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2006年10月 2日 (月)

幕末の人物

何の断りもなく「幕末」という言葉を使ったら、「江戸時代末期」という意味になる。幕府は「鎌倉時代」や「室町時代」にもあったのに、「鎌倉時代」や「室町時代」の末期ではあり得ない。

蝦夷が朝廷側の論理によるところの「反乱」と位置付けられる軍事行動を起こした場合、征夷大将軍を鎮圧に向かわせるのが常だった。首尾良くこれを鎮圧した後、朝廷は京都に厳然と存在していながら、しばらく鎮圧軍の司令官つまりは征夷大将軍に当該地域の自治を認めたというのが幕府の起源である。朝廷が特定の地域の支配権を認め、当該地域管理の拠点とした場所に仮の政府を設ける。あくまでも仮なのでそこには壮麗な建物は建てず幕を張り巡らしたという。だから「幕府」というらしい。そこの長官は古来より、蝦夷の反乱を鎮圧した征夷大将軍と決められている。だから源頼朝も足利尊氏も徳川家康も「征夷大将軍」に任ぜられるとともに幕府を開いているという訳だ。「征夷」の意味合いが形骸化した後も、この名称だけはずっと残ったというわけである。

だから当初は「特定の地域」の定義はごく狭い地域、つまり反乱が起きたあたりに限定されていた。この「特定の地域」を「日本全国」に拡大解釈したのが鎌倉幕府以降の「幕府」だ。「朝廷が全国の支配を一時的に認めただけ」というロジックである。このロジックのおかげで、長い武士の世でも朝廷が存続し得た。同時に、政権を朝廷に返還するという「大政奉還」という裏技が実現した。

こう見えても私は歴史好きである。この文脈で、よもやブラームスネタではあるまいなとお疑いのそこの貴方、今しばらく辛抱願いたい。

中学3年の息子に「幕末」の意味を尋ねられた。かくかくしかじかと答えた。何でも戦国時代と幕末で好きな人物を1人ずつ挙げてレポートする宿題が出たとか言っている。「誰にするつもりだ?」と訊くと戦国時代は「織田信長」という答えだった。内心「ちぇっ月並み!」と思ったが、ぐっと呑み込んだ。「で、幕末は?」と尋ねると驚くべき答え。おおかた「坂本龍馬」あたりかと、タカをくくっていたら、「ブラームスじゃだめかな?」だと。

一瞬絶句した。さすがは私の子だ。テストの成績は、なかなか思うに任せないが、この種の機転には見所がある。問題は社会科の先生に洒落っ気があるかどうかだ。私なら座布団2枚に花丸を添えてやるのだが。

ブラームスは1833年5月7日生まれだから時代はキッチリ合っている。ちなみに坂本竜馬は1836年1月3日生まれだ。ブラームスは20歳でシューマンに出会ったが、坂本竜馬も20歳の時にはじめて江戸に出ている。

やれやれ。

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コメント

<麻由子様

見所あるでしょ。

そりゃあまあ、家でも車の中でも年中ブラームスばかり鳴らしていますからねぇ。脳味噌に刷り込まれてますよ。

「アルトのパパさんの息子」つまり「アルト」でした。

あはは~♪
さすがはアルトのパパさんの息子さん!!
ブラームスもビックリでしょう。
世の中広しと言えども、中3男子でこの発想は、
他ではお目にかかれません☆☆☆
「好きな人物」というところが、また嬉しいですね♪

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