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2006年11月30日 (木)

四つであるということ

本年9月2日の記事「いけない想像」の中で「四つの厳粛な歌」がソナタの輪郭をなぞっていなかという思い付きを披露した。本日はその続きである。

昨日11月29日の記事「探せば探すほど」の中で「四つの厳粛な歌」のピアノ独奏版のCDを入手したと書いた。何度かじっくり聴いた。レーガーの編曲は奇をてらったところがない。ルバートが目立つのはレーガーのせいとばかりは言えまい。

クラリネットソナタ2曲にサンドイッチされる形で収録されているのが何か意味ありげだと最初から思っていた。演奏時間を見てぎょっとした。「四つの厳粛な歌」は4曲合計で18分を超える演奏時間だ。一方のクラリネットソナタは一番が21分少々、2番が19分少々だ。演奏時間の上では似たり寄ったりなのだ。クラリネットソナタはブラームスにあっては小ぶりのソナタとはいえこれには少し驚いた。

第1曲は序奏付きのアレグロに聴こえる。第2曲は遅めのサラバンドの影が見え隠れする。第4曲は「Andante」であることを忘れさせる軽快さだ。編曲者レーガーも、このCDのピアニストも何かを訴えているかのようだ。そして本編曲の白眉は第3曲だ。未発表のインテルメッツォとでも紹介されたらうっかり信じ込みかねない。

我が家には、「四つの厳粛な歌」の編曲物のCDが3種類になった。チェロ版、管弦楽版、ピアノ独奏版だ。ハンガリア舞曲には劣るが、この曲が深く愛されている証拠だろう。

2006年11月29日 (水)

探せば探すほど

本年9月20日の記事「誤植」で、何度校正しても無くならないという話題に言及した。人間の注意力の限界付近の話である。あまり良くない話なのだが、今日はその逆だ。

時々CDショップを覗くのが癖になっている。月に2回くらいは発掘調査をしている感じだ。行けば行ったでそこそこじっくりと見ているのだが、毎回発見がある。9月29日のフルートソナタや10月15日のクラリネットソナタのヴァイオリン版もその類だった。つまり相当念入りに売り場を探したつもりでもやはり見落としがあって、次に覗いたときにそれがまた新発見になるという流れの繰り返しである。

今日もまたお宝に巡り会った。

「四つの厳粛な歌op121」のピアノ独奏版のCDを発見した。編曲者はマックス・レーガー。ドイツ製のCDだ。2曲のクラリネットソナタが一緒に収められている。1番で始まって「四つの厳粛な歌」を挟んで2番が配置されている。

  • クラリネット Dieter Kloecker
  • ピアノ Cladius Tanski

日本語のラベルが「クラリネットソナタ」となっている上、クラリネットソナタの売り場に並んでいては見落としもやむを得ぬ。実際に日本語のラベルを取り去ってオリジナルのジャケットを見ると、「クラリネットソナタ」と「四つの厳粛な歌」が併記されている。少なくとも同等の扱いを受けていることが判る。それがピアノ独奏版であることもタイトルに準ずる大きさの文字で明記されている。輸入盤に日本語のラベルをかぶせて判りやすくしたつもりだろうが、完全に裏目である。この類のCDを扱うくらいの店ならばもう一工夫を求めたくなる。

CDショップにおける編曲物の陳列の仕方はかなり難しいのだろう。売り場の広さに余裕があれば原曲側と編曲後の編成の側の双方に陳列すればいいのだが、なかなかそうも行くまい。そういうレアものはまず売れ筋のハズがないから扱いもそこそこでしかなくなる。

そうした中で掘り当てたという満足感もお値段のうちである。

2006年11月28日 (火)

ブラームスザール

ウイーン楽友協会小ホールのこと。もちろんネーミングライツではない。これが伝統というものか日本にありがちな取ってつけたような感じがしないのはさすがである。

1990年11月28日新婚旅行でウイーンを訪れた際、最初に出かけたコンサートの会場だった。雲の上を歩いているような気分で出かけた。演目はシューベルトのリーダーアーベントだ。8日連続演奏会の4日目だ。1815年と1816年の作品だとポスターに書いてあった。料金は100シリング。1200円だ。

特筆されるべきは演奏者。バリトンがヘルマン・プライで、ピアノがレオナード・ホカンソンだ。生唾もののメンツだ。おまけに場所がウイーンのブラームスザールで1200円ではバチが当たりかねない。惜しむらくは演目がシューベルトだったことだ。これが「四つの厳粛な歌」だったりしたら卒倒ものである。

とはいえシューベルトはヘルマン・プライの十八番である。うまい下手よりも印象に残っているのは、歌と歌の間のトークだ。もちろんドイツ語だから全く理解できなかったが、聴衆がよく笑っていた。ウイットに富んだ語り口だということは不思議と伝わってきた。みんなプライの人柄を知っていて、トークも楽しみにしている感じだ。

プライはフィガロがはまり役であった。ファッシャーディースカウの伯爵との丁々発止は痛快だった。シューベルトだけではなくブラームスの歌曲もいい。「小粋」という感じ。大きな子供っていうようなイメージ。「いかにおわすか我が女王」op32-9なんかはまりきっていた。このほど廉価版で「四つの厳粛な歌」と民謡からの抜粋のCDが出て思わず買ってしまった。

彼もまたブラームスザールの思い出の一コマだ。

2006年11月27日 (月)

大掃除

11月21日に記事「カテゴリー改訂月間」の中で宣言したカテゴリーの改訂がひとまず完了した。過去の記事全てのカテゴリーの洗い直しが終了したという意味で「ひとまず」とした。カテゴリーの数は60を数えた。今後も記事の内容によっては順次追加する。

今後、書き溜めた記事の改訂を順次進めてゆく。未公開の記事は読者に影響がないから少し時間をかけて進めることとする。

最初の記事から593本全て読み直すことが出来た。ブログ「ブラームスの辞書」のあり方を見つめる良い機会になった。時間の経つのはあっという間だと感じているのだが、ブログを読むと長い。カテゴリーの再貼り付けは意外と手間がかかった。概ね以下のルールで貼り付けたが、やっているうちに基準が揺れたりもしている。

  1. 1つの記事にカテゴリーは3つまで。
  2. 記事の内容に照らして最も相応しいものを選んだ。
  3. カテゴリー名の先頭には番号を付与した。こうしないとサイドバーで表示される際に文字コード順になってしまう。関連のあるカテゴリー同士を近寄って表示させるため工夫だ。
  4. 「用語解説」「ブログマネージャー(ブログMng)」を柱としている。
  5. 既存のカテゴリーに無理に記事をあてはめない。既存のカテゴリーで不足があればカテゴリーの新設をした。記事の内容がカテゴリーに振り回されるのを防ぐ措置だ。思った通りの記事を書き、結果としてカテゴリーがある。先にカテゴリーありきではない。

作業の最初の頃と後のほうで指定の基準が微妙に変わってしまっている。あまり整合性を厳格に考えているとサッパリ作業が進まなくなるので直感を尊重した。だからある程度整合性は犠牲になったと思う。ほころびに気が付き次第訂正を入れて行きたい。

目安程度の効果しか期待出来ないということもよく認識出来た。カテゴリーのand検索が出来るとさらに使い勝手が上がるのだと思うが手が付けられていない。

ブログらしくなったかと言うより気分の問題だと思う。気になって仕方のなかった課題が解決した。一足早く大掃除が出来たような感覚である。

5週連続して「のだめネタ」をアップして、「月曜日はのだめ」状態が一人歩きを始めかけていた。「のだめネタ」は続けようと思えば、かなり続いてしまいそうなのが厄介である。このあたりで途切れさせることでブログ「ブラームスの辞書」のアイデンティティーを自ら確認するのもよかろう。「のだめ」への過度な依存は慎みたい。

2006年11月26日 (日)

