凝り性の遺伝子
よく凝り性だと言われる。昔からである。恐らく多分に父のDNAだと思う。夏休みの自由研究など、父の力を借してもらったものだが、小学生離れした細かさまで追求してしまうことが少なくなかった。たかが夏休みの自由研究にも力を抜かない父だった。
- 小学校3年「交通量調べ」我が家の前の県道の車種別通行量の調査を1週間やった。窓から見えるので楽だった。トラック、バス、バイク、ライトバン、タクシー、その他というカテゴリーだった。路線バスの運行がちゃんとしていないのではないかという仮説なんか立ててしまったせいか表彰状にはありつけなかった。
- 小学校4年「さようなら蒸気機関車」 千葉県内からこの年の10月で完全に姿を消すことになった蒸気機関車についてレポートした。当時はもちろん国鉄だった。千葉鉄道管理局まで出向いての力作でA4で50ページと模造紙1枚になった。イラストは従姉妹のお姉さんの全面協力だった。市の展覧会で特選を貰った。
- 小学校5年「生物の進化」日本万国博に行って見学した太陽の塔に感動した。コアセルベートやストロマトライトから人類まで小学生レベルで記述。一番のお気に入りは始祖鳥だった。市の展覧会では入選止まり。
- 小学校6年「僕の歴史探訪-古都鎌倉を訪ねて」父と鎌倉を踏査した。円覚寺→明月院→巨福呂坂切通→建長寺→鶴ヶ丘八幡宮→頼朝の墓→鎌倉宮→宝戒寺→鎌倉幕府跡→段葛→鎌倉駅→長谷駅→鎌倉大仏→長谷寺のコースを原則歩いた。江ノ電に乗った鎌倉長谷間だけが電車だった。100枚を超える写真を撮影し父の友人の機材を借り、襖をはずして窓を目張りした即席暗室をこしらえて自分で焼いた。デジカメよりも手間はかかるがモノクロだとこういうことも出来たのだ。
この頃のエネルギーは今のブログ継続のエネルギーと根が同じだ。「ブラームスの辞書」の執筆もこれに加えていい。着眼のしかた、章立ての仕方、記述の仕方、資料の集め方まとめ方、スケジュールの管理など執筆やブログ運営に必要なことは皆、このときに父から学んだ。
ブラームスも伝記を読んでいると書物や自筆譜のヘビーなコレクターだったことが書いてある。半端でないコレクターだったようだ。ドイツにも凝り性がいるのだ。エクセルがあったらきっとはまっていたと思う。
1997年11月17日の父の死から丸9年たった。
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