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2007年1月31日 (水)

ボウイング

うーんと単純に言ってしまえば、弦楽器の演奏は、弓を動かす右手と弦を押さえる左手の高度な連携と見ることが出来る。そのうちの右手の所作を総称してボウイングと呼んでいる。その意味するところは深くて広くて重い。これを細かく正確に定義するなど私の手には余る。名人ほどボウイングが上手いとだけ申し上げておく。

がしかし、弦楽器の演奏家どうしの会話の中にはもっと軽い意味で「ボウイング」という言葉が使われていることが多い。

弓を手で持つ場合弓の端を持つ。持った手に近い側を「元弓」といい、遠い側を「先弓」という。弾く場合、元弓側を弦に載せて先弓の方に動かすことを「ダウンボウ」略して「ダウン」という。その逆は「アップボウ」略して「アップ」という。弓の動きは大別すると「ダウン」と「アップ」の2つに分類される。弓の動く方向だと思えばいい。

与えられた楽譜を楽音に翻訳する際、ダウンボウを用いるのかアップボウを用いるのか決めることを「ボウイングを決める」という。「ボウイング」という単語はこの意味で使われることが多いのだ。作曲家が楽譜で伝えようとしたニュアンスを音にするにはどちらで発音するのが最も適切かで決定される。オーケストラでは同じパートの中でボウイングがバラバラであることはみっともないこととされている。別のパート間でも近似したニュアンスを表現するには同じボウイングであることが望ましいとされている。

ダウンとアップの2種類の組み合わせなのに、膨大なバリエーションが考えられる。「同じダウンボウ」であっても、弓のどの部分で弾くかによってバリエーションがある。弓の弾力を利用して弾ませるかどうかの区別もあるから、単純なものではない。指揮者の指示、コンマスの見解、演奏の伝統、奏者の技量、音量、テンポ、見た目などなど様々な要素から決定されるが、不思議と作曲家自身が指定することは少ない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第2楽章の55小節目、管弦楽側のヴァイオリンパートにある最後の2つの16分音符はダウンボウの連続で弾くよう楽譜に明記されている。ヴィオラにもある。

ワシントン国会図書館所蔵の自筆譜がネットで公開されているという情報が寄せられたので確認したところ、この部分のダウンボウの指示が自筆譜にもハッキリ書かれていることがわかった。「ブラームスの辞書」280ページにある「poco a poco piu largamente」の記述中で提起した疑問に決定的な回答をもたらす情報であった。

貴重な情報をお寄せいただいた「しばっち様」に対する感謝の気持ちを盛り込んだ記事である。ネット社会様々である。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2005/07/post_7ff9.html

2007年1月30日 (火)

津波

森本貴幸がセリアAデビュウを自らの初得点で祝った。敗色濃厚の後半39分に投入されて4分後に起死回生の同点ゴールを叩きだしたという。けしてメジャーなクラブではないのだが、貢献度としては一発満額回答である。しかも彼はまだ18歳だ。

地元の辛口メディアも賞賛を惜しまないという。さっそく「津波」というニックネームが奉られたようだ。イタリア語で「Maremoto」と綴るのだそうだ。彼の姓「森本」つまり「Morimoto」と発音が似ているらしい。

「Maremoto」は「Mare」と「moto」だ。「Mareは海だな、フムフム」と考えてぎょっとした。つまり「moto」は音楽用語「con moto」と同じ「moto」なのだ。なるほど新聞には「津波」の他に「海底地震」という意味もあると添えられている。「文字通り海が動く」ことすなわち「津波」ということなのだ。

彼には日本代表を呑み込む「津波」になって欲しいものだ。

2007年1月29日 (月)

三大インテルメッツォ

という訳でブラームスの「3大なんとか」を探すことにしたところ、あっさりとお題が決まった。「3大インテルメッツォ」だ。

「3大なんとか」はなかなか選定が難しい。作品数が3つ以下のジャンルでは成立しない。かといって4つだって難しい。交響曲から何か一曲落選させねばならないのは難儀である。

最終的には私の好みで「3大インテルメッツォ」を選んだ。選んだ3曲に序列は無いので作品番号順に列挙する。

  • インテルメッツォ変ロ短調op117-2 43種 
  • インテルメッツォイ長調op118-2 47種
  • インテルメッツォロ短調op119-1 41種

末尾の数字は我が家にあるCDの種類数だ。この数値は「古今のピアニストたちのセレクション」の結果なので、彼らの人気投票の側面が強い。「3大なんとか」を選ぶ以上、世間様からの支持賛同がある程度得られたほうがいいのだが、この「ピアニスト擬似人気投票」は一定の目安になると思う。

<選考過程>

イ長調op118-2は別格で無投票当選のようなものだった。選考は残り2つのイスをめぐって白熱した。作品117の残る2つ変ホ長調op117-1と嬰ハ短調op117-3は最後まで残った。若い頃なら最後の2つのイスはこの2つだったと思う。実際作品117の3曲は甲乙つけ難いのだ。泣く泣く変ロ短調op117-2を選んだ。最後1個のイスはロ短調op119-1とop117の2曲の争いになった。つまり最終的に選ばれた3曲とop117-1とop117-3の5曲から3つを選ぶ作業だったと言い換えてよい。最後のイスを射止めたロ短調op119-1は「灰色の真珠」のご利益である。

この5つ以外で第一次選考を突破したのは以下の通りである。

  • イ短調op76-7
  • イ短調op116-2
  • ホ長調op116-4
  • イ長調op116-6
  • 変ホ短調op118-6
  • ハ長調op119-3

結果には満足している。作品番号もバラけたし、長短のバランスもいい。単なる遊びという気持ちで始めたのだが、選んでいるうちにすっかりマジになってしまった。

実のところ「ブラームス3大歌曲」の選定の試みは既に挫折している。

2007年1月28日 (日)

三大なんとか

日本人の癖なのか、人類共通の癖なのかわからぬが、人々は物事を「三大~」とくくり分けることが好きである。「四大~」や「五大~」も無いわけではないが、やはり「3」が主流である。言い得て妙のものもあれば、相当無理っぽいのもあって面白い。音楽の世界にもその傾向がある。

  1. 3和音 トニカ、ドミナント、サブドミナントのこと。「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」だ。
  2. 3大B バッハ、ベートーヴェン、ブラームス
  3. 3大テナー カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティ。3人に序列はつけないのが慣例。
  4. 3大オペラハウス ミラノ、パリ、ウイーン。ニューヨークを入れる人もいる。
  5. 3大ピアノ ベーゼンドルファー、スタインウエイ、ベヒシュタイン
  6. 3大ヴァイオリン協奏曲 ベートーベン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー
  7. 3大レクイエム モーツアルト、ヴェルディ、フォーレ
  8. ベートーヴェン3大ピアノソナタ 月光、悲愴、熱情
  9. チャイコフスキー3大バレー 白鳥の湖、くるみ割り人形、眠れる森の美女
  10. モーツアルト3大交響曲 39番変ホ長調、40番ト短調、41番ハ長調
  11. モーツアルト3大オペラ 魔笛、フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ
  12. シューベルト3大歌曲集 冬の旅、美しき水車小屋の娘、白鳥の歌