勉強とヴァイオリン

期末テストが近い。

ヴァイオリンの練習の後、何やらいつもと違う表情で長女が尋ねてきた。「パパは私がヴァイオリン上手いのと勉強が出来るのとどちらが嬉しい?」

何食わぬ顔で「ヴァイオリン」と即答した。中学入学以後の長女の成績や勉強のやり方を見ていてそう断言出来る。だからといって勉強を放り出してヴァイオリンに打ち込むような玉ではない。「勉強」とでも答えようものなら「テスト前には少し練習時間少なくしてよ」という二の矢が飛んで来るのは見えている。「どっちも嬉しい」「程度次第だろ」「ケースバイケース」という答えも一瞬浮かんだが、様子を見たくて敢えて「ヴァイオリン」と答えた。即答と言ってもこのくらいは一瞬で判断していた。彼女の親を13年もしているだけあって空気は読めている。これが次女だとまた違うのだけれど。

案の定「え~っ。そんな親いる~?信じられな~~い!!」「ヴァイオリン上手いより勉強が出来る方が役立つじゃん」というリアクションだ。予想通りである。ここでむきになって説得を試みるのは野暮というものだ。「そのうち判るよ」とだけさりげなく強調した。「お兄ちゃんには勉強出来ないと将来困るって言ってるのに」と見えている範囲内で精一杯の反論をしてくる長女がいとおしい。今不満を感じれば感じるほど、将来判った時の効果も大きいのだ。

まさに飛んで火にいる夏の虫とはこのことだ。突き詰めれば人生観に到達しかねない話なのだ。娘の方から議論をふっかけてくるとは運がいい。もちろん彼女の現在の学力や学習意欲を正確に把握した上での話で、長女に関する限り「ヴァイオリンが上手いほうがいい」と言う方が絶対にいい。今の彼女が理解するかどうかとは全く関係がない。いずれ判る日が来ると思う。この話題を蒸し返すだけで、いつでも娘と人生観を語り合えることになっただけで今は十分である。もしかすると今日のやりとり自体はヴァイオリンが上手いことより貴重かもしれない。

私は国語・算数・理科・社会から得たことの数倍の果実を、今になってブラームスや音楽から収穫しているのだ。受験科目にあるかないかは超短期的視点に過ぎない。勉強が出来ないのをヴァイオリンのせいにするようなら、勉強だけに打ち込んだところ高が知れている。長女はブラームスのヴァイオリンソナタが弾けることがどれだけ素晴らしいかわかっていない。

しばらく油断ならない神経戦が続く。望むところである。

2006年11月25日 (土)

結婚披露宴のブラームス

本年5月28日に、もしも運動会のBGMが全部ブラームスだったらというネタを記事にした。本日の記事はノリが似ている。「結婚披露宴のBGMが全部ブラームスだったら」という話だ。

  1. ウエルカムミュージック 「弦楽六重奏曲第1番第1楽章」 開演までの時間は流れる雰囲気が望ましい。一方で華やいだ雰囲気も必須かと存じます。
  2. 新郎新婦入場 「ハイドンの主題による変奏曲冒頭主題」 私の披露宴の時は本当にこれだった。いわゆる「聖アントニーのコラール」
  3. ケーキ入刀 「交響曲第1番第4楽章piu andante」 ケーキにナイフが入ったところで歓喜の主題になだれ込む。微妙なタイミング合わせが難しいが、上手くいくとかっこいい。私の時は上手くいった。
  4. 乾杯 ワルツop39-1ロ長調」 「乾杯」の発声と同時にワンコーラスをキリッと鳴らすと様になる。
  5. 新婦お色直し退場 「弦楽四重奏曲第3番第2楽章冒頭」 ブラームス唯一のカンタービレは新婦の晴れ姿に似合う。
  6. 新郎お色直し退場 「交響曲第2番第3楽章冒頭」 新郎の退場ですから。ユーモラスに。
  7. 歓談の時 「管弦楽のためのセレナーデ第1番第4楽章メヌエット」 セレナーデ本来の使用方法を守る。リピートが多いので演奏時間が柔軟に調整出来る。
  8. 祝電披露 「ワルツop39-15イ長調」 素朴なオルゴールのイメージで。 
  9. キャンドルサービス 「ピアノ四重奏曲第1番第3楽章冒頭」 これしか思いつかない。
  10. 花束贈呈 「ピアノ四重奏曲第3番第3楽章冒頭」 チェロの名手がいないと苦しいが、はまったときの効果は折り紙付き。短調に傾きがちな翳りが良い。
  11. 新郎父挨拶 インテルメッツォイ長調op118-2」 「新郎父の挨拶の声をかき消さない音量で」という条件が守れれば最大の効果が上がる。
  12. 新郎新婦退場 「ピアノ三重奏曲第1番第1楽章冒頭」 入場の時よりは流れるテンポのほうがいいと思う。

 あくまでも受けネライの選曲だ。短調の曲が無かった。結婚披露宴でるあることを考えると仕方がない。

これで受ける客がそうそういるとも思えないのが、難点かもしれない。

2006年11月24日 (金)

BMW?

10月2日の記事「幕末の人物」でお騒がせした我が家の未来のチェリストである長男の話題である。

今日、いつもの通り次女とヴァイオリンの練習をしていた。練習を終わったころ、長男がのそっと部屋に入ってきて、「バッハって車に関係あるの?」と訊いてきた。「はあ~?」と声を合わせる次女と私。「なんで?」と聞き返す。「だって楽譜にBMWって書いてあるから」という驚くべきセリフ。どれどれと長男の指さす先を見ると「BWV1041」だ。

絶句というのはこのことだ。長男は自動車大好きで、特にドイツ車大好きなのでこの反応だ。「あのなあ~」と言ったっきり後が続かない。

BMWとBWV

そう言われてみると似ている。アルファベットの大文字「B」の後ろにギザギザが続くところがそっくりと言えばそっくりだ。

BMWとは「ayerische otoren erke」の略で「バイエルンのエンジン屋さん」という意味だ。

一方のBWVは「ach erke erzeuchnis」の略。ウォルフガング・シュミーダーという学者さんが出版したバッハ作品の総目録のことだ。1から1080まである。膨大なバッハ作品の個体識別に寄与している。昨今不備も明らかになっているが、今やこの数字は神懸かり的な意味を持っている。

「W」だけは共に「Werke」の意味である。BMW社は自社の製品に3ケタの番号を付与するしきたりがある。たとえばBMW525という具合である。バッハのオルガン作品の愛好家がこういう車に乗っているみたいなこだわりがありそうで怖い。

受験レースもホームストレートに入った。

2006年11月23日 (木)

イ長調三重奏曲調査報告

真贋論争がある伝ブラームス作曲のイ長調ピアノ三重奏曲について報告する。

11月12日の記事「拍子抜け」でも書いたとおり、やはりというか案の定というか楽譜上に存在するカッコ「( )」は厄介であった。スラーやアクセントに付与されたカッコを除いても22種70箇所で音楽用語がカッコととも用いられている。英語の序文に言及があるのかもしれないが良く分からない。

カッコ付きダイナミクス記号の大半は、クレッシェンドの一里塚用法に特化している。2パートにダイナミクスがある時、残りの1パートに念押しの意味の同じダイナミクスがカッコ付きであてがわれている。校訂者による解釈に近い指示も散見される。このような使用の実態から見て、このカッコはオリジナルには存在していないと解したい。出版に際して校訂者が付与したものと見るのが妥当だと思う。さらに厄介なのはカッコの有無がピアノ譜面と弦楽器のパート譜の間で異なっているケースも散見される。逆にもしも一連のカッコ付き用語が、オリジナルにも同様な形で存在したとすると、私は真作説を支持することは出来ない。

だからこの際「カッコ付き用語はオリジナルには無かった」という前提で特記事項をまとめた。

  1. ピアノ三重奏曲第1番の初版では全1728小節中、101種類の音楽用語が609箇所に分布している。2.84小節に1回の頻度だ。これに対して、問題のイ長調三重奏曲では、34種が507箇所に分布している。1.84小節に1回だ。音楽用語が出現する頻度は上がっているのに、用語の種類は3分の1しかない。これが今回の分析で判る最大のポイントだろう。思わず辞書を書きたくなるくらい豊かで多彩な用語遣いが特色のブラームスなのに、用語の種類が少な過ぎる。
  2. ダイナミクスの分布でも気になることがある。「pp」が極端に少ない。ピアノ三重奏曲第1番では初版でも改訂版でも20%少々を占めているが、このイ長調三重奏曲では2.9%に過ぎない。わずか7分の1では誤差として済ますわけには行かない。
  3. 「pp」だけではなく「ff」も少なめである。減った分は結果として「p」「f」が厚めになっている。それだけならばともかく「mf」が13%も存在するのがやや異例である。ブラームスの一般的なダイナミクスバランスとはこの2点で違いが見られる。
  4. ピアノ三重奏曲第1番に比べて明らかに使用が薄いのは「dolce」「maracato」「leggiero」だ。「espressivo」の頻度は変わらない。
  5. 逆に使用が増えている用語もある。「cantabile」「con fuoco」「con affetto」だ。「con fuoco」以外の2つはブラームス作品では珍しい。
  6. 微調整語「poco」が一切用いられていない。他に「piu」も僅かに2箇所しかない。
  7. 「ritardando」を筆頭格とするテンポ変換系の用語「sostenuto」「animato」が全く現われない。「a tempo」「in tempo」のテンポリセットも当然無い。

