンソナタの売り場を丹念に探していての発見であった。

2006年10月14日 (土)

コールアングレ

イングリッシュホルンの別名。フランス語で「英国風角笛」の意味。

「のだめカンタービレ」16巻でオーボエ奏者の黒木クンが吹かされていたようにオーボエ奏者による持ち替えが主流。残念ながらブラームスのオリジナル作品には出番がない。まさかブラームスの英国嫌いと関係がありはしないかと邪推している。ピアノ四重奏曲第1番のシェーンベルグによる管弦楽版には多くの出番が用意されている。

1981年1月。私は大学オケの団長になった。最初の仕事が大学学生課との交渉だった。6月の定期演奏会のメインプログラムに決まっていたドヴォルザークの新世界交響曲で使うコールアングレを買ってもらえるよう働きかけたのだ。第2楽章には超有名なコールアングレのソロがあるのだ。いわゆる「遠き山に日は落ちて」だ。古今でもっとも良く知られたコールアングレの出番だろう。今にして思えば無謀だったが、当時はイケイケだった。オーボエのパートリーダーと一緒に新世界交響曲にコールアングレがどれほど必要かを説明した。120万円もするローレ社のコールアングレを買ってもらえることになった。ケースには大学の備品であることを示すシールが貼られている他は、団の所有と何等変わることはなかった。今でも使っているのだろうか。

本番の演奏より楽器調達の苦労のほうが記憶に残っている。

2006年10月13日 (金)

のだめの中のブラームス⑲

「のだめカンタービレ」第16巻が今日発売になった。

マングースシャープペン付きを購入してさっそく読んだ。いやいやどうして、なかなかの登場のしかただった。「こりゃあ16巻もブラームスネタは無いわい」と思って諦めかけた182ページにブラームスネタが躍り出た。スコアレスドロー濃厚の後半ロスタイムに、コーナーキック崩れのゴール前の混戦から、膝の内側で無理やり押し込んだゴールのようだ。「棚ボタ感」溢れる登場で有り難味もひとしおである。

今回のボタモチじゃなかったブラームスは、「ハイドンの主題による変奏曲作品56a」である。170ページから始まる千秋真一指揮のマルレオケ2390回定期演奏会の2曲目の演奏曲としての登場だ。「ハイドンの主題による変奏曲」が「のだめ」で話題になるのはこれが2回目。12巻の163ページに登場していた。のだめが一念発起して対位法の勉強をしようと決意し、図書館で借りた対位法の専門誌に譜例として引用されていた。昨年10月4日の記事「のだめの中のブラームス⑩」で言及した通りだ。

千秋真一が常任指揮者としてデビュウするシーズン最初の演奏会のサブプログラムであると推定される。しかしだ。しかし16巻はそれまでの181ページの間さんざんリハーサルの場面を描写しているのに「ハイドンの主題による変奏曲」の練習風景は無いように思える。

24ページのデプリーストさんから届いたシーズンのプログラム草案は文字が小さくて読めないが、ここには載っていたと思われる。46ページで明らかになるマルレオケのポスターにもそれらしい文字は見当たらない。64ページからの練習風景は全て「ウイリアムテル序曲」である。81ページ以下はトロンボーンの出番があるのでハイドンの主題による変奏曲ではあり得ない。97ページからの練習も落選だ。98ページにチューバの出番があるからだ。101ページと102ページはわずかながらハイドンの主題による変奏曲である可能性がある。105ページからのヴァイオリンの居残り練習はニールセンであることがトマ・シモンのセリフから明らかだ。この段階ではニールセンのどの曲なのか不明である。189ページの17巻の予告で「交響曲第4番不滅」であることが明かされるという手の込みようである。118ページからの練習もハイドンの主題による変奏曲ではない。「テンポプリモ」はハイドンの主題による変奏曲には一回も現われないからだ。136ページもチューバが居るので落選する。

結局182ページに至るまでハイドンの主題による変奏曲が事前に仄めかされることはない。これは作劇上の配慮だろう。ハプスブルグ家の圧政に苦しむスイスは、マルレオケの現状に重ねられている。スイス軍の行進は圧政からの開放の描写であると同時に、マルレオケの脱皮をも表現しているという設定である。だから今度ばかりはハイドンの主題による変奏曲の位置付けが相対的に下がっているのだ。