もっとあると思うがこのくらいで。

一見して気がつくことは「3大B」を除いてブラームスには関連が無さそうということだ。ヴァイオリン協奏曲にブラームスが入っていないのも不本意といえば不本意である。

ブラームスの作品も「3大~」という言い方でくくられているものは無い。器楽ではインテルメッツォやカプリチオやワルツを除くと1ジャンル4曲以内だから「3大~」の標的にはなりにくいと思われる。たとえば「ブラームス3大交響曲」を選定しようとすると、それはあの4曲から1曲落とすという作業をすることに他ならない。かといって「世界3大交響曲」を全部ブラームスの作品にしてしまうのも世間の同意が取れるまい。

ブラームスは「3大なんとか」にはなじみにくい。

2007年1月27日 (土)

再生頻度ランキング

購入1年が経過したipodには、便利な機能が満載である。その一つに通算再生回数のランキング25位までを順番に再生する機能がある。

再生回数の定義がなかなか厳密で好ましい。再生が完全に終わらないと1回とカウントしないのだ。曲が終わって次の曲が始まるまでの無音の間に切ってしまうとカウントしてもらえないのだ。多楽章作品では各々の楽章を1つの作品と見なしている。

何と1から25位まで、歌曲が並んだ。1曲にかかる時間が短いのでちょっとした移動の間にも手軽に聴けるという特性が利いているとは、思うが極端である。昨年5月7日のバースデーの記事「三色対抗歌合戦」の作成のための準備で歌曲ばかり聴いていたことは確かだがこれほどとは思わなかった。以下に列挙する。

  1. 75回 あの娘のもとへop48-3 ナタリー・シュトゥッツマン
  2. 61回 野を渡ってop86-4 白井光子
  3. 58回 夢に遊ぶ人op86-3 マリー・ニコル・ルミュー
  4. 54回 野に一人いてop86-2 ヴェッセリーナ・カサローヴァ
  5. 52回 五月の夜op43-2 アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
  6. 52回 死よ何と苦いことかop121-3 クリスチャン・ゲルハーヘル
  7. 51回 野を渡ってop86-2 アン・カトリン・ナイドゥ
  8. 48回 永遠の愛op43-1 ナタリー・シュトゥッツマン
  9. 47回 日曜日op47-3 鮫島有美子
  10. 45回 夏の宵op85-1 マーガレット・プライス
  11. 44回 心変わりした男op48-2 トマス・ハンプトン
  12. 43回 娘は話しかけるop107-3 ルチア・ポップ
  13. 41回 娘の歌op107-5
  14. 40回 永遠の愛op43-1 ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ
  15. 39回 甲斐なきセレナーデop84-1 エリザベート・シュワルツコップ
  16. 39回 子守唄op49-4 アンジェラ・ゲオルギュウ
  17. 39回 子守唄op49-4 ブリン・ターフェル
  18. 39回 子守唄op49-4 マリリン・ホーン
  19. 38回 森の静けさop85-6 エディタ・グルベローヴァ
  20. 38回 あの娘のもとへop48-3 ヘルマン・プライ
  21. 37回 あの娘のもとへop48-3 ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ
  22. 35回 いかにおわすか我が女王 ヘルマン・プライ
  23. 35回 野に一人いてop86-2 白井光子
  24. 35回 テレーゼop86-1 アン・カトリン・ナイドゥ
  25. 35回 死よ何と苦いことかop121-3 ナタリー・シュトゥッツマン

言われて見れば納得のランキングである。1位2位3位と渋いところが並ぶのはなかなか嬉しいものがある。

器楽曲は21回の「左手のためのシャコンヌ」(演奏ウゴルスキー)が最高だ。順位にすると100位にも入らないとは恐れ入った。

歌曲は小さな宇宙なのだと思う。 

2007年1月26日 (金)

ipod購入一周年

ipodの購入から1年が経過した。

今や不可欠なアイテムになっている。どのくらい不可欠かというと、たとえば携帯電話とどちらか一方を取れと言われたら迷わずipodを選ぶに違いないくらいである。

「Brahms」と名付けたipod本体と管理ツールであるiTuneを併せてドップリ首まで浸かっている。「通勤・出張の友」としての絶大な貢献の他に、事実上所有しているCDのデータベースとしても機能してくれている。CDショップの店頭で、所有のCDを確認出来るので重複して購入するという間違いを冒さなくなった。

現在のところブラームスの作品ばかり9GBほど収容したが、まだまだ余裕だ。

別に心配事もある。やがてこのipodにも機械としての寿命が来るのだろうが、それまでに60GBの容量を全部使い切らないのではないかということだ。さらにそれに付随してもっと深刻な課題もある。新しく買い換えた時、今まで取り込んだデータをまた最初から入れ直しせねばならないのだろうか?現行のデータをそのまま流し込めたりする機能があれば文句なしだのだが。

いつも「ipodのBrahmsちゃん」と一緒にいられて幸せである。

2007年1月25日 (木)

ホルン三重奏曲ヴィオラ版

12月21日の記事「とまま五重奏団」で、24の室内楽の内、編成からみて我が家で演奏不能な作品を列挙した。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/12/post_b5ed.html

  1. 弦楽六重奏曲第1番
  2. 弦楽六重奏曲第2番
  3. ホルン三重奏曲
  4. クラリネット三重奏曲
  5. クラリネット五重奏曲

このうちクラリネット入りの2曲には、ブラームス自らクラリネットをヴィオラに差替えた版が存在する。だから演奏できない作品のリストからははずすことも可能だった。現にクラリネットソナタはそのつもりだから、最初から加えていない。けれどもこの2曲についてクラリネットをヴィオラに差替えた版を認めがたいものがある。ソナタはむしろヴィオラ版の方がしっくり来るのだが、三重奏と五重奏は辛い。このあたりの微妙な差は、デリカシーに属する問題だ。単に盲目的にヴィオラ贔屓な訳ではないのだ。

さて、そうは言いつつ我が家には、ホルン三重奏曲変ホ長調作品40のホルンパートをヴィオラに差替えた楽譜もそろっている。残念ながらブラームス自身の編曲ではない。これはなかなか楽しめる。チェリストが来るのを待つ間の暇つぶしにしておくには少々もったいない。CDが見つからないのが癪のタネである。