<肝に銘じておくべきこと>

誰が作曲したにせよ、926小節を擁するこの堂々たるソナタが1938年の出版まで一般に知られていなかったことは、確実である。ブラームスの遺作として鳴り物入りで発表されれば、その道の研究者愛好家は鵜の目鷹の目で検証するだろう。それでも誰も過去の誰それの作品だという指摘をしなかったこと、あるいは出来なかったことの意義は大きい。その点は、発見者がぬかりなく精査しているのだろう。

イ長調三重奏曲をブラームス本人が出版しないつもりだったから、楽譜にこまごまとした指定を記入していなかったとも考えられる。元々全ての作品が草稿の段階ではこの程度で、出版前に詳細に書き込んでいたかもしれないからだ。このことは常に念頭に置いて考えねばならない。以下の議論ではこの点は、棚上げする。

<真作説に不利な所見>

時代が下るに従って、大袈裟な表現は影を潜める傾向があるが、配置される用語の種類が減るわけでない。イ長調三重奏曲を論じる際に、その作曲年代を1850年代、つまり創作の初期と仮定することが多いようだが、用語の種類の薄さはこれとは矛盾する。これに気付いていた校訂者が、出版に際して記号を補ったのが、膨大なカッコ付き用語群だと考えたい。FAEソナタのブラダスデータ調査の結果、用語密度はイ長調三重奏曲よりも極端に少ないことが判明した。用語密度の薄さは真作説に不利とはいえなくなったのでここに訂正する。12月17日の記事参照

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/12/post_0780.html

微調整語「poco」や「piu」の欠落も真作説には不利だ。こうした微調整語を駆使して独特のワールドを形成するのがブラームスだからだ。テンポ変動系用語と、テンポリセット系用語の欠落も、真作説には不利だ。こうしたテンポの煽りと抑制がブラームス節の根幹でもあるからだ。これらの特徴は真作であるならば創作の初期から明らかである。こうした独特の用語は、校訂者が安易に手を加えることを拒む雰囲気を持っている。普通に考えれば悪意ある校訂者ではない限り、加筆も削除もしにくいのが自然である。よってこうした用語の出現頻度と分布は草稿のまま保存されている可能性が高いと思う。

「leggiero」「dolce」「marcato」が少ないのも不利だ。

<真作説に有利な所見>

聴いてみるとところどころブラームスの初期室内楽を髣髴とさせる部分がある。同じイ長調を共有するピアノ四重奏曲第2番とフィナーレの感じが似ている。8分の6拍子のスケルツォがハ短調になっていのは不利な要素だが、代わりに採用された嬰へ短調というのはクララとの関係を考えるとギリギリ許容範囲かもしれない。またその中間部が4分の3拍子に転ずるのは、ヘミオラ好きのブラームスの嗜好をなぞっていると思う。

第一楽章の第2主題部に付点のリズムが出る。これはブラームスにはよくある音形だ。

・・・・・・・・・

結論からいうと「少し怪しい」である。でも「わからない」が正しいと思う。当たり前の話だ。私ごときに判るはずはない。目の前に作品が存在する以上、誰かが作曲したことは確実ながらブラームスの「真作だ」とも証明出来ない代わりに、「真作でない」とも証明出来ない。

これだけの室内楽を作曲した苦労には何かの形で報いてあげたい気分である。

2006年11月22日 (水)

慣性恒温

生物学用語。自らの体温が周囲の温度に左右されない動物を「恒温動物」と呼んでいる。我々人類を含む哺乳類はこれに相当する。いつもアイドリングをしているようなもので、冬でも元気に動ける代わりにたくさんの餌を必要とする。逆に体温が周囲の温度に左右されてしまう動物を「変温動物」と呼んでいる。爬虫類がその代表である。古来より有名な論争がある。「恐竜ははたして恒温動物だったか」という論点だ。学界では一部の小型肉食恐竜についてはこれを肯定する意見もある。

生物の適応とは大したもので、実は「恒温」「変温」の中間の形態があるという。それが本日のお題「慣性恒温」である。身体の機能は「変温動物」のままでありながら、身体を大型化することで、結果として恒温を実現している一群がいたらしい。保持している熱の量は体積に比例する一方、冷めやすさは表面積に比例するから、身体が大きいほど冷めにくいことになる。恐竜が大型化した理由を「慣性恒温」の獲得に求める学者もいる程である。大きいことはいいことなのである。

さてさてブログ「ブラームスの辞書」がどのような検索ワードから検索されているのかには、ずっと興味をもっている。先月の「のだめ」のテレビ放映や最新刊の発売を機に、アクセスが急増したりという現象を見るにつけ、ますます検索される立場として目が離せなくなった。

一般にデータベースといえば、パラメータがキチンと管理され、データの追加変更削除がマニュアル化されているものだ。そうしたデータ保守さえキチンとしていれば、簡単な操作でデータのソート・抽出・加工が行える。データベースという言葉からそんなイメージが想定される。

ところが昨今、いわゆる検索エンジンが進歩した結果、パラメータ管理がパーフェクトでなくても結果として抽出だけは早く確実に出来るような時代が来てしまった気がしてならない。ブログ「ブラームスの辞書」の検索のされ方、たどり着かれ方を見ているとつくづくそう思う。ブログ「ブラームスの辞書」は今日の記事を入れて588本もの記事の堆積である。執筆者は私一人。テーマはブラームス中心を謳っているものの、対象は不定である。記事の形態も長さも決まりがない。つまりパラメータが均質とはとても言えない状態なのだ。

でありながら588本という記事の絶対量が物を言って、ブラームス関連の用語について言えば、かなりの量の用語が結果として蓄積してしまっている。それが昨今の優秀な検索エンジンにすくい上げられているという訳だ。元は「素人の駄文」の堆積なのだが、量がまとまったおかげで、あたかもデータベースが存在するのと同じ結果をもたらしている。記事を毎日欠かさずアップするということは、つまり疑似データベースの拡充をしていることに他ならないのだ。「ブラームス」という単語を含む2つ以上の単語をand検索すると、「ブラームスの辞書」が抽出される確率はもはや低くない。そのうちのいくつかが、上位10位以内に表示されることも起きてくる。

記事の堆積量がものを言ってこの先「慣性恒温」ならぬ「データベース機能」を獲得してしまうかもしれないブログのお話である。

2006年11月21日 (火)

カテゴリー改訂月間

ずっと気になっていた。ブログ開設1年を経過した頃からだったと思う。

ブログには記事を内容によって分類するカテゴリーという機能がある。ブログの説明には「記事を見やすく整理するのに便利」とちゃんと書いてあるのに、軽視していた。立ち上げの時、こんなにブログが続いて記事が蓄積するとは思っていなかった。バックナンバーの記事の整理が重荷になるとは考えてもいなかった。とても大雑把にカテゴリーを設定して、何でもかんでも放り込むというやり方が、既に限界を超えている。何人かの親しい友人からそれは指摘されていたにも関わらず手が付けられずにいた。

そもそも「ブラームスの辞書」というタイトルのブログに「音楽」やら「ブラームス」やらのカテゴリーがある事自体、わかりにくさを増幅している。

今日まで588本の記事が12のカテゴリーに分けられていると言えば聞こえはいいのだが、実質的には野放しだ。1カテゴリー平均50本の記事が存在する計算になる。これでは読者にとって何の意味もないばかりか、管理人の私自身にとっても不便だ。