それにしてもあんまりだ。182ページ中段下の枠外の「第2変奏」という書き込みだけが手がかりだ。182ページの最下段のコンマスのトマ・シモン氏の指の位置は第一ポジション3の指でA線、つまりDesを弾いているように見える。第2変奏で第1ヴァイオリンにこの音が要求されるのは3箇所ある。61、67、79小節目のそれぞれ2拍目だ。

気になることが一つある。182ページのコンサートマスターも183ページの第1ヴァイオリンの面々も同じだが、ヴァイオリンの駒とテールピースの間に弱音器が見当たらない。ここに弱音器を待機させると思わぬ雑音の発生源になりかねないという、コンサートマスターの一存で、みなポケットに隠し持っているものと思われる。第8変奏で弱音器の装着が要求された時は、注意深くかつ急いで対応しなければならない。

気になると言えばオーボエだ。ハイドンの主題による変奏曲は冒頭オーボエのソロから始まる。他にもオーボエの出番は多い。16巻ではマルレオケの主席オーボエ奏者に出世したり、ベビーシッターをさせられたり、ターニャとのロマンスの予感も仄めかされて存在感を増す黒木クンが全く描かれていないのは不可解である。ニールセンの事情には疎いが、メインプログラムに向けてスタミナ温存のためにハイドンの主題による変奏曲は降り番に、回っている可能性を考えたい。

ひさびさの「のだめネタ」でつい気合が入ってしまった。

2006年10月12日 (木)

作品8の改訂

10月7日の記事「柳の下にどじょうを探しに」で述べたピアノ三重奏曲第1番作品8初版をブラダスに取り込む作業が完了した。

ピアノ四重奏曲第1番のシェーンベルグ編管弦楽版の取り込みに比べると拍子抜けするくらい、短時間で終わった。スコアにして27段の管弦楽曲とピアノトリオでは音符の量が違うので予想はしていたが呆気なかった。データの分析に着手する。

それに先立って根源的な疑問に触れねばならない。なぜ作品8の三重奏曲だけが改訂の対象になったのだろう。

作品8の三重奏曲は1854年の出版で、ブラームス初の出版された室内楽の座に君臨しているが、ブラームスの全作品の中で出版後に作曲者自らの手で改訂が加えられた作品は他にはない。もとよりブラームスは若い頃から作品の出版に慎重で、恩師シューマンに薦められた作品でさえ全てが出版された訳ではない。だから少なくとも出版に漕ぎつけたという時点で、作品8のピアノ三重奏曲はある種の基準をクリアしていたハズである。

作品8の三重奏曲は1861年に弦楽六重奏曲第1番の出版までの7年間、ブラームス唯一の室内楽の座にあった。その間音楽界からは、シューマンが華々しく紹介した気鋭の作曲家の作品として認知されていたハズである。良くも悪くも注目されていたハズなのだが、ピアノ協奏曲第1番のような悪評のエピソードは聞かない。

生まれた時、既にブラームスはこの世になく、彼の全作品が当たり前のように存在する現代の愛好家は、しばしば歴史的な視点を忘れがちである。ブラームスの全作品は既に「与件」として存在している。もっと言うとCDショップに行けばバロックから無調音楽までが自由に手に取れるのだ。

ブラームスの同世代の人々はそうではなかった。室内楽を例にとれば、今日話題のピアノ三重奏曲から最後のクラリネットソナタまでの24曲が40年の間に小出しにされたと言っていい。CDやLPが無かったとはいえ、次の作品が出るまで人々はじっくりと作品を吟味する時間があった。ブラームスの室内楽24曲は、そうした吟味を経ながらただの1曲も「ダメ出し」されていないのだ。

そんな中作品8だけが唯一改訂が施されているという事実はもっと顧みられていい。作品8初版の出版時には、一定の基準に照らしてゴーサインを出したブラームスだが、その後経験を積んで、その基準を引き上げたと考えるのが自然である。作品8初版だけが引き上げられた基準を満足しなかったという訳だ。お陰で作品8は今も他の室内楽同様の永続性を獲得している。もっぱら改訂版ばかりを聴いている耳には、確かに初版はなじみが薄い。