ブラームス自身がこのヴィオラ版への編曲を承認していたそうだ。承認というのは出版の同意という意味と考えて良い。一方で同じ曲のホルンパートをチェロに差替えた楽譜の出版に、ブラームスが反対していたという逸話もある。なんだか嬉しい話である。ヴィオラ贔屓が嬉しいだけではない。その種の微妙な位置づけの違いにこだわったブラームスの感覚が嬉しいのだ。「チェロではダメでヴィオラならOK」という脳内基準があったに違いないからである。

2007年1月24日 (水)

バシュメット

Yuri Bashmet。ロシアのヴィオラ奏者。現代を代表するヴィオラ奏者である。ブラームスの作品は、ヴィオラソナタ2曲はもちろん、クラネット五重奏曲と、クラリネット三重奏曲のクラリネットをヴィオラに差し替えたバージョンのCDが出ている。作品91のアルトとヴィオラのための歌曲も出している。ピアノ四重奏曲第1番では、地球代表としてクレーメル、マイスキー、アルゲリッチらと共演しているが、全く後れを取っていないばかりか、しばしば主導権を握っている。

今日はそのバシュメットのお誕生日だ。彼は1953年1月24日の生まれだそうだ。

つまり私と誕生日が同じということになる。私が言わねば誰も気付かない話だし、ヴィオラ弾きの端くれとしては嬉しいのだが、実は嬉しいを通り越して少し気が引けている。

2007年1月23日 (火)

生誕130周年

昨日のブログへのアクセスが161に達した。これは昨年6月24日の155を更新する新記録だ。ブログアクセス系のネタが続くのは気が引けるが、新記録とあれば致し方ない。しかしアクセスネタでお茶を濁してばかりいると、飽きられてアクセス増の足を引っ張りかねないから、さっそく本論に移る。

昨年は生誕250年で盛り上がった作曲家がいたことは記憶に新しい。

昨年が生誕250周年だった人は相当いたはずだが、記憶されているのは一握りだ。生誕または没後で盛り上がるには暗黙の基準を想定せざるを得ない。

  1. 生年または没年からの経過年数が10の倍数。50や100の倍数だとさらに盛り上がる。
  2. この事実を強調することで相応のメリットを享受する集団が十分な数だけ存在する。

実は残念ながら2の基準を満たすことは出来ないが、私の身近にも存在する。

ラベルの記載を信用する限り、愛用のヴィオラは今年生誕130周年を迎える。生年が記載されているだけで、正確な月日は不明だ。考えてみると130年前の道具を今も使っているという例は、世の中そうは多くない。地球は誕生後約45億年たっているらしいが、「使っている」という表現はなじむまい。建造物にも古いものがあり、そのいくつかは現役だが、やはり「使っている」とは表現しにくい。話はいわゆる「道具」に限定されよう。

「1877年のドイツ製」ということが重要だ。ブラームス存命中に制作された楽器ながら私の手許にたどり着くまでの履歴は不明だ。この「不明」が実は貴重なのだ。「判らぬこと」はロマンなのだ。邪馬台国が「歴史のロマン」を感じさせるのは実は、判らぬことが多いからだ。「昭和史のロマン」というよりは「古代史のロマン」の方が耳になじむ。

「判らぬこと」を逆手にとって想像を膨らませる権利は誰にでもある。邪馬台国をあらぬ方向に持って行く説が後を絶たないのと似ている。同様に私のヴィオラがブラームスとニアミスしていた可能性は誰にも否定出来ない。私の手許に来てから既に15年だ。けれどもこの楽器の全生涯のうちの10%を超えたに過ぎない。物言わぬ楽器の悲しさで、本当はもっと上手い弾き手に巡り会いたいのかもしれないが、文句も言わずにそばにいてくれている。

残念ながら誕生日が不明だが、私の手許にある間は、たっぷりとブラームス、そしてバッハに浸してあげることにする。

2007年1月22日 (月)

春の珍事

昨日までの1週間、ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスが747を記録した。パチパチパチ。あらためて感謝だ。

いったいどうしたことか。これで2007年にはいってから3週間連続の大台突破である。昨年2006年1年間、週間アクセスが700を超えたのはわずか一回だったからこれは珍事である。去年1回しか無かったことが今年はもう3回起きてしまった。

昨年の虎の子の1回は「のだめカンタービレ」テレビ放映が始まった週に1度だけ記録したもので、「のだめ」という神風の仕業だった。今年に入ってからその「のだめ」は深夜時間帯に移動してアニメ版がオンエアされてはいるものの、肝心な記事の内容や傾向に大きな変化があるとも自覚していないだけに嬉しいを通り越して不気味である。1年前どころか1ヶ月前にも想像出来なかった。やはり「のだめ」のご利益なのだろうか。

こうなると今週もという欲も出るのが人情だが、じっくりと封印して粛々と記事のアップに励むことにする。

ブログに顔が出なくてよかった。にやけた顔になっていることは確実である。

2007年1月21日 (日)

カントル

コミック「のだめカンタービレ」第16巻の109ページからヴァイオリンのパート練習の合間にコンマスのトマ・シモンが講釈する場面がある。さらにのだめからその様子を聞いた千秋が説明を補う。114ページだ。

神の作った世界の調和を知るための4つの学問がある。「天文学」「幾何学」「数学」「音楽」だ。本来「音楽」(ムジカ)とは調和の根本原理そのものを指し示す言葉だった。「音楽」とは「理論的に調和の根本原理を研究する学問」だった。中世に至ると、そうした音楽理論を熟知した上で「理性により作品全体に対して入念に音楽を判断できる人」を「音楽家」(ムジクス)と称した。これに対してただ単に歌ったり演奏したりする人を「歌い手」(カントル)と呼んだ。

トマ・シモンと千秋の説明を統合するざっとこういう主旨になる。全体から受ける印象としては「ムジクス」は「カントル」より偉いような感じである。

1879年ブラームスのもとにあるオファーが舞い込んだ。ライプチヒのトマス教会からカントルへの就任を要請されたのだ。えらいことである。ライプチヒのトマス教会と言えば、その昔ヨハン・セバスチャン・バッハが奉職していたことで知られている。ブラームスがそれを知らぬはずはない。もの凄く名誉なことだ。バッハを畏怖尊敬していたブラームスの心が動いたことは間違いない。ブラームスに白羽の矢を立てるなんざぁ、トマス教会もなかなかお目が高い。そもそもこのライプチヒという街は、ブラームスにとって鬼門である。ピアノ協奏曲第1番の初演以来、何かとケチがつくことが多い。ライプチヒの聴衆はなかなかブラームスを認めようとしなかったのだ。そうした背景があるがゆえに、このオファーには重みがある。