今日からの1ヶ月間を「カテゴリー改訂月間」と命名して、カテゴリー体系を刷新する。現在の予定のところ約60のカテゴリーを考えている。最悪でも年内に工事を終えたい。サイドバナーへの表示順を見易くする他、1つの記事に複数のカテゴリーを付与するなど工夫を施したい。記事が増えれば整理する。つまり散髪に行くようなものだ。

工事中は一部ブログ上に不整合も生じると思われるので思い切って宣言することにした。

2006年11月20日 (月)

のだめの中のブラームス【21】

11月6日の記事でブラームスという単語がコミック「のだめカンタービレ」の中で何度用いられているかレポートした。1巻から16巻までの中で33回を数える。次なる疑問は、同様の数え方をした場合、いったい誰が最も多用されているのかということだ。そしてブラームスの33回というのは全体から見るとどういう位置付けなのかという点に興味が移る。

今回はその点について報告する。カウントの方法は11月6日の記事「のだめの中のブラームス⑳」で記した通りだ。独特ののだめ用語「モツアルト」「シュベルト」「ベトベン」もそれぞれ「モーツアルト」「シューベルト」「ベートーヴェン」の集計に加えた。杓子定規にこれらを除外すると本質を見失いかねない。

早速以下に集計結果を記す。

  1. モーツアルト 84回
  2. ベートーヴェン 61回
  3. バッハ 40回
  4. ブラームス 33回
  5. シューベルト 29回
  6. ラフマニノフ 24回
  7. ショパン 21回
  8. リスト 21回
  9. ラベル 20回
  10. シューマン 18回
  11. チャイコフスキー 14回
  12. ドビュッシー 13回
  13. ハイドン 12回
  14. ドヴォルザーク 10回
  15. エルガー 8回
  16. バルトーク 7回
  17. アンドレ・ジョリベ 6回

以下シベリウス、ストラビンスキー、プーランク、ロッシーニ、ワーグナーが5回で並んでいる。4回がRシュトラススとベルリオーズの2人。3回に海老原大作、マーラー、レオポルド・モーツアルトの3名続く。

サンサーンス、サラサーテ、武満徹、デュカス、パガニーニ、フランク、メンデルスゾーン、ラロが2回だ。

ヴェルディ、ガーシュイン、グリンカ、ショスタコービッチ、ショーソン、スカルラッティ、ニールセン、ヒンデミット、リムスキー・コルサコフ、フォーレが1回だ。

ブラームスはモーツアルト、バッハ、ベートーヴェンに次ぐ第4位だ。モーツアルトが3大Bを押えてトップに立っている。第15巻のブノワ城におけるリサイタルが大きく貢献しているように思う。仮にブノワ城の貢献がなくてもベートーヴェンと首位の座を争っていることは確実である。

ブラームスの33回4位というのはけして低い位置付けではない。

スクリャービン、シェーンベルグ、グリーグ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、ムソルグスキー、ボロディンの面々は登場していなかったと思う。シュトレーゼマンや野田恵も作品を作ったという意味ではここに加えるべきかもしれないが、実在ではないのでカットした。

2006年11月19日 (日)

スコルダトゥーラ

弦楽器の調弦法のひとつ。弦楽器の4本の弦の複数または一つを意図的に通常と違うピッチに調弦すること。大抵は作曲者の考えが反映する。

有名なところでは、モーツアルトの協奏交響曲変ホ長調K364だ。ヴァイオリンとヴィオラが独奏を受け持つが、このうちのヴィオラにスコルダトゥーラが指定されている。4本全ての弦を半音高く調弦して、半音低いニ長調の楽譜を弾くようになっている。半音高く調弦することで張力が増強され、響きに輝きが増すことが狙いだと思われる。運指が楽なことと、開放弦が使いまくれることも狙いの一つかもしれない。独奏ヴァイオリンはお構いなしで、独奏ヴィオラにだけこうした措置が施されているところがミソである。

現在市販の楽譜ではヴィオラも通常チューニングが前提になっているものが多い。当時と違って、弦の張力が格段に向上している現在これをやると、楽器を痛めはしないかと心配する向きに配慮したと思われる。

シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調第3楽章には、曲の途中でチェロのC線を1音下げるという指示がある。これも一種のスコルダトゥーラなのだろう。

バッハの無伴奏チェロ組曲の第5番ハ短調BWV1011にもスコルダトゥーラが採用されている。こちらは最高弦のA線だけが対象だ。A線を1音低いG音に調弦するよう指図がある。低い方からC-G-D-Gとなる。お気づきの通りG線が2本だ。楽譜もこれが前提で書かれている。我が家のCDでは、ヴィオラ版のミルトン・トーマスがこの調弦方法で演奏している。またペーター版のヴィオラの楽譜にはオリジナル調弦と、通常調弦の両方の楽譜が収められている。

最近せっかく無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版に親しんでいるのだから、私もヴィオラのA線を1音下げてオリジナルの雰囲気を楽しんでみた。オリジナル調弦版を使っていつもの通りの要領で弾けばいい。しかししかし、ことはあまり単純ではない。D線でポジションを上がっていると不安が先に立って楽しめない。慣れるのに時間がかかる。慣れによって解消する性質の課題は棚上げとして、意外と厄介なのは、楽譜の景色が決定的に変わってしまうことだ。音符の並び方で、その瞬間や周辺の和音の成り立ちにおよその見当をつけているのだが、その見当が狂ってしまうのだ。重音やアルペジオの際の心構えに影響する。

申し遅れたが、ブラームスにはスコルダトゥーラは出現しない。

2006年11月18日 (土)

冬支度

あまり寒さが厳しくない地方に住んでいるので冬支度とは大げさだが、今年も火鉢をスタンバイさせた。餅網、火箸、火消し壺、火おこし器を取り出して炭を買ってきた。5年程前に近所の古道具屋に行って買い求めた火鉢だ。子供たちはすでに慣れっこになっていてクールだが、子供たちのお友達が来ると珍しそうにしている。

毎年ストーブに先立って取り出されている。ストーブほど露骨な暖房器具でないところがいい。暖めることに特化していないというか、遊びあるいは余裕が感じられるのが火鉢の魅力である。さほど冷え込まないうちから出しても暑苦しくない。5月の連休あたりまで出しておいても邪魔に感じない。

もちろん真冬は快適だ。暑くなりすぎない。ヤカンからいつも水蒸気が出て部屋が適度に湿る。換気にだけ注意しているが、子供たちが時々窓を全開してくれたりする。火鉢の上の方はとても暖かいのに、火鉢の底はひんやりとしていて畳が熱くならない。朝起きて炭の匂いがするのはとても気持ちがいい。巨大地震に襲われた場合も、上のヤカンが倒れて自動的に消火されるという仕掛けが心地よい。

そして最大のメリットは、火鉢で焼く食べ物だ。おにぎり、トースト、餅が中心である。海苔や畳イワシを焼くのにも最適だ。ガスやオーブントースターでは絶対に出来ない味になる。火鉢の前にドッカと腰を下ろしたまま焼けるというのも塩梅がいい。子供たちに焼いてやりながらのコミュニケーションが盛り上がる。火鉢のヤカンのお湯で入れたお茶はおいしい気がする。ストーブにはない最大のメリットは実はこの部分だったりする。

さらに密かな楽しみがある。火鉢にヤカン、それから炭の匂いのする昼下がり、のんびりと楽器を弾くのはよいものだ。家人が皆出かけた留守を狙って火鉢の部屋でブラームスやらバッハというのがオツである。

何かとブラームスに相応しい秋がこうして暮れて行く。

2006年11月17日 (金)

凝り性の遺伝子

よく凝り性だと言われる。昔からである。恐らく多分に父のDNAだと思う。夏休みの自由研究など、父の力を借してもらったものだが、小学生離れした細かさまで追求してしまうことが少なくなかった。たかが夏休みの自由研究にも力を抜かない父だった。