そうした基準引き上げの痕跡が音楽用語使用面に影を落としていないかと考えるのがブログ「ブラームスの辞書」の立場である。毎度毎度大げさな話にしてしまう癖が止まらない。

2006年10月11日 (水)

ブログ開設500日

昨年5月30日にブログ「ブラームスの辞書」を開設してから本日で500日が経過した。ということはつまり「500日連続記事更新」を意味する。500日間一日も記事の更新を欠かすことが無かった。あくまでも通過点にすぎないが、一つの区切りである。昨年の今頃はちょうど中国出張に旅立った頃だ。まさかその後1年毎日記事の更新が出来るとは思っていなかった。自分にこんなパワーがあるとは思っていなかった。我ながら根気強いと思う。

悪い報告と良い報告が1つづつある。

まずは悪いほうから。ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手の連続試合出場は1768で途切れた。私のブログがこの数字に並ぶのは2010年4月1日になる計算だ。3年半も先の話である。サッカーワールドカップ南アフリカ大会の開幕を目前に控えた時期になるということだ。何だか途方も無い話で呆然としてしまう。

そして良い話。ささやかだが、良い話もある。それは明日の記事のネタをもう既に思いついていることだ。

足元を見つめながら、夢は大きくというところだろう。

2006年10月10日 (火)

「ポルタート」意訳委員会

「portato」と綴られる。レガートとスタカートの中間。事実上のメゾスタカートだろう。スラーで結合された2つ以上の音符を明らかに区切って奏することとされている。言葉で説明されるとわかったような気にもさせられるのだが、実演奏上の解釈においては意見の相違の元にもなりかねない。

ブラームスはこの表現を好んでいたことがいくつかの証言から明らかであるが、実は楽譜上に「portato」と文字で記されているケースは一度もない。一度も無いがゆえに「ブラームスの辞書」では見出し語になっていない。

演奏を担当する楽器によって奏法も解釈も違う。弦楽器の奏法としてはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第一楽章の第二主題の冒頭の弾き方がよく例として用いられるようだが、そういわれてもピアニストや管楽器奏者あるいは声楽家には参考程度にしかなるまい。

ブログ「ブラームスの辞書」名物意訳委員会としては、目から鱗の新解釈を提案したいところだが、これがなかなかの難題だ「音は切っても気持ちは切るな」とでもしてお茶を濁す次第である。

さらにポルタートについて最近心配なことを付け加えておきたい。「portato」がひょっとすると「portamento」と混同されていないか心配している。

  1. ブラームス本人が既に混同している。
  2. ブラームスの言葉を後世に伝えた証人が混同している。
  3. ブラームスの関連本の著者が混同している。
  4. ブラームス関連本の翻訳の過程で混同が起きている。

上記のいずれかまたは複数が、一部混入している可能性を提起したい。

思えば昨年の今頃は、上海にいた。

2006年10月 9日 (月)

虫干し

秋の週末をヴィオラの虫干しにあてた。

現在の楽器を購入後、控えに回っている昔の楽器だ。25年ほど前にアルバイトして買った西ドイツ製のヴィオラだ。1979年製だからかれこれ26年前の楽器ということになる。1年半ほど前に見かねてメンテナンスに出して以来かまってやっていなかった。このところ休日はカイザー三昧だから、この週末2日間、昔の楽器でカイザーを練習することにした。

長い間放っておいたので、機嫌は当然悪い。チュウニングをしている間中、へそを曲げている。やはり楽器はたまに取り出してかまってあげないといけない。メンテナンスの第一歩は頻繁に弾いてあげることだそうだ。

胴長40cmだからほぼ標準サイズのヴィオラだ。いつも特大を弾いているので4の指が近い感じだ。2-4で取る長3度の連続や重音も楽である。このあたりの取り回しは現在の特大ヴィオラより数段楽だ。何のかんの言っても81年から10年間この楽器に世話になっていたのだから、弾き始めて間もなく機嫌が直ってきた。この楽器ではじめて弾いたブラームスの交響曲は4番だった。室内楽は確かクラリネット五重奏だ。