ウイーン楽友教会音楽監督の職を辞して以来、定職を持っていない身であったからトマス教会の申し入れを受けることは可能だったが、結局ブラームスはこれを辞退した。いろいろと理由は詮索されている。「ウイーンを離れたくなかった」が一番有力である。作曲家としてのデビュウ直後にピアノ協奏曲第1番の初演で煮え湯を飲まされたのが、他でもないこのライプチヒだったという記憶は間違いなくマイナス要因だろう。

それからもう一つ。ブラームスが「僕はムジクスになりたい。カントルなんか嫌だね」と思ったからという理由を「のだめカンタービレ」を読んでいて思いついた。

2007年1月20日 (土)

マイスキーの無言歌の続き

ミッシャ・マイスキーという名高いチェリストが、ブラームスの歌曲をチェロで演奏している。ヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」のチェロ版の余白に入っている。血も涙もある選曲と配列になっていることは既に昨年11月4日の記事「マイスキーの無言歌」で言及した。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/11/post_ab83.html

このほどその続編を見つけて購入した。前から出ていたのだが、ジャケットには「チェロソナタ」と大書されてあるので見落としていた。

ブラームスの2曲のチェロソナタの間に以下の7つの歌曲が置かれている。

  1. 「五月の夜」op43-2 変ホ長調
  2. 「ミンネリート」op71-5 ハ長調
  3. 「夏の宵」op85-1 変ロ長調
  4. 「月の光」op85-2 変ロ長調
  5. 「野に一人いて」op86-2 ヘ長調
  6. 「夢に遊ぶ人」op86-3 ハ長調
  7. 「死は冷たい夜」op96-1 ハ長調

見ての通り全部長調の曲だ。加えて作品番号に注目願いたい。アルバム冒頭のチェロソナタ第1番op38と末尾の同第2番op99の間に7曲全てが収まっている。しかも配列は作品番号の若い順になってるではないか。21年の間をおいて書かれた2曲のチェロソナタをお気に入りの歌曲で繋ぐという意図は明白である。全楽章が短調になっている唯一のソナタでアルバムを立ち上げることとのバランスか、7曲の歌曲は全て長調で、しかもフラット寄りになっている。この7つの歌曲にはアルバム全体の緩徐楽章か間奏曲のニュアンスが充満している。

前回のアルバムは「四つの厳粛な歌」からの3曲を中央に置き、長調短調を取り混ぜて自由に配置していた。

さらに、この2種のアルバムを両方手に入れても、重複する曲がないのも嬉しい。1枚目のアルバムにチェロソナタを持って来ずに温存した意図さえあったと思われる。

それにしても、今回の選曲もセンスと意図を感じさせるものだ。特に私のお気に入り「野に一人いて」は絶品である。このように弾けるのなら、必ずしも歌える必要はないとさえ思える。

2007年1月19日 (金)

ヘ調の揺らぎ

本日は「対斜」のお話。「non harmony」の訳語だ。

第三交響曲ヘ長調を解説した書物には必ず載っていることがある。冒頭3小節間の特異な和音進行のことだ。第1小節目は、もちろんヘ長調の主和音「F-C-A」だが、第2小節目には「F-As-H-D」の減七和音を挟んで、第3小節目にまたFの主和音に戻っている。AとAsが隣接している状況が「対斜」と呼ばれているという訳だ。この関係が、ソプラノ声部の「F→As→F」という進行、つまり交響曲全体のモットー「FAF」の土台になっている。この進行がどれほど異例かを強調し、この異例さと「FAF」とをもって第三交響曲全体を論じようとするニュアンスが充満している。

以前にも述べたとおりブラームスのヘ長調好きは有名である。ヘ長調の作品は多いのだから、こうした進行をさせている作品が他にもありはしないかと考えるのが自然だ。「F→Fdim7」で、すぐにわかるものとしては以下の4例が挙げられよう。

  1. ドイツレクイエムop45第一曲6小節目 
  2. 「聖なる子守唄」op91-2 19小節目
  3. 「Abendlied」op92-3 20小節目
  4. チェロソナタ第2番op99第1楽章1小節目

上記の2番目以降は興味深い。作品90の第三交響曲と時期が重なっている。同じヘ長調でも作品86-2「野の寂しさ」や作品88の弦楽五重奏曲の第一楽章には見つからないから、作品90の第三交響曲がキッカケでということも想像に難くない。

特に4番目のチェロソナタは特筆物だ。何といっても作品冒頭の1小節目から発生しているのだ。4分の3拍子で数えて2拍分だけFの主和音が鳴って、3拍目でチェロが合流すると同時に減七和音に崩落している。その後恐らく、C→Esmaj7→F→Fisdim7→Gmと進んで5小節目冒頭でまたFに戻る。それも束の間で5小節目の3拍目にはまたも「Fdim7」という減七に引っ張り込まれるのだ。

紛れもなく「F」とそれに隣り合う「Fdim7」の摩擦エネルギーが作品の推進力になっているのが実感出来る。チェロソナタ第二番に関連する書物でもこの点における第三交響曲との類似には、あまり言及されていない・・・・・ような気がする。

2007年1月18日 (木)

矛盾

数日前の夕食の時、中学1年の長女が語尾上げ調で尋ねてきた。「パパは百人一首って知ってる↑?」だ。「誰に口聞いてんだ」と言ってやりたいのをこらえて「知ってるけど、どうして?」と聞き返した。百人一首から10首選んで暗記してくる宿題が出たと言っている。

「パパは全部覚えてるけど」と言うと「ウソ!全部って100だよ」と目を丸くしている。「当然でしょ。小学校4年の時全部覚えたよ」と鼻高々である。「覚えると何かいいことあるの?」「昔はお正月に親戚が集まるとみんなでカルタ取りして遊んだからね」と受け流すと驚くべき反応。「ええっ!!百人一首ってカルタだったの?」である。「おいおい」と言ったがそう言えば我が家では「坊主めくり」しかしたことがない。

「先生も10首みたいな半端な宿題出さずに全部暗記にすればいいのにねぇ」と余裕の応答である。「どうしたら覚えられるか、いい方法ないかな?」とまたお決まりのちゃっかり質問だ。「簡単だよ。好きになればいいんだよ」とつけ上がり気味の対応をした。

娘相手とは言えつけ上がるものではない。今晩になって「パパってブラームス好きだよねぇ」と長女。「はあ~、いつもそう言ってるだろ」と私。これが娘の逆襲だとはこの時点でちっとも気付いていない。「じゃあ、ブラームスの曲なら暗譜簡単だよね」と痛いところをつかれた。「好きになれば覚えられるって訳じゃないよね」ととどめを刺された。