  • 小学校3年「交通量調べ」我が家の前の県道の車種別通行量の調査を1週間やった。窓から見えるので楽だった。トラック、バス、バイク、ライトバン、タクシー、その他というカテゴリーだった。路線バスの運行がちゃんとしていないのではないかという仮説なんか立ててしまったせいか表彰状にはありつけなかった。
  • 小学校4年「さようなら蒸気機関車」 千葉県内からこの年の10月で完全に姿を消すことになった蒸気機関車についてレポートした。当時はもちろん国鉄だった。千葉鉄道管理局まで出向いての力作でA4で50ページと模造紙1枚になった。イラストは従姉妹のお姉さんの全面協力だった。市の展覧会で特選を貰った。
  • 小学校5年「生物の進化」日本万国博に行って見学した太陽の塔に感動した。コアセルベートやストロマトライトから人類まで小学生レベルで記述。一番のお気に入りは始祖鳥だった。市の展覧会では入選止まり。
  • 小学校6年「僕の歴史探訪-古都鎌倉を訪ねて」父と鎌倉を踏査した。円覚寺→明月院→巨福呂坂切通→建長寺→鶴ヶ丘八幡宮→頼朝の墓→鎌倉宮→宝戒寺→鎌倉幕府跡→段葛→鎌倉駅→長谷駅→鎌倉大仏→長谷寺のコースを原則歩いた。江ノ電に乗った鎌倉長谷間だけが電車だった。100枚を超える写真を撮影し父の友人の機材を借り、襖をはずして窓を目張りした即席暗室をこしらえて自分で焼いた。デジカメよりも手間はかかるがモノクロだとこういうことも出来たのだ。

この頃のエネルギーは今のブログ継続のエネルギーと根が同じだ。「ブラームスの辞書」の執筆もこれに加えていい。着眼のしかた、章立ての仕方、記述の仕方、資料の集め方まとめ方、スケジュールの管理など執筆やブログ運営に必要なことは皆、このときに父から学んだ。

ブラームスも伝記を読んでいると書物や自筆譜のヘビーなコレクターだったことが書いてある。半端でないコレクターだったようだ。ドイツにも凝り性がいるのだ。エクセルがあったらきっとはまっていたと思う。

1997年11月17日の父の死から丸9年たった。

2006年11月16日 (木)

真贋論争

本物か偽物かの論争。

この結果により損得が発生する場合には特に深刻である。本家と元祖の争いなどもこの亜種であると思われる。

CDに収められた演奏がジャケット記載通りの演奏者によるものかどうかが論争されることはきわめて少ない。「知らぬが仏」である。

絵画や書ではとりわけ重大な意味を持つ。著名人の手紙やサインなどもそうした論争の対象となり得る。作曲家の自筆譜も当然対象である。

ブラームスに関連した真贋論争では、1924年発見のピアノ三重奏曲イ長調が有名である。ブラームスの遺作として1938年に出版されているが、マッコークルは「疑わしい作品」と位置付けている一方で、本物という見解を示す学者も少なくない。おそらく「判らぬ」というのが実態なのだろう。だからマッコークルは「疑わしい」としているのだ。この種の論争は得てして判らぬものを「判らぬ」と言わないところから始まるケースが多いと思われる。

先週になって同三重奏曲の楽譜が入手出来た。現在ブラダスへの取り込みだけは完了した。真贋の判定など私の手には余るが用語使用面から何か手がかりが見つかるかもしれない。

2006年11月15日 (水)

秋は夕暮れ

清少納言の随筆「枕の草子」は、季節毎に良い時間帯を列挙し、その理由に言及する部分から立ち上がっている。「春は曙」だ。高校時代「古典暗記マニア」だった私は当然このあたりを暗唱していた。「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬は早朝」だ。現代人が読んでもとなるほどという気にさせられる。日本人の感性は平安時代から変わっていないのかもしれない。

10月27日の記事「秋のソナタ」でも言及したように、秋になるとブラームスを聴きたくなる人は多い。平安時代から連綿と続く日本人の感性に照らしても「ブラームスは秋」なのだろう。

最近感じている疑問を一つ。

「秋になるとブラームスを聴きたくなる人」「秋はブラームスが似合うと思っている人」その他この系統の考えに賛同する人たちは、他の季節ではいったい誰を聴いているのだろう。

  1. やっぱりブラームス
  2. 他の作曲家
  3. クラシック以外

このくらいの分類しか思い浮かばない。私自身は秋だけが特にブラームスではなくて一年中なのでこの分類には当てはまらない。

実のところホントは一年中ブラームスを聴いているのに、秋に聴くときだけ「やっぱり秋はブラームスだねぇ」などという言葉を枕に振っている人々が少なくないのではないかと思っている。自分の行動を何かと季節に結びつけて考えるとういうのは、日本人の典型的な思考なのだろう。一年中かつおでだしをとっていても、初がつおを食せねば腹の虫がおさまらないのだ。

2006年11月14日 (火)

裏拍

「拍の裏側」などといっても通じまい。まともに定義しようと思うとたちまち行き詰まる。

一昨日のヴァイオリンのレッスンでの出来事だ。カイザーの7番に取り組む長女は、どうやら譜読みが出来てきた。これまでずっとテヌートでゆっくりと音程を確かめるように練習してきたが、先生からスタッカートで練習してきてと言われて成果を見てもらった。

音程はまあまあ。いわゆる嫌な音程も正確にとれるようになってきた。しかしである。困ったことに「走る」のだ。弾いているうちにだんだんテンポが速くなってしまうのだ。元々性格がテキパキ目なので、左手が易しい箇所で急ぐ傾向はあったが、テヌートで練習していた時には、これ程ではなかった。スタッカートで弾こうとすると1個1個の音が短くなりはするのだが、その分次の音の立ち上げも早まってしまうためにテンポが詰まるということだ。

「あなたは裏拍をもっと感じなさい」と先生に言われた。痛いところをついてくる。おっしゃる通りだ。シンコペーション苦手という現象もこれ一つで説明がつく。娘は「裏拍~?」みたいなかすりもしない反応である。「正しいリズム感の獲得にはとっても大切」ということを説明してくれた。

「ブラームス弾くんだったら特に」だと私は思う。特有のシンコペーションや後打ち、あるいはポリリズムを弾くには必須の感覚だ。ブラームス弾くには避けて通れぬ要素だから、取得するというスタンスだけでは物足りない。聴く側に回っても味わいが数段深まるのだ。ブラームス名物の複雑な拍節感は、裏拍を意識することで一段と快感が増すのだ。

2006年11月13日 (月)

人の噂も

ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスを観察する限り、「のだめカンタービレ」テレビ放映開始とともに始まったアクセスラッシュは終息したと申し上げてよい。断言をするために様子を見ていたが、ようやく終息宣言を出すことが出来る。

爆発的であったのは実質10日間だった。何らかの影響を認めることが出来るのは2週間だ。俗に「人の噂も七十五日」というが、ネット時代では4分の1程度に読み替えが必要かもしれない。

というわけで現在ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスは「のだめカンタービレ」放映開始以前のペースか、それよりやや増加のペースに戻っている。何だか秋祭りみたいだった。

けれども爆発的なアクセスは終息したが、人々の目に留まったというのは良いことだ。爆発前は毎日平均50アクセスだったものが、爆発後に平穏に戻ってしまったものの60弱くらいの平均値になっている。

のだめきっかけでたどり着いて下さった方の何人かがその後も訪問して下さっていると思われる。

「のだめ」頼りのマーケティングでは、いずれ限界が来る。やはり昔からよくいう最強のマーケティングは「口コミ」である。これなら広告費ゼロだ。もっと踏み込んで言うなら最強のマーケティングは品質ということになる。月並みの落とし処で恐縮ながら、つくづくそう思う。

2006年11月12日 (日)

拍子抜け

11月9日の記事「お取り寄せの楽譜」で伝ブラームス作曲のピアノ三重奏曲イ長調の楽譜を手に入れたことを記した。ヒマを見てブラダスへの取り込みを始めることも宣言した。じっくり進めるつもりだったがあっさりと今日取り込みが終わってしまった。

全楽章合計で1628小節を擁するピアノ三重奏曲第1番初版に比べればたったの926小節だから、簡単だったともいえるが、どうも使用されている用語がシンプルな気がする。ブラームス特有の微調整語が少ない。それから目立つのはカッコの付与だ。「f」「p」などのダイナミクスや「espressivo」にまでやたらとカッコを付けている。たとえば(f)(p)(espressivo)である。これらがカッコ無しの「p」「f」「espressivo」と共存している。スラーやアクセント、sfにまでやたらとカッコが付けられている。スラーやアクセント等の記号に付けられたカッコは除外し、用語に付けられたカッコだけで64箇所もある。このカッコは「オリジナルには存在しなかったけどね」というニュアンスが濃厚に感じられる。

