焼却漏れ
10月6日の記事「作曲工房」や同じく12日の記事「作品8の改訂」でも言及したが、ブラームスは作曲の途中経過を容易に露にしないことを美徳としていた節がある。しかしもちろんそのことは「途中経過が存在しない」ということを意味してはいない。途中経過の内容を推定されるような証拠を処分していたことを指している。あるいは、途中経過を詳しく知り得た立場の関係者への口止めをも含まれる。
この点でもブラームスは作曲同様、完全主義者である。作品8の改訂は数少ない例外だ。これは36年を経た後の作曲観や音楽観に照らして、課題の残る唯一の作品の後始末と位置付けたい。
このケースとは別にブラームスが最終稿の前の段階の手稿の処分に失敗したと思われるケースが存在する。「愛と春Ⅰ」op3-2がそれである。aとbという2つのバージョンが残されている。ペーター版のブラームス歌曲全集にはbが収録されているが、我が家のドーヴァー版は嬉しいことに両方掲載されている。もしかするとブラームスは嫌がっているかもしれない。
全33小節の小品である。両者の違いは5~8小節目の節回しと伴奏。および11~12小節目の節回しが手直しされている。13小節目以降最後まで違いは無い。と思いきやである。起用されている音楽用語が意味ありげに代わっている。
- 1小節目 ピアノと歌両方に付与されていた「p dolce,espressivo e sempre legato」がピアノ側のみとされ。歌の側には「p」を置いた。
- 10小節目 「diminuendo e ritardando」がピアノと歌双方で単なる「ritardando」に置き換えられた。
- 12小節目 歌の側の「p sempre legato」およびピアノ側の「espressivo」「legato」が全部消去された。
- 14小節目 歌ピアノ双方から「crescendo」が削除。
- 16小節目 歌ピアノ双方に存在していた「f sostenuto e molto espressivo」のうち歌の側のみ削除。
- 21小節目 歌ピアノ双方に存在していた「p dolcissimo」のうち歌の側のみ削除。
以上が変更の明細である。これには下記の通りの特徴が見て取れる。
- 全ての変更が「シンプル化」を指向している。「大袈裟気味の指定」が初期のピアノ作品に集中して現れ、中期以降姿を消すことと矛盾しない。
- 特に歌のパートへの指図の抹殺を意図している。この現象はop19を境にそれ以降歌のパートへの指図が激減する傾向と一致している。
- 上記1番3番5番の各指定はブラームスの生涯でここにしか存在しない、いわゆる「むすめふさほせ型」である。
上記のような推敲が、おそらく全ての作品において行われていたと推定したい。そのほとんどの証拠は、ブラームスによって処分、おそらく焼却されていたと思われる。
たまたま運良く(ブラームスにとっては運悪く)焼却を免れたのが作品3-2なのだろう。ほとんど音楽考古学の世界である。
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