覚える方法を訊かれた時、「実際にカルタをしてみて、得意な札を見つけること」くらいな返答にしておけば良かった。

9歳の私が覚えた最初の歌は清少納言作の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」だった。最後に覚えたのは紀貫之。「人はいざ心も知らぬ古里は花ぞ昔の香に匂いける」だった。こういうことは事細かに今も覚えているのに、大好きなブラームスの作品とはいえ、暗譜は決定的に苦手である。ブラームスを好きな脳と、暗譜をする脳は違うのだと思う。

2007年1月17日 (水)

ご心配御礼

昨夜、管理画面にアクセスを試みて愕然とした。15時から24時間のメンテナンスということで、管理画面にアクセスが出来なくなっていた。いやいや迂闊であった。

記事は自動更新を設定しておいて、設定した時間になる前に自分で手動公開をしている。急な残業があっても更新漏れにしないための保険である。実際には、書き貯めた記事は全て先付けの公開日を仮設定して保存中だ。これもまた保険である。記事の備蓄状況から見て、理論上は私が不慮の事故に遭っても読者は今年の11月まで気付かないことになる。

昨夜は21時10分のセットだった。メンテナンスの実施要項によると自動公開がセットされている場合でも、公開の処理はメンテナンス終了後まで行われないことになっていた。つまり何も知らぬ読者から見ると私が一日公開を抜かしたことに見えてしまったことになる。

ほとんどうちひしがれていたが、今朝一通のメールが届いた。

「16日の記事が更新されていませんが、何か悪いことでもあったのですか?」という内容だ。案の定記事の公開が無いことがバレバレだ。

でも何だか元気が出た。「ちゃんと読まれているのね」という妙な満足感に包まれた。時間が経つにつれてポカポカと暖かい気持ちになってきた。

長くブログを続けていると良いこともあるものだ。という訳で今日は見かけ上2本の記事がアップされることになる。

どうもありがとう。

2007年1月16日 (火)

一瞬の「molto f」

「pp」と「p」の間にダイナミクスの中二階を形成する機能の「molto p」は、ブラームスの作品中62箇所の用例が存在する。

ところが「molto f」はとなるとたちまちレアアイテムと化す。「運命の歌」op54の306小節目に1回出現するだけだ。周囲の楽器はみな「f」の中、アルペジオを刻むヴァイオリンとヴィオラにだけ「molto f」が付与されている。周囲の「f」よりは聞こえて欲しいが、8小節後の「ff」はそれとわからねばならないという意味だとは思うが、座りが良くない。

ブラームスにおいては、ダイナミクス記号はそれぞれで独自のニュアンスを獲得するに至っていて、数学的な整合性はしばしば犠牲になっている。たとえば「mp」は、とても「mf」の裏返しの概念とは思えない使われ方をしているし、「ppp」と「fff」も出現頻度が均衡していない。ブラームスの根幹となるダイナミクスは「p」だとでも言わんばかりにダイナミクス用語の出現頻度のピークは「p」の周辺に存在する。

同様に「molto f」は、出現頻度において「molto p」と均衡していない。用例が余りに少ないため傾向の分析すら許さない。

「非常に強く」などという凡庸な理解でよいのか自信がない。

2007年1月15日 (月)

記事のジャンル別バランス

昨日までの1週間のアクセス数が775となり、前週に更新したばかりの週間アクセス記録765をまた更新した。いい気になっていないでふんどしを締めて行きたい。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/01/post_ba4e.html

昨年11月にカテゴリー体系を一新した。新体系では「交響曲」「協奏曲」「管弦楽曲」「室内楽」「歌曲」「合唱」という具合に楽曲のジャンルというパラメータを設けて全ての記事に、必要に応じてカテゴリー属性の再配置を行った。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/11/post_8669.html

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/11/post_23f7.html

さらに今年になってからカテゴリー「民謡」を追加した。

この結果、ブログ「ブラームスの辞書」の記事がどのようなジャンルについて書かれているかの分布が判るようになった。2005年5月30日のブログ開設に遡ってジャンル毎の記事数を集計した。結果は下記の通りだ。赤文字は公開された記事数で、緑文字は未公開の記事数だ。

  • ピアノ 2212 計34 
  • 歌曲 6217 計79
  • 室内楽 2922 計51  
  • 交響曲 16 計21
  • 協奏曲  計13
  • 管弦楽曲  計4
  • 合唱  計6
  • 重唱  計4
  • 民謡  計9

一つの記事に付与する属性は3つまでと決めているので、優先順位4位以下の場合は反映されていない他、記事に対するジャンルの紐付けの定義がいささか曖昧なのだが参考にはなると思う。歌曲が第1位だ。ついで室内楽になる。この2つが交響曲や協奏曲より手厚くなっている。歌曲は200曲あるので4曲しかない交響曲や協奏曲よりも言及の回数が多くなるのはある意味で当然だ。しかし、この結果は私の苦手意識の裏返しでもある。ブログを始めた当初、いろいろなジャンルを公平に扱うと決心したものの、知識経験が明らかに交響曲協奏曲や室内楽に偏っていた。これを強く自覚していたので、歌曲の記事の充実に力を注いだ結果だとも言えるのだ。

世の中の一般的な傾向としては、交響曲や協奏曲についての情報はブラームスに関する限りとても多いから、中には私のような傾向のブログがあってもいいかもしれない。もちろん課題は多い。合唱重唱の記事が薄いことは一目瞭然だ。特に重唱は記事の備蓄がゼロだ。今年の目標に合唱や重唱の記事の充実を付け加えたい。

2007年1月14日 (日)

フーガの技法

バッハの作品目録番号BWVの最大番号1080を背負っている。対位法の集大成だ。演奏に参加する楽器が特定されていない。さらに何と言ってもこの作品を特徴付けるのは、未完であるということだ。自身の名前「BACH」のスペルに由来する主題が現れて筆が途絶えている。「1080という番号を背負った作品がバッハを象徴する主題をもって未完に終わる」というだけで襟を正したくなる厳粛さが充満している。

ブラームスはバッハを敬愛し、研究の対象とした。「フーガの技法」はまさにその研究の対象の一つであった。研究の成果はブラームス自身の作品に反映されている。チェロソナタ第1番ホ短調op38がそれだ。第1楽章はフーガの技法の中のコントラプンクトゥス第4番を借用した第一主題によって立ち上がっている。第3楽章は同13番の投影である。

1871年1月14日、つまり136年前の今日チェロソナタ第1番が初演された。

2007年1月13日 (土)