細かい分析はこらからだが、何だか面白そうだ。

2006年11月11日 (土)

カノンのエコー

何の断りもなく黙って「カノン」と言ったらあのカノンを指していることも多い。あのとはつまりパッヘルベルだ。「パッヘルベルのカノン」は、日本のクラシック音楽界での浸透度という意味では、相当な高みにある。単純なベースラインの上に3部に分かれたヴァイオリンが折り重なって行くだけのシンプルな構造なのに、その澄み切った響きがすがすがしい。あまりに透明で悲しくなることもしばしばだ。本当の悲しみは長調でないと描けないと実感させられる。

ブラームスの最初の変奏曲「シューマンの主題による変奏曲」作品9にパッヘルベルのエコーが現れている。398小節目、第16変奏だ。フラット6個からシャープ6個に転じるところである。ピアノの左手が嬰ヘ長調の移動ドで「ドーソーラーファー」と滑り出す。この主題がパッヘルベルのカノンの冒頭の低音主題にダブって聴こえてしまう。

それから一昨日の記事で話題にしたイ長調ピアノ三重奏曲の第4楽章104小節目のヴァイオリンとピアノの右手にGismoll嬰ト短調の移動ドで「ドーソーラーミーファードー」という2分音符の動きが短調版のカノンに聴こえる。

ブラームスがパッヘルベルその人やカノンを知っていたかどうか定かではない。ブラームス関係の書物の中でパッヘルベルは取り上げられていないように思われる。

今年はパッヘルベル没後300年である。

2006年11月10日 (金)

素朴な疑問

毎年この時期になると「もう年賀状の季節か」と思う。1年の早さを実感させられる。

だからという訳でもないのだが、素朴な疑問がある。

世界の郵便は今、スイス・ベルンに本部のある万国郵便連合のもと、出来るだけ均質なサービスが世界で提供されるよう便宜が図られている。日本が加盟したのは1877年だそうだ。西南戦争の年であり、私の愛用のヴィオラの作られた年だ。

日本では、宛先として記載した住所に、宛名に記載した人物が居住していない場合、発信人のところに返送される仕組みになっている。毎年何通かの年賀状が戻ってくる。この仕組みは世界共通なのだろうか?ウイーンのあるオーストリアではどうなっているのだろう。

もしも、オーストリアでも日本と同じ方式が採用されているとする。私が「ウイーン市カールスガッセ4番地ヨハネス・ブラームス様」ともちろんドイツ語または英語で記してハガキを差し出すと、「配送不能」のメッセージ付きで返送されるのだろうか?「ブラームスさんは現在そこには住んでいません」とでも書いてもらえるのだろうか?そのようにして戻されたハガキって何だかお宝度が高いと感じるのだがどうだろう。配達員のおじさん(おばさん)が、洒落の判る人で、楽友協会に回送したりするかもしれない。不在でしたというオーストリア郵便当局のスタンプ付きのハガキが戻ってくるのも相当風流だと感じている。

よい子は真似してはいけません。

2006年11月 9日 (木)

お取り寄せの楽譜

ピアノ三重奏曲イ長調の楽譜が届いた。船便なので納品までに2~3ヶ月といわれていた通り2ヶ月かかった。送料込みで4875円だ。高いのか安いのかよくわからない。お取り寄せで購入したというだけで何だか有り難味が違うような気になっている。

今日届いた楽譜はブライトコップフだ。表紙には作曲者名がデカデカと印刷されている。「Johannes Brahms」の後ろに「(?)」が付加されていてこの作品が、完全に真作のお墨付きを与えられてはいないことを匂わせている。「opus」でもなく「WoO」でもない「op.post」の文字が躍っていることも特徴的である。

ブラームスの他の室内楽作品、とりわけ新旧のピアノ三重奏曲第1番との比較を通じて何か面白いことがないか探してみたい。

さっそくヒマを見てブラダスに取り込むことにする。

結果はまた後ほどブログ上で論じることにしたい。今晩はまず作品を聴いてみる。

2006年11月 8日 (水)

無伴奏ヴィオラ組曲

最近もっぱらこの曲にはまっている。もちろんブラームスは無伴奏ヴィオラ組曲など書いていない。バッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版のことだ。

  1. 第1番ト長調BWV1007
  2. 第2番ニ短調BWV1008
  3. 第3番ハ長調BWV1009
  4. 第4番変ホ長調BWV1010
  5. 第5番ハ短調BWV1011
  6. 第6番ニ長調BWV1012

編曲と言ってよいのか単に1オクターブ上げただけだ。この楽譜を買ってきてコツコツと弾いている。はっきり申し上げて楽しめる。いくつかの条件を守りさえすれば本当に面白い。一つは、CDで演奏されているようなテンポではなくゆっくり弾くことだ。ゆっくりと言っても和音のうつろいを感じ取れて、フレーズの流れがつかめる程度にゆっくりだ。それから重音は適当にはしょる。開放弦で出せる音だけを出すくらいの気持ちで弾く。この条件で音程を厳密に噛み締めながら粛々と音をつなげてゆく。そこにその音がある必然性を味わいながらとでも言おうか。何だか工数のかかるプラモデルを時間をかけて組み立てるような感覚に似ている。今日明日ではとても終わらなそうな感覚が貴重だ。

音楽的に面白い出来事に溢れている。指の訓練にはもってこいでもある。幸いなことに6番を除けば第3ポジションでほぼまかなえる。ヴィオラ一本による単純な音の羅列ながら飽きが来ない。申し訳ないがカイザーやウォルファートの比ではない。

一方同じバッハの手による無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータもヴィオラ用の編曲がある。残念ながらこちらは全て5度下げられている。名高いシャコンヌはト短調というわけだ。こちらは、はっきり申し上げて手が出ない。重音をはしょってしまうと話にならないのだ。難易度は数段上である。楽譜ショップの店頭でパラパラと斜め読みして諦めている。

無伴奏チェロ組曲が易しいと言っているのではない。こちらだって完璧に弾くのは大変だ。でも教則本代わりに弾き込むには数段使い勝手がいい。先日の三連休は毎日1時間半弾いていた。平日の夜も30分は割いている。娘たちは不審なのだろう。「何が面白いんだ」という顔をされている。

ブラームスがバッハを敬愛していた理由にいつかたどり着けるかもしれない。

2006年11月 7日 (火)

ヘンレ社

ミュンヘンにある楽譜出版社。グレーの表紙が目印。原典版「Urtextausgabe」の文字が躍っていると何となく安心感がある。見やすくてめくりやすいので一番気に入っている。資料に忠実で使い易いというのが売りなのだと思う。それからブラームス研究の上で避けて通れないマッコークルの作品目録もヘンレ社からの刊行だ。

ブラームス諸作品の原典版の刊行はまだ始まったばかりだ。完結までは相当に時間がかかるのではないかと思われる。ということはつまり、既に出版された「ブラームスの辞書」は原典版に準拠していないということを意味する。元々覚悟の上で始めたことなので気にしてはいないが、原典版の刊行が進むとブラダスを修正しなければいけない。

このグレーの表紙の楽譜が譜面台やピアノの上にさりげなく置かれているのも、雰囲気作りに役立つ。お部屋のインテリアとしてもなかなかのアイテムだ。

楽譜を探しにいったお店で、ヘンレ社の出しているメモ帳を見つけた。掌サイズだが、表紙は例のグレーで、使われている文字のフォントも楽譜そっくりだ。遠目にはヘンレ社の楽譜のミニチュアにしか見えない。中身は罫線の代わりに五線が引かれている。

何だかとても洒落ているので思わず買ってしまった。ブライトコップフやペーター、あるいはベーレンライターあたりからもこうしたメモ帳が出ると楽しさも倍増だ。

2006年11月 6日 (月)