取り回しではこちらに軍配が上がるのだが、C線の迫力はやはり特大ヴィオラに分がある。体積は長さの3乗に比例するから胴長で5cmの差というのは決定的なのだ。出来ることなら足して2で割りたいくらいだ。つまり特大ヴィオラにこちらの取り回しがあれば鬼に金棒ということだ。「あちら立てればこちらが立たず」というようなこの種のジレンマこそがヴィオラの魅力なのかもしれない。

取り回しの悪さを埋めて余りあるテクニックがあるのが一番なのだが、そちら思うに任せない。

2006年10月 8日 (日)

花束の大きさ

早いものであれから1年が過ぎた。

コンサート後の楽屋に突撃して「ブラームスの辞書」をヘルムート・ドイチュ先生ご夫妻に手渡した「秋川の奇跡」が昨年の10月8日だった。そして10月10日には初めての海外出張で中国に旅立った。

中国出張があったせいで、ヘルムート・ドイチュ先生に著書を受け取っていただいた感激に浸っていられた時間がやけに短かった。あの日の先生の反応は昨年10月8日のブログに詳しいが、お礼にといただいた花束の大きさは今もこの腕の感覚が鮮明に記憶している。鮫島有美子先生を慕って楽屋まで集まった熱心なファンの羨望の視線が心地よかった。お金を出して買ったら相当な金額になったに違いない、見たこともないような立派な花束だった。それを惜しげもなく見ず知らずで飛び込んできた私に「持ってゆけ」といって手渡してくださったドイチュ先生を一生忘れることは無いだろう。

あのとき手渡した「ブラームスの辞書」opus121とopus43が、今もお二人の手許にあるのだと思うと気が引き締まる。

2006年10月 7日 (土)

柳の下へどじょうを探しに

芸術の秋たけなわである。今日からの3連休を利用して作品研究をしたいと考えている。盆休みの5連休のとき「ピアノ四重奏曲第1番op25~シェーンベルグ編」をブラダスに取り込んだ結果、いろいろと面白い収穫に恵まれたので、柳の下にどじょうを探しに行くことにした。9月30日に前期末レポート提出代わりの記事「シェーンベルグの辞書」をアップしたばかりだというのに休む間もなく次のネタを思いついた。

ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8には初版と改訂版がある。ブラームス自ら作曲工房を解放してくれているレアなケースだ。「ブラームスの辞書」では原則として改訂版を対象にしている。また「ブラームスの辞書」執筆の基礎になったブラダスには初版は収録されていない。この3連休の課題はピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8初版をブラダスに取り込むことだ。3連休中には終わらないかもしれないがチャレンジである。1854年の初版と1890年の改訂版を比較することで何か面白い発見があるかもしれない。

シェーンベルグ編の四重奏曲をブラダスに取り込んだことがキッカケで12本の記事が書けたのだから、今度も期待が膨らむ。獲らぬタヌキの皮にならぬようがんばりたい。

2006年10月 6日 (金)

作曲工房

「作曲の裏側」あるいは「作曲の舞台裏」のこと。作曲家が作品を仕上げて出版に至るまでの過程のことだ。一般に「着想」「スケッチ」「手稿」(草稿)「印刷決定稿」「校正稿」「初版」の諸段階があると解される。さらに作曲家が知人と交換した書簡にこれら諸段階について言及した部分がある場合も少なからず認められる。無論その全ての段階が紙に書かれた現物として現在まで保存されているわけではない。作曲家によりあるいは作品によりそれぞれ事情が違う。

現在に残された音楽作品は、それら諸段階の結果としての楽譜が残るだけである。一般素人にとっては、数々の素晴らしい作品がどのような過程を経て生み出されたのか興味は尽きない。しかしながら、こうした素人の興味に十分に答えるだけのエピソードや物証は必ずしも豊富ではない。

ベートーヴェンは実は豊富な方に属する作曲家である。耳が不自由だったせいで、ベートーヴェンは周囲の人間と筆談でコミュニケーションをした。その筆談に使った紙がまとまった量残っていることで思わぬところから作曲の裏側を覗くことが出来る。また膨大な量のスケッチ帳を残しているおかげで、著名な作品の「着想時期」が推定出来る。さらにベートーヴェンにはチェルニーという秘書同然の弟子がいつもそばにいたことも大きい。