良い音を出すために

むかしむかしあるところに幼い姉妹がいました。

姉は7歳、妹は5歳でした。

お父さんの言いつけで2人はヴァイオリンを習っていました。

習い始めて3ヶ月たった頃、とうとう左手の練習をさせてもらえることになりました。

今まで右手だけの練習だったので、急に左手が入るとなかなかきれいな音が出なくなってしまいました。

慣れない左手に注意が行ってしまったせいです。

お父さんは「節を作るのは左手だけど、良い音を作るのは右手だよ」と教えたくて2人に質問しました。

「ヴァイオリンで良い音を出すために、一番大切なのは身体のどの部分でしょう?」

お父さんは「右手」という答えが返ってくればいいなと思っていました。

妹の答えは「せなか」でした。

お父さんにいつも「背中をピンと伸ばしなさい」と言われていたからです。

お父さんは「右手」という答えよりも嬉しく思ったので、う~んと誉めてあげました。

妹が誉められたのを見ていた小学校一年生の姉は、しばらくじっと考えた後、お父さんに答えました。

お姉ちゃんの答えは「耳」でした。

お父さんは目を丸くしてお姉ちゃんを見つめました。

教えようと思ったお父さんは娘たちから教わりました。

今から6年前の今日、我が家で実際にあったお話である。最初の1年間つけていたレッスン日誌からの引用だ。

2007年1月12日 (金)

カテゴリー「民謡」の創設

新たにカテゴリー「民謡」を創設する。

1月3日の記事「今年やりたいこと」でも述べたとおり、作品番号の無い作品を順次ブラダスに取り込んで行く。目玉は「ハンガリア舞曲」と「ドイツ民謡」になる。ドイツ民謡を扱う限りそこから興味深い話が飛び出す可能性がある。従来民謡ネタはカテゴリー「歌曲」に分類されていたが、本日をもって「39民謡」に移管することとする。

ブログ「ブラームスの辞書」にはブラームス作品のあらゆるジャンルを出来るだけ公平に扱うという願望がある。その意味では従来「民謡」というカテゴリーが無かったことの方が不思議だった。人気の高いジャンルの作品中に存在する「p」も、あまり知られていない作品に存在する「p」も公平に扱うというのが著書「ブラームスの辞書」の基本姿勢でもある。

さらにブラームスに関して言えば、世の中の情報の厚みとして「室内楽」「管弦楽」への偏重を感じることが多い。せめて私くらいは「民謡」にスポットライトを当てるというのも悪くない。

2007年1月11日 (木)

のだめの中のブラームス【23】

まるで狙いすましたかのような新年最初の「のだめ初夢企画」である。

いまだコミック中で実現しない野田恵本人によるブラームスの演奏が何になるかについて大予想を展開したい。17巻であっさり実現されてしまうと記事に出来ないので今のうちに発信する次第である。

予想と言っても希望的観測と独断を足して3で割ったようなものである。

  1. ピアノ協奏曲第2番変ロ長調op83 千秋真一指揮のR☆Sオケとの協演ならさらに言うこと無しである。コンマスは清良で。本命だが、ディープインパクト程ではなく単勝1.2倍というわけにはまいらぬ。
  2. ワルツop39-4 2年目のブノワ城コンサートのアンコールか何かでさらりと弾かれるのも乙である。何故4番かと言われると答に窮する。気分の問題だ。
  3. インテルメッツォop118-2 鬼気迫る超絶技巧の曲と対照的な曲として、オクレール先生がさりげなく出した課題という登場のしかたはどうだろう。
  4. ピアノ三重奏曲第3番ハ短調op101 これまたオクレール先生に薦められて取り組んだ室内楽という状況。新たにヴァイオリニストとチェリストを探してヤキトリオ2の発足だ。
  5. 左手のためのシャコンヌニ短調 千秋への跳び蹴りがはずれて右手を負傷したのだめが千秋に薦められて取り組むというのはどうだろう。
  6. パガニーニの主題による変奏曲 瀬川悠人クンに弾けるなら私にだってと、対抗心を燃やすのだめという設定だ。
  7. ヴァイオリンソナタ第2番 帰国して再び訪れた三善家で千秋とデュオというのは、いかがなものだろうか。何故2番かと言われると困る。
  8. インテルメッツォ集 のだめのデビュウCDがこれ。無礼講とはいえさすがに図々しいので第8位にした。

1番目がオーソドックスだが、出来過ぎの感じもする。ピアニカで吹かれる目もあるので油断が出来ない。

2007年1月10日 (水)

sempre piu f e poco stringendo

「永遠の愛」op43-1の61小節目に出現するブラームス生涯で唯一の指定。

この作品は「夜の描写」「男の弱気」「健気な女」とでも名付け得る3つの部分からなっている。「僕のために辱めを受けるならば別れよう」と切り出した男が、「雨や風とともに別れよう」と畳み掛けるところに相当する。

歌詞の内容の消化が完璧だ。「男の弱気」の部分冒頭45小節目からピアノ伴奏に三連符が現れる。拍頭に打ち鳴らされる「嬰ヘ音」が打ち付ける雨の描写なのだろう。問題の61小節目、歌詞に「風と雨」が現れるところになると「嬰ヘ音」は4度上の「ロ音」へと高められ風雨の激しさを表す。まさにこの場所に「sempre piu f e poco stringendo」が配されている。

「常に今までより強く、かつ少し差し迫って」と訳せば試験での得点にはなると思われるが、その程度では伝わらない。曲の最終節で「女の健気」が際立つためには、この部分「男の絶望」が深ければ深いほどいい。シェークスピアあたりならば「一緒に死のう」くらいの展開だってあり得る状況なのだ。

「居ても立っても居られず」あるいは「矢も盾もたまらず」くらいの思い入れは是非とも持っておきたいところである。ではあるが、事ここに至ってもなお「stringendo」を単独で使用せずに「poco」を挟み込むところが ブラームスの真骨頂だろう。絶望と健気の落差が大きいほど良いとはいえ、それが女の側から男への「説教」に聞こえては元も子もないという落としどころの微妙さが反映していると見たい。

それにしても、曲も聴かせず、譜例も無しでこのノリを説明するのは骨が折れる。屁理屈は邪魔でさえある。聴かねば何も伝わらないというのが実態だ。

2007年1月 9日 (火)

夢の通い路

今日から3学期が始まった。

冬休み中も、娘たちとのヴァイオリンの練習は続いていた。親戚のうちに出かけた2日だけがお休みだった。

娘たちが次回の発表会で挑むのは偶然にもそろってイ短調だ。だから毎日の練習にイ短調の音階は必修事項になっている。G線1の指で取る最低のAから、A線開放弦の2オクターブ上のAまでの3オクターブの音階練習だ。短調なので上行と下行とでは経過する音が違う。上行の時はE→Fis→Gis→Aであるのに対して、下行の時はA→G→F→Eとなる。

