室内楽的
ブラームスの交響曲に対する否定的な見解の中でしばしば用いられる形容詞。
この意味で使用される場合の対義語は「交響的」である。つまりブラームスの交響曲はしばしば「交響的でない」として批判されたのである。この周辺の経緯は、私がブログに書かずとも日本語で読める専門書が多々出回っている。現代ではほぼ意味を失っている対比だと思われる。その論法にこだわるなら「交響的に書かれたつまらぬ交響曲」だってたくさんあると思う。
ブラームス在世中、交響曲が「室内楽的」といって批判されたのに対して、逆に室内楽が「交響的」といって批判されたのはあまり聞いたことがない。そもそも私自身は「室内楽的な交響曲」と聞いても、ちっとも批判的なニュアンスとは思えないのだ。ブラームスの室内楽がどれだけ素晴らしいか知っていることも原因のひとつだろうが、「交響的」という言葉の定義が曖昧なことも大きく影響している。「室内楽的」「交響的」の二つの言葉を対立用語と捉える見方自体に違和感がある。
「室内楽的な交響曲」という言葉を聞くと、「細部まで十分に練り上げられた交響曲」というニュアンスを想像してしまい、むしろ誉め言葉と受け止めてしまう。
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