四つであるということ
本年9月2日の記事「いけない想像」の中で「四つの厳粛な歌」がソナタの輪郭をなぞっていなかという思い付きを披露した。本日はその続きである。
昨日11月29日の記事「探せば探すほど」の中で「四つの厳粛な歌」のピアノ独奏版のCDを入手したと書いた。何度かじっくり聴いた。レーガーの編曲は奇をてらったところがない。ルバートが目立つのはレーガーのせいとばかりは言えまい。
クラリネットソナタ2曲にサンドイッチされる形で収録されているのが何か意味ありげだと最初から思っていた。演奏時間を見てぎょっとした。「四つの厳粛な歌」は4曲合計で18分を超える演奏時間だ。一方のクラリネットソナタは一番が21分少々、2番が19分少々だ。演奏時間の上では似たり寄ったりなのだ。クラリネットソナタはブラームスにあっては小ぶりのソナタとはいえこれには少し驚いた。
第1曲は序奏付きのアレグロに聴こえる。第2曲は遅めのサラバンドの影が見え隠れする。第4曲は「Andante」であることを忘れさせる軽快さだ。編曲者レーガーも、このCDのピアニストも何かを訴えているかのようだ。そして本編曲の白眉は第3曲だ。未発表のインテルメッツォとでも紹介されたらうっかり信じ込みかねない。
我が家には、「四つの厳粛な歌」の編曲物のCDが3種類になった。チェロ版、管弦楽版、ピアノ独奏版だ。ハンガリア舞曲には劣るが、この曲が深く愛されている証拠だろう。
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