3オクターブとなると、音階の頂上付近は第7ポジションになる。E線開放弦のオクターブ上のEを人差し指で取る。この付近の半音は非常に狭くて指同士をくっつけてもまだ広いという感じになる。おまけに先ほどもふれた上行と下行で音が変わるせいもあって、カッチリとした音程で弾くには訓練が必要だ。ソ♯つまりGisからAの半音は美しくかつ難しい。Gisをおさえていた薬指を、Aをおさえる小指が押しのけるというニュアンスだ。2人ともよくやっている。

2人が毎日行きつ戻りつしているこの「Gis」音は、ある意味で私の夢の到達点だ。ブラームスの第一交響曲の第2楽章に出現するコンサートマスターによる独奏は、夢見るような余韻を残してこの「Gis」音の伸ばしで終わるのだ。コミック「のだめカンタービレ」第8巻44ページの最上段で、千秋クンの視線を浴びながら三木清良が出している音は間違いなくこの「Gis」なのだ。二人の娘のうちのどちらかが、将来オーケストラに所属してコンサートマスターになり、このソロを弾くというのはある意味で究極の夢である。私は客席か、ヴィオラの位置からそれを聴きたいと心から思う。

90小節目から始まるこのソロは、華麗というよりも渋いと思う。オーケストラの中の何らかの楽器とオクターブユニソンになっていることが多い。最初はホルンとオーボエに始まるが、やがてクラリネット、第一ヴァイオリンという具合にパートナーを替えながらデリケートなオクターブユニゾンを形成する。独奏と言いながらアンサンブルが要求される。ホルンとの2回目のアンサンブルはオクターブユニゾンを形成しない。ホルンが奏する主旋律を独奏ヴァイオリンがキラキラと縁取るという役割分担だ。コンサートマスターとしてソロに挑む娘と、ホルン吹きとの間でロマンスが芽生えるというのも悪くない。彼ならホルン三重奏も吹きこなすだろう。

ホ長調の緩徐楽章がアンダンテの表札を奉られ、上行する分散和音で終わるのは、ピアノ四重奏曲第3番ハ短調と同じだ。上行する三連符最後の6つの音は独奏ヴァイオリンに委ねられることになる。7つ目の音つまりその行き着く先こそが本日話題の「Gis」だ。この「Gis」は次の楽章では「As」に読み替えられて主音になるという魔法の主役でもある。

娘たちが毎日、音階練習で行き戻りつを繰り返して通り過ぎる「Gis」の音は、いつの日にか辿り着いて欲しい極上のソロの終着点でもあるのだ。娘たちよ、心せよ。

2007年1月 8日 (月)

ロケットスタート

盆と正月はめでたいことの代表である。嬉しいことが起きたとき「盆と正月が一緒に来た」と形容することもあるくらいだ。

一方でブログへのアクセスに関しては盆と正月は鬼門である。普段ブログ「ブラームスの辞書」にアクセスしてくれる人々が、帰省やら旅行やらで忙しくなるのだろう。あるいは出先で慣れぬパソコンではオチオチとブログの閲覧もしにくいと見える。例年ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスが激減するのだ。ブログ立ち上げ以来ずっとその傾向が続いていた。

ところが、今年の正月は以下の通り勝手が違う。

  • 1月1日(月)  56アクセス
  • 1月2日(火)  81アクセス
  • 1月3日(水) 109アクセス
  • 1月4日(木) 130アクセス
  • 1月5日(金) 113アクセス
  • 1月6日(土) 154アクセス
  • 1月7日(日) 122アクセス

合計765アクセスを記録した。何を隠そうこれは週間アクセス数の新記録である。これまでの記録は、「のだめカンタービレ」のテレビ放映が始まった10月16日からの1週間で記録した752アクセスであった。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/10/post_6256.html

元日こそ56アクセスにとどまったが、その後特に3日以降は連続して100を超えた。これは一日平均110アクセスとなる。この数値がどれだけ凄いかというと、この調子が続くと3月中に40000アクセスに到達してしまう程だ。年末年始アクセス出来ずにいた人が、帰省先や旅行先から戻って、忘れずにいてくれたと解さざるを得ない。2007年は第一週で、はずみがついた。

もちろんこれは嬉しい誤算である。まるで盆と正月が一緒に来たようだ。

2007年1月 7日 (日)

in tempo ma piu tranquillo

ブラームスが28年前18歳の私にかけた魔法の呪文。「本来のテンポで、しかしより鎮まって」とでも解するのだろうが、十分とは言えない。

第2交響曲第1楽章477小節目に唯一出現する。

1979年1月7日大学入学後はじめてヴィオラを習った私のデビュウ演奏会だった。メインプログラムだった第2交響曲を練習する中で、私はブラームスの魔法にかかった。第1楽章を終末に導くホルンの夢のようなソロを受けた弦楽器が満を持して放つブラームス節だ。ホルンの置き土産のリタルダンドを打ち消すのだが、雰囲気だけは引き継ぐ意味合いがある。

楽章冒頭の半音の上下動のモチーフを奏するチェロに乗って、第1ヴァイオリンがsulGで奏する「mp espressivo」の香気にすっかり打ちのめされた。その間ヴィオラはといえば粛々とシンコペーション放つ。一人で練習している時には退屈だったシンコペーションなのだが、ヴァイオリンとチェロに挟まれて至福の出番に変わった。他のパートを聴く喜びを始めて知った。旋律を受け持たぬヴィオラだが、何ともいえぬ幸せな気分になった。

この前のホルンのソロ、それに続く弦楽器、さらに後続の木管楽器の滔々たる流れに触れて、「オーケストラっていいな」と心から思った。

言葉で完全に説明するのはほぼ不可能だ。

今もなお、その魔法は解けていない。

2007年1月 6日 (土)

カルタ工房

本年1月1日に新年の挨拶代わりにアップした「ブラームスいろはガルタ」は楽しかった。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/01/post_f766.html

もちろん年末から仕込みを始めていた。年末どころかアイデアだけは夏から暖めていた。通勤の電車の中でも考えていたし、食事中に突然思いついて、慌ててメモしたりもしょっちゅうだった。特定の作品やエピソードを想定しているケースが多い。言葉を読んでどの程度それが理解できるかで、読者の「ブラームスはまり度」を測定することも出来よう。一方で単に私自身の思いを託したケースもある。こちらは笑って見逃していただきたい。カルタはブラームスの本場ドイツやオーストリアでも企てるヤツはいないと思うのでオリジナル度とおバカ度が高いと思われる。おそらく日本で唯一なら、即世界で唯一だろう。