一般にそうした物証は時代が新しいほど残り易いものなのだだが、ベートーヴェンより100年近く新しいブラームスなのに「作曲工房」が明らかになっていない点で横綱格である。

作曲の過程で使用したスケッチを残すことを潔しとしなかった節がある。スケッチどころか完成された作品でさえ、納得が行かねば容赦なく破棄してしまっていたくらいだから、スケッチをうっかり破棄し忘れるなどということがあるハズもない。だから結果として交響曲のような大作が、見た目突然ポコッと出来たかのように見えるという寸法だ。完成の日付と場所がわかっているだけという作品も少なくない。完成前に友人知人と意見交換をした作品の工房だけが、かろうじて友人たちの証言によって推測できるに過ぎない。第一交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第一番などがその例である。もっぱら相談をもちかけられていたヨアヒム、クララ、リーズルは膨大な情報を持っていたと思われるが、そのあたりの「裏事情」をペラペラと周囲に漏らしてはいない。そのへんの口の堅さも相談相手としての資格の一つなのだろう。

大きな例外が一つある。ピアノ三重奏曲第一番だ。1854年に出版された36年後、ブラームスは自らの手で改訂を施す。1890年の改訂版を完成形と見れば、初版はある意味で途中経過と位置付けられる。ブラームス自ら「作曲工房」を解放したと言える。他の作品で見せたブラームスの徹底した隠蔽ぶりから見るとこのピアノ三重奏曲第一番はよっぽどのことだと思わなければなるまい。

2006年10月 5日 (木)

カイザーの憂鬱

昨日アップした記事「譜めくり」で思い出した。

9月8日の記事「カイザー」でも言及した通り、今娘たちがヴァイオリンの練習の教材にカイザーの「36studies」op20を使用している。おかげでそのヴィオラ版を購入して私もはまっている。

娘たちは妻の遺品の中から発見されたカイザーを使用している。国内某大手出版社の刊行だ。私はアメリカのインターナショナル社製だ。最近妙なことに気付いた。国内版とアメリカ製で収められた曲の順番が変わっているのだ。国内版は36曲を3巻に分けて刊行しているが、そのうちの3巻に相当する25番以降の並び方が違っている。

  • 25番→28番
  • 26番→29番
  • 27番→25番
  • 28番→26番
  • 29番→27番
  • 30番→31番
  • 31番→32番
  • 32番→33番
  • 33番→30番
  • 34番→35番
  • 35番→36番
  • 36番→34番

という具合である。3巻の12曲は全て番号が変わっている。番号をそのままで順番だけ変えているという訳ではなくて番号そのものも差し替えている。どちらがオリジナルか判らないのだが、いずれにしろ変な話である。ブラームス最高のテネラメンテ作品118-2を勝手に作品118-6に変更するようなものだ。

さらにこのうちアメリカ製の27番(国内番の25番)に奇妙な場所がある。長女の練習に付き合っていて発見した。なんと45小節目がゲネラルパウゼになっているのだ。ご承知の通りの教則本なのに、この1小節が丸々休符になっている。次の46小節目が冒頭主題の再現になっているので、間置く意味と解せなくもないが不自然である。

長く不思議に思っていたがヴィオラ版を購入して謎が解けた。ヴィオラ版は36曲が1冊に収まっている。作品のレイアウトの関係だろうか、全36曲の中で唯一問題の27番だけが、作品の途中に譜めくりが存在するのだ。そして問題のゲネラルパウゼは譜めくりの直前に置かれているのだった。これには妙な説得力がある。世にも珍しい譜めくりの練習曲であるとも解し得る。

国内版ではこれを3巻に分けている上に25番に繰り上げて3巻の冒頭に持ってきているので、譜めくりが発生しない割付けになっている。ページの中段にゲネラルパウゼがポツンと存在する不自然が放置されている形だ。

してみるとオリジナルに近いのは1巻に収められたアメリカ・インターネショナル社製のほうだという公算が高い。国内版は空気を読まずにただ機械的に3巻に分けただけに見える。3巻に分けるだけならまだしも、作品の順番を変えているのに一切それに言及していない。挙句の果てにゲネラルパウゼが、訳も無く浮き上がってしまってはつける薬が無い。