のだめの中のブラームス⑳

先週はフェイクでお騒がせしたので、罪滅ぼしの「のだめネタ」を発信する。

昨年8月27日にはじまった「のだめの中のブラームス」がとうとう今日で20回目を迎える。○に数字のフォントは20までしかない。始めた頃はまさか20まで行くとは思っていなかったから、不用意にこんなフォントを用いてしまった。本日は20回を記念して文字通りの「のだめの中のブラームス」をズームアップしたい。

コミック「のだめカンタービレ」の中で「ブラームス」という単語がどこにどれだけ用いられているかをカウントした。カタカナに加えて「Brahms」という欧文もカウント対象とした。明らかにブラームスが話題になっていても「ブラームス」「Brahms」という単語が記されていなければゼロ扱いである。その代わり「ブラームス」「Brahms」とあれば欄外や手書き風でもOKとした。カウント範囲は1巻から16巻までだ。

カウントの結果ブラームスはたったの33箇所しかないので以下に列挙する。

  1. ①巻レッスン03 079p2コマ目 千秋の思考 とっつき易い2台ピアノ曲の話題
  2. ④巻レッスン20 039p2コマ目 シュトレーゼマンのセリフ
  3. ⑦巻レッスン35 023p2コマ目 曲選考のドサクサの中
  4. ⑦巻レッスン38 090p1コマ目 R☆Sオケ公演の曲目決定の場面
  5. ⑦巻レッスン38 090p1コマ目 同上
  6. ⑦巻レッスン38 090p1コマ目 同上 楽譜の表紙
  7. ⑦巻レッスン38 090p2コマ目 表紙
  8. ⑦巻レッスン38 091p1コマ目 木村クンのセリフ
  9. ⑦巻レッスン38 094p1コマ目 佐久間のセリフ
  10. ⑦巻レッスン38 104p2コマ目 千秋のセリフ
  11. ⑦巻レッスン38 111p6コマ目 千秋のスコアの表紙
  12. ⑦巻レッスン38 114p4コマ目 ヨーロッパ土産のビデオ
  13. ⑦巻レッスン38 116p3コマ目 シュトレーゼマン「なめてんじゃないですよ」
  14. ⑦巻レッスン38 117p4コマ目 シュトレーゼマンの説教
  15. ⑦巻レッスン39 128p8コマ目 往復書簡集の表紙
  16. ⑦巻レッスン39 128p8コマ目 往復書簡集の表紙
  17. ⑦巻レッスン40 162p1コマ目 夢の中、スコアの表紙
  18. ⑧巻レッスン41 006p4コマ目 開演前のロビーでの会話
  19. ⑧巻レッスン41 007p1コマ目 R☆Sオケ演奏会プログラムの記載
  20. ⑧巻レッスン41 029p2コマ目 カイドゥーンのセリフ
  21. ⑧巻レッスン42 037p2コマ目 R☆Sオケのブラ1スタート
  22. ⑧巻レッスン44 107p1コマ目 カイドゥーンのセリフ「久しぶりのブラームスだ」
  23. ⑧巻レッスン46 159p1コマ目 レッスン46冒頭のだめの傍らの表紙
  24. ⑧巻レッスン46 162p2コマ目 瀬川悠人の演奏曲目
  25. ⑨巻レッスン48 079p4コマ目 佐久間のセリフ
  26. ⑩巻レッスン55 109p3コマ目 プラティニ指揮者コンクールのくじ引き
  27. ⑪巻レッスン64 167p1コマ目 アナリーゼの授業の学生の発言
  28. ⑪巻レッスン64 167p2コマ目 アナリーゼの授業の学生の発言
  29. ⑪巻レッスン64 167p4コマ目 アナリーゼの授業の学生の発言
  30. ⑫巻レッスン68 127p1コマ目 千秋が手にしている楽譜の表紙
  31. ⑫巻レッスン70 181p1コマ目 千秋が手にしている楽譜の表紙
  32. ⑭巻レッスン80 117p2コマ目 マルレオケのライブラリーにあった楽譜の表紙
  33. ⑯巻レッスン94 182p6コマ目 マルレオケ公演の2曲目の曲目

「のだめカンタービレ」国内編のクライマックスは、間違いなくR☆Sオケの公演である。その演奏会のメインプログラムがブラームスの第1交響曲であったことを考えると7巻8巻への集中は当然である。33回のうちちょうど3分の2の22回が7巻と8巻に集中している。

コミック「のだめカンタービレ」の主人公「のだめ」こと野田恵はコミックの中で一度も「ブラームス」の名前を口にしていない。私の見落としが無いとは言えないのだが多分のだめは一度も「ブラームス」と言っていない。のだめが口にするとき「ブラームス」がはたして長音棒省略の餌食となり「ブラムス」になってしまうのか興味は尽きない。

のだめが最も頻度高く口にした作曲家名はモーツアルトで13回、バッハが10回でそれに続く。ブノワ城での初リサイタルにおけるモーツアルト漬けが大きく寄与しているようだ。

何のかんの言ってのだめ放映の日にこんな記事をアップして魂胆は見え見えである。

2006年11月 5日 (日)

ヴァイオリンのケース

今年の8月次女にヴァイオリンを買い与えたことは既に述べた。それ以来ずっと心に引っかかっていたことがある。

それによって長女は亡き妻のヴァイオリンを独占して使うようになった。いい弓を買い与えたこともあってそれなりの音がしてきたことも既に言及してきた。あとは部活動とのバトルに打ち勝って、ひたすらブラームス街道を驀進すればいいのだ。とはいうものの、のどに刺さった小骨のような課題が残っていた。

ヴァイオリンのケースである。

ヴァイオリンが亡き妻の形見であったようにそれを収納するケースも妻の形見なのだ。なんだかシールもベタベタはってあるし、古いせいもあってファスナーの具合も良くない。これを交換したいと思っていた。だいたいヴァイオリンを買う場合予算が楽器に集中してしまう。私のような素人の場合、弓でさえ犠牲になることもある。ましてやケースなんぞ想定外の外も外も大外である。

実は長女本人はあまりこだわっていない。古いケースでもOKらしい。見ているこちらが気になるだけなのだ。妹が軽くて使いやすいケースなので、姉のケースが一段と目立つという訳だ。

ようやく決心してこのほど長女にヴァイオリンのケースを買ってやった。どうでも良いと言っていた長女だが、満更でもなさそうだ。そそくさと楽器を入れ替えている。ヴァイオリンのケースの中はいろいろなものが入っているものだ。弓、スペアの弦、スペアのアジャスター、松ヤニ、音叉、鉛筆、古い駒、クリーニング用の布、弦を交換した日をメモした紙などなど。ケースにぶら下がっていたアクセサリーも全部引っ越しだ。中には妻の筆跡が残っているものもある。案の定結局何一つ捨てられなかった。中身を全部抜き取ったケースには、今日の日付を記した紙を入れてビニール袋に入れてクローゼットの上段に置いた。二度と使うことはないと思うが、捨てられるものではない。

長い間ありがとう。

2006年11月 4日 (土)

嘆かわしい

ヴァイオリンのレッスンに行って来た。若干の痛みは残るものの長女もどうにか復帰出来た。先週次女の次なる課題がバッハのイ短調協奏曲に決まったので、今日は長女の曲を考えていただいた。珍しく長女が意見を言った。「ぬるいテンポの曲はいやだ」というあられもない意見だった。ブラームスのソナタとでも言ってくれれば御の字だが、微妙な空気が読める娘ではない。キッチリと性格が反映していて面白い。それらも考慮して先生の提案は2曲だ。

  1. ヴィオッティ 協奏曲イ短調op22第1楽章
  2. ベリオ 協奏曲イ短調op104第1楽章

その瞬間私の意見は決まっていた。当然ヴィオッティだ。娘が弾くなんて信じられない。実はブラームスはこのヴィオッティの協奏曲が大のお気に入りなのだ。ヨアヒムとしばしば合奏したという。ヴァイオリンとチェロのための協奏曲の第2主題は、ヴィオッティの協奏曲イ短調の冒頭主題との関係も取り沙汰されているくらいの惚れこみ方なのだ。私は断固こちらを支持したのだが、娘はアッケラカンとベリオだ。

その理由が嘆かわしい。ヴィオッティは7ページで、ベリオは3ページ半だから暗譜が楽だという理由だ。6ヶ月かけて挑もうかという曲だ。少々の困難は覚悟してもらわねばというのが私の考えだが、娘は違う。ブラームスが気に入っていた曲というだけで押し付けられる娘も気の毒だから、ここは引き分けか。

