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2006年11月 1日 (水)

在庫プレッシャー

製造業にとって「在庫」は悲喜こもごもである。

需要や供給の波動を欠品なく吸収する機能がある。言うまでもなく欠品はチャンスロスだからこの観点からは適正な水準の在庫を持つことは必要である。ところがこの「適正在庫」というやつは曲者だ。「言うは易し」の典型なのだ。ひとたび在庫の水準が需要を大きく上回ると途端に牙をむいて襲いかかってくる。いわゆる「不良在庫」だ。金利はかかるし、保管料はかかるし、資金繰りは圧迫するし、良いことは何一つ無い。その上いわゆる賞味期限という時限爆弾を背負っていると、廃棄費用まで加わりかねない。この状態になると経営者や営業の現場にかかるのが「在庫プレッシャー」だ。在庫品の重みのことではない。「ブラームスの辞書」とてわずか300部の発行ながらまだ在庫を残しているから、ささやかな在庫プレッシャーを私に与えている。賞味期限が無いのが救いである。

これに対してブログに掲載する予定の記事の備蓄は、在庫プレッシャー歓迎である。かえって在庫が薄い方がプレッシャーだったりする。記事の備蓄が厚いからといって資金を圧迫することも、保管料がかさむこともない。逆に記事更新にあたっての選択の幅が広がるというメリットさえ発生する。

このほど記事の備蓄がどうやら200に届いた。記事に書き下ろす前の段階でネタだけ思いついたものもカウントに入れての話である。瞬間的に200になっても油断をするとすぐに200を切ってしまうから、「200に届いた」と断言するのは、200を一週間以上キープしかつ、あと一週間記事のネタを思いつかなくても200を切らないという状態が望ましい。

一方で公開された記事は本日のこの記事が568本目だから、今までに発した記事の3分の1強の備蓄があることになる。深々とした在庫で、製品在庫なら倒産である。実は記事の管理よりこうして思いついた備蓄記事の管理の方が手間がかかったりもしている。

呆れかえるほどのあるいは、バカバカしい量の備蓄記事に埋もれて、脳味噌はただ時間に縛られずに次なるネタを模索し、ブラームスへのアンテナを磨き高めることに勝るものはない。思いついてからアップするまでに経過する時間が長いほど、文章の校正や推敲に手間がかけられることになる。また記事の裏付けをより手厚く取ることも出来る。この種の贅沢は至福である。

ブログを継続するコツを誰かの本で立ち読みした。およそブログを立ち上げようかという人間が最初から「三日坊主になろう」と思っていることはない。けれども現実は甘くない。記事を更新出来ないプレッシャーは大変なものだそうだ。今日中に一本書かねばと思うと、パソコンを立ち上げるのが憂鬱という世界まであり得るらしい。かと言って気の向いたときに更新では、記事の間隔によってはもはや継続とは言えない。その本は、「手の空いたとき、プレッシャーの無いときにアイデアを貯めておくことだ」と説いている。同感である。

書きたいことがまだある。いくらでも思いつく。ブラームスのこと、音楽のこと、ヴィオラのこと、家族のこと。私にとっての継続のコツはただただ健康であることだ。

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