何かよっぽどの事情があるといいのだが。

2006年10月 4日 (水)

譜めくり

演奏中に楽譜のページをめくること。楽譜の見開き2ページで終わってしまうような作品の演奏では発生しない。必ず2段の五線が存在するピアノは、他の楽器に比べて譜めくりをしなければいけない確率が増す。譜めくりをしくじっても少なくとも奏者の残り半数は演奏を継続できるオーケストラはまだましである。独奏曲や室内楽の場合は、必要な音が抜け落ちるという具体的な不都合が付いて回る。

ピアノの場合はとりわけ深刻で、正式な演奏会の場合には譜めくり担当者が付くのが恒例である。これにも人選や作法にかなりのノウハウがあることはヘルムート・ドイチュ先生の「伴奏の芸術」という本に詳しい。181ページからの3ページ半をその著述に割いておられる。また「ブラームス回想録集」という書物にはブラームスのピアノ三重奏曲の演奏にあたってブラームスがクララ・シューマンを譜めくりに従えての演奏の光景が描写されている。

学生時代にブラームスの第一交響曲を演奏した時、第4楽章の161小節目の後に出現する譜めくりをいかに円滑に行うかについて延々と練習を繰り返した記憶がある。アレグロのテンポで走りながら4拍分の時間で譜めくりをするのはなかなか大変だった。直前の160小節目から164小節目までの三連符は、ヴィオラにとっては絶対に落とせない場所なのだ。しかもディヴィジョンだから、譜めくりをしくじると下側のパートの音がごっそりと抜けてしまいかねない。こんなに大事な場所を2つに割るように譜めくりがあること自体いかがなものかという気がする。

室内楽にもある。弦楽六重奏曲第1番第1楽章216小節目の後に存在する譜めくりだ。こちらは4分音符3個の間に譜めくりを終えねばならない。第二ヴィオラと3度でハモることになっているので、めくり終えればいいだけではなく、音をキチンと出さねばならないのだ。

作曲家は自作がパート譜に直されたとき、どこのパートのどの場所に譜めくりが来るかまで考えて作曲していないと思う。譜めくり場所を含む全体のアレンジは恐らく出版社側の仕事である。長い休みの間に譜めくりが来るようにレイアウトを調節するハズだ。アレグロなら3小節は欲しいところだ。

譜めくりを考えなくて済むというのは、暗譜の最大のメリットだと思われる。認めたくはないのだが。

2006年10月 3日 (火)

脳内編集委員会

ブログ「ブラームスの辞書」を運営するためにあれこれと考えている。あたかも脳味噌の中に編集委員会が存在するかのようだ。

元はといえば著書「ブラームスの辞書」の販売促進・マーケティングの一環だったブログだが、継続しているうちに目的が変質してきてしまった。販売の手段だったはずのブログがいつの間にか一人歩きを始めてしまい、著書「ブラームスの辞書」を片隅に追いやってしまった感じである。「軒を貸して母屋を取られる」という図式だ。

次々と思いつくブラームスネタをまずは書き留める。記事の下書きをする。記事の内容に相応しい発信タイミングを考える。一般的な記事はこのように整理される。やがてそれらは学術系とイベント系に分類されて発信される。前者はカテゴリー「用語解説」にまとめられている。イベント系とは「三色対抗歌合戦」に代表されるような遊びの要素が濃い記事のことだ。

それら一般ブラームスネタに、日々過ぎてゆく中からブラームスに関連する時事ネタも吸い上げたタイムリーな記事を混ぜ込んでゆく。

そして昨今忘れてはならないのは、家族ネタだ。これが意外と読まれている。残念ながらオタクなブラームスネタよりも読者のリアクションが濃くて早い。

読者のリアクションは、最近機能向上が著しいアクセス解析の貢献もあって従来より格段に精度が高まった。読者の反応を加味しながら、血も涙もある記事配置をあれこれ考えることこそがブログの楽しみになっている。

2006年10月 2日 (月)

幕末の人物

何の断りもなく「幕末」という言葉を使ったら、「江戸時代末期」という意味になる。幕府は「鎌倉時代」や「室町時代」にもあったのに、「鎌倉時代」や「室町時代」の末期ではあり得ない。