ベリオ(1802~1877)ベルギーの作曲家でヴァイオリニストだ。後半生がブラームスの時代と重なっている。ヴィオッティは後の楽しみにとっておくとして、さっそく楽譜を入手せねばならない。

やはり芸術の秋だ。

2006年11月 3日 (金)

まどろみはいよいよ浅く

昨日11月2日の記事の続きと思っていただきたい。9月21日の記事「曖昧を味わう」とも密接な関係がある。

ミッシャ・マイスキーのアルバム「Songs without Words」の11曲目に「まどろみはいよいよ浅く」が収められている。原題は「Immer leiser wird mein Schlummer」だ。この曲は邦題への転写にあたってのブレが少ない。「Schlummer」は「まどろみ」だ。英語の「Slumber」に相当する。ビートルズの名曲を思い出す。

9月21日の記事にもある通り、この作品の旋律は、ピアノ協奏曲第2番の第3楽章冒頭の独奏チェロの旋律と似ている。夢とも現実とも定かではない微妙なテキストに対応するためにブラームスはこの類似性をとことん利用しようと考えた。長調とも短調ともにわかには断じかねる曖昧さを利用したのだ。

マイスキーのアルバムに「まどろみはいよいよ浅く」が収録されている意味はとてつもなく大きい。第二ピアノ協奏曲アンダンテの独奏チェロとの因縁浅からぬ旋律を、当代屈指のチェリストが実際に弾いてくれるということを意味するのだ。

実のところチェロで弾かれてみると両者の類縁関係が浅からぬものであることが実感出来る。この曲をアルバムに加えたマイスキーの念頭にピアノ協奏曲のアンダンテがなかったとは考えにくい。

2006年11月 2日 (木)

マイスキーの無言歌

チェリストのミッシャ・マイスキーが「Songs without words」というアルバムを出している。ピアノとチェロのデュオ作品を集めている。収録された作品はいずれもブラームスの作品のアレンジもので内容は下記の通りである。

  1. チェロ・ソナタニ長調(ヴァイオリンソナタ第一番ト長調op78のチェロ版)
  2. 名残りop59-4
  3. あなたの許にはもはや行くまいop32-2
  4. サフォー頌歌op94-4
  5. 調べのようにop105-1
  6. 4つの厳粛な歌第1曲op121-1
  7. 4つの厳粛な歌第2曲op121-2
  8. 4つの厳粛な歌第3曲op121-3
  9. 野を渡ってop86-4
  10. 愛のまことop3-1
  11. まどろみはいよいよ浅くop105-1
  12. ひばりの歌op70-2

白状するとこのアルバムはかなり昔から手許にあったのだが、あまり聴かなかった。ところが昨今歌曲へ傾斜によって日の目を見たということなのだ。

聴いてみて感じたことをいくつか。

  • ヴァイオリンソナタは「雨の歌」の異名を持つ。それは第三楽章がブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の旋律の転用になっているせいだ。アルバム2曲目の「名残り」はop59-4つまり「雨の歌」の次に位置し、全く同じ旋律のエコーで出来ている歌曲なのだ。だからこの曲順が実は重要である。ソナタの第三楽章が「雨の歌」の引用であることを踏まえて、同じ旋律の「名残り」を配置しているという、血も涙もある配列なのだ。芸が細かいと言わざるを得ない。
  • 4曲目の「サフォー頌歌」は古来より、その冒頭旋律がヴァイオリン協奏曲の第二楽章の冒頭との関係を指摘されている。ブラームス節の典型たる「糸引き4連4分音符」である。このアルバムを聴いて真っ先に思い浮かべたのは、むしろピアノ四重奏曲第三番の第3楽章の朗々たるチェロの独奏だ。「糸引き4連4分音符」がピアノがシンコペーションで差し挟む和音に乗ってしずしずと歩む様、そして何より冒頭の長3度下降が瓜二つだ。
  • 5曲目の「調べのように」もまた古来からヴァイオリンソナタ第二番第1楽章との関係が取り沙汰されている。
  • 6曲目から3つは「4つの厳粛な歌」から取られている。4番を省いた3曲というのが、底知れぬ意図を感じさせる。私も4番は異質だと感じている。最初からヘ音記号で書かれているこの3曲が、全体の中央に配置されているのも興味をそそられる。
  • 9曲目の「野を渡って」を曲集に採用した感覚を心から嬉しく思う。けしてメジャーではないがこの曲は大好きだ。マイスキーのチェロで聴いてひらめいたことが一つある。弦楽五重奏曲第二番の第三楽章「Un poco Allegretto」にソックリである。ト短調という調性、裏拍を強調した伴奏は偶然とは思えない。
  • 10曲目の「愛のまこと」を採用した意図を想像するに、冒頭部分でピアノの左手をチェロが1拍遅れで追いかける掛け合いの妙だと思う。オリジナルで聴くより鮮明に聴こえる。
  • 12曲目アルバム全体のフィナーレに「ひばりの歌」を据えたこだわりに脱帽だ。お世辞にもメジャーといえない曲だが、弾かれてみると納得である。

2006年11月 1日 (水)

在庫プレッシャー

製造業にとって「在庫」は悲喜こもごもである。

需要や供給の波動を欠品なく吸収する機能がある。言うまでもなく欠品はチャンスロスだからこの観点からは適正な水準の在庫を持つことは必要である。ところがこの「適正在庫」というやつは曲者だ。「言うは易し」の典型なのだ。ひとたび在庫の水準が需要を大きく上回ると途端に牙をむいて襲いかかってくる。いわゆる「不良在庫」だ。金利はかかるし、保管料はかかるし、資金繰りは圧迫するし、良いことは何一つ無い。その上いわゆる賞味期限という時限爆弾を背負っていると、廃棄費用まで加わりかねない。この状態になると経営者や営業の現場にかかるのが「在庫プレッシャー」だ。在庫品の重みのことではない。「ブラームスの辞書」とてわずか300部の発行ながらまだ在庫を残しているから、ささやかな在庫プレッシャーを私に与えている。賞味期限が無いのが救いである。

これに対してブログに掲載する予定の記事の備蓄は、在庫プレッシャー歓迎である。かえって在庫が薄い方がプレッシャーだったりする。記事の備蓄が厚いからといって資金を圧迫することも、保管料がかさむこともない。逆に記事更新にあたっての選択の幅が広がるというメリットさえ発生する。

このほど記事の備蓄がどうやら200に届いた。記事に書き下ろす前の段階でネタだけ思いついたものもカウントに入れての話である。瞬間的に200になっても油断をするとすぐに200を切ってしまうから、「200に届いた」と断言するのは、200を一週間以上キープしかつ、あと一週間記事のネタを思いつかなくても200を切らないという状態が望ましい。

一方で公開された記事は本日のこの記事が568本目だから、今までに発した記事の3分の1強の備蓄があることになる。深々とした在庫で、製品在庫なら倒産である。実は記事の管理よりこうして思いついた備蓄記事の管理の方が手間がかかったりもしている。

呆れかえるほどのあるいは、バカバカしい量の備蓄記事に埋もれて、脳味噌はただ時間に縛られずに次なるネタを模索し、ブラームスへのアンテナを磨き高めることに勝るものはない。思いついてからアップするまでに経過する時間が長いほど、文章の校正や推敲に手間がかけられることになる。また記事の裏付けをより手厚く取ることも出来る。この種の贅沢は至福である。

ブログを継続するコツを誰かの本で立ち読みした。およそブログを立ち上げようかという人間が最初から「三日坊主になろう」と思っていることはない。けれども現実は甘くない。記事を更新出来ないプレッシャーは大変なものだそうだ。今日中に一本書かねばと思うと、パソコンを立ち上げるのが憂鬱という世界まであり得るらしい。かと言って気の向いたときに更新では、記事の間隔によってはもはや継続とは言えない。その本は、「手の空いたとき、プレッシャーの無いときにアイデアを貯めておくことだ」と説いている。同感である。

書きたいことがまだある。いくらでも思いつく。ブラームスのこと、音楽のこと、ヴィオラのこと、家族のこと。私にとっての継続のコツはただただ健康であることだ。

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