蝦夷が朝廷側の論理によるところの「反乱」と位置付けられる軍事行動を起こした場合、征夷大将軍を鎮圧に向かわせるのが常だった。首尾良くこれを鎮圧した後、朝廷は京都に厳然と存在していながら、しばらく鎮圧軍の司令官つまりは征夷大将軍に当該地域の自治を認めたというのが幕府の起源である。朝廷が特定の地域の支配権を認め、当該地域管理の拠点とした場所に仮の政府を設ける。あくまでも仮なのでそこには壮麗な建物は建てず幕を張り巡らしたという。だから「幕府」というらしい。そこの長官は古来より、蝦夷の反乱を鎮圧した征夷大将軍と決められている。だから源頼朝も足利尊氏も徳川家康も「征夷大将軍」に任ぜられるとともに幕府を開いているという訳だ。「征夷」の意味合いが形骸化した後も、この名称だけはずっと残ったというわけである。

だから当初は「特定の地域」の定義はごく狭い地域、つまり反乱が起きたあたりに限定されていた。この「特定の地域」を「日本全国」に拡大解釈したのが鎌倉幕府以降の「幕府」だ。「朝廷が全国の支配を一時的に認めただけ」というロジックである。このロジックのおかげで、長い武士の世でも朝廷が存続し得た。同時に、政権を朝廷に返還するという「大政奉還」という裏技が実現した。

こう見えても私は歴史好きである。この文脈で、よもやブラームスネタではあるまいなとお疑いのそこの貴方、今しばらく辛抱願いたい。

中学3年の息子に「幕末」の意味を尋ねられた。かくかくしかじかと答えた。何でも戦国時代と幕末で好きな人物を1人ずつ挙げてレポートする宿題が出たとか言っている。「誰にするつもりだ?」と訊くと戦国時代は「織田信長」という答えだった。内心「ちぇっ月並み!」と思ったが、ぐっと呑み込んだ。「で、幕末は?」と尋ねると驚くべき答え。おおかた「坂本龍馬」あたりかと、タカをくくっていたら、「ブラームスじゃだめかな?」だと。

一瞬絶句した。さすがは私の子だ。テストの成績は、なかなか思うに任せないが、この種の機転には見所がある。問題は社会科の先生に洒落っ気があるかどうかだ。私なら座布団2枚に花丸を添えてやるのだが。

ブラームスは1833年5月7日生まれだから時代はキッチリ合っている。ちなみに坂本竜馬は1836年1月3日生まれだ。ブラームスは20歳でシューマンに出会ったが、坂本竜馬も20歳の時にはじめて江戸に出ている。

やれやれ。

2006年10月 1日 (日)

ゲーム中毒

受験レースも第四コーナーにさしかかろうかというのに、我が家の騎手は依然として手綱が緩んだままである。そもそもゲームが止まらない感じである。

しかし、これには親の私もうるさく言えない事情がある。私自身がいい歳こいてゲーム大好きだったからである。むしろ子供といっしょに楽しみたいクチだった。シュミレーションゲームが好きである。戦国系、三国志系、ドライヴィング系、競馬系、鉄道系、サッカー系それぞれのメガヒットゲームには大抵はまった前歴がある。某ゴルフ系ゲームに至っては神の認定を受けている。

しかしそうした私のゲーム中毒は、一昨年の夏にピッタリと止まった。一昨年の夏といえば我が家にパソコンが来て、「ブラームスの辞書」執筆のためのデータベース作成が始まった頃である。ブラダス入力が忙しくてゲームどころではなくなったというのが真相である。そのまま「ブラームスの辞書」が完成してもゲームの習慣が元に戻らなかったというわけである。「ブラームスの辞書」がゲーム中毒の特効薬だというわけである。刊行後もリバウンドが来なかったのは、ブログ「ブラームスの辞書」のお陰である。

先月福岡の太宰府天満宮にお参りして絵馬を奉納して来たが、まだ不安である。不肖の息子が天神様の本店のご威光に泥を塗りはしないか心配である。かくなる上は奥の手「ブラームスのご加護」が必要かもしれない。

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