まずは始まりの文字にこだわらずにブラームスネタを句にしてみた。それらを始まりの文字毎に分類して一番良いものに決定して行く作業だった。後から良い句が出来ればその都度差しかえた。一方で絶対にはずしたくないエピソードもいくつか決めて読み漏らしのないようにチェックした。特定の曲、特定のエピソード、特定の人物に話題が偏らないよう留意もしている。かれこれ150くらいは作ったから、今回選に漏れた句を用いてもう1セットくらいは出来ると思う。イラストに自信があればホントにカルタまで行ってしまったかもしれない。

「ブラームス」「ヨハネス」という言葉を一切使わないという自主規制にもこだわった。これはある意味で必須だ。ブラームスのカルタなのだから当然だ。今日のことを書いて当たり前の日記で「今日は」を連発するようなものだ。これらの言葉を禁句としたことで考えが深まったことは否定できない。一方「五七五」の俳句調に統一したことも特筆出来る。気の済むまで単語を使ってしまうと焦点が定まらなくなる。ブラームス愛好家たるものこの種の半ば自虐的な制約には、自らすすんで身を投じなければならない。

コメントやアクセス解析によれば、どうもこうしたおバカ企画の方が歓迎されている感じがしないでもない。昨年5月7日の「三色対抗歌合戦」を筆頭に、「運動会や結婚披露宴のBGMが全部ブラームスだったら」とか、マイケル・ジョーダンの背番号ネタ、あるいはクリスマスのテネラメンテネタ等々だ。「他所では滅多にお目にかかれない」という視点は引き続き大切にしてゆきたい。今回は昨年12月25日に公開した記事「テネラメンテクリスマス」と仕込みが重なって少々難儀したが、楽しみの大きさに比べれば苦労のうちには入るまい。

だから正月に相応しいネタとして、つい力が入ってしまい思わず濁点や半濁点まで手をつけてしまったという訳である。今年の正月がこんなに気合いが入っていたので、来年手が抜けなくなった。そろそろネタを考え始めないといけない。

つける薬ならとっくに無くなっている。天才との境目は紙一重らしいから、ひょんなキッカケで天才に脱皮できるかもしれない。

2007年1月 5日 (金)

伝説のホルン吹き

ホルンの名人などパボラークを持ち出すまでもなく世の中には数多くいる。しかし私にとってかけがえのない大学3年間を共に過ごしたあるホルン吹きが世の中全てのホルン吹きの基準になっている。今まで経験した最高の演奏、マーラーの第5交響曲は彼のホルン無くしてあり得なかった。4年生になってヴィオラのトップを降りた私は、そのマーラーの第5交響曲をヴィオラの最後列で弾いた。練習場ではしばしばホルンのすぐ真横になった。1番ホルンの彼とプルトを組んでいたようなものだ。彼が熱烈に支持したことでマーラーの第五交響曲がプログラムに取り上げられたという側面も無視できない。

そう彼は無類のマーラー好きなのだ。卒論のテーマにマーラーを取り上げるくらいだ。今ではマーラーの第五交響曲だけに話題を絞ったHPの管理人でもある。

http://www.fitweb.or.jp/~horn/citytop.htm

何を隠そう私が娘に「あるま」と名付けたのは、彼が演奏会のプログラムノートのために書いた文章のせいだ。

学年でいうと私の一個下だ。関係者はもう名前をフルネームで思いついているだろう。酒が強いが、マージャンやソフトボールはホルンほど上手くない。私の結婚式の二次会のブラームス第4交響曲でも1番のホルンを吹いてくれた。私が翌日ハネムーンに旅立った後、レンタルのティンパニを返却してくれたのも彼だ。もちろん彼の結婚式の司会は私だ。話し出せばきりがない。つまり腐れ縁なのだ。

今では郷里の富山に帰っている彼から「ブラームスの辞書」の注文が舞い込んだ。注目の通し番号は当初ホルン三重奏曲のop40を打診されたが、とうの昔に出払っていると伝えると迷わずop17を指名してきた。「ホルンとハープと女声合唱のための4つの合唱曲」だ。昔とちっとも変わっていない。

「ブラームスの辞書」本年初荷である。

2007年1月 4日 (木)

接続曲

「耳に心地良い旋律を次々と取り出して繋ぎ合わせた曲」という程度の意味。オペレッタの序曲にもこの類が多い。つまり劇中に現れる代表的な旋律を手際よく繋ぎ合わせるというパターンだ。ブラームスは大学祝典序曲を指して自嘲気味に「スッペ風の接続曲」と呼んだことがある。

このことはなかなか意味深である。

既出の主題の再帰とその過程に工夫を凝らすことは、ブラームス節の根幹の一つである。少なくとも器楽曲に関する限りその傾向を隠していない。無論ブラームス本人もそれが自作の売りであること百も承知だったハズである。本日問題の大学祝典序曲は、珍しく既出主題の再帰が目玉になっていない作品なのだ。なじみの学生歌を次々と手際よく繋げた構造になっていることを、「接続曲」といういい回しで半ば自嘲的に表現したと解したい。そりゃあブラームスのことだから、接続曲と言っても「ホントに単に繋げただけ」にまでは堕していない。ブラームス流の周到さをもって、その継ぎ目に迷彩を施してある。むしろその継ぎ目の迷彩振りを味わう作品なのだ。もっと言うなら、だからその反動でガッチリとした形式感漂う悲劇的序曲が生まれたとさえ申し上げたいくらいなのだ。

1881年1月4日。126年前の今日、ブラームスの指揮により大学祝典序曲が初演された。

2007年1月 3日 (水)

今年やりたいこと

ブログでは新年の挨拶とともに「今年の抱負」が語られることも多い。柄でもないのだが、ささやかな抱負を述べてみたい。

昨年はピアノ四重奏曲第1番のシェーンベルグ編曲と原曲の比較を試みたり、ピアノ三重奏曲第1番の初版と改訂版の比較をしてみて、得るところが大きかった。今年もこの系統の課題にいくつかチャレンジしたいと考えている。

  1. シューマンのピアノ四重奏曲をブラームスがピアノ連弾用に編曲している。この両者をブラダスの手法を用いて比較する。
  2. 「楽しいヴィオラ曲集Ⅱ」(仮題)の作成。
  3. ブラダスの充実

現段階では上記の3つを考えている。このうちシューマンは、まだ楽譜が見つかっていない。楽譜が入手出来てからということになる。ブラームスがシューマンの作品といかに向き合ったかについて手がかりでも見つかれば幸いだ。昨年9月16日の記事「ピアノ四重奏曲変ホ長調」参照。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/09/post_9a8a.html

2番目は楽しい。学生時代ブラームスのお気に入りの旋律をピックアップして音楽帳に手書きで書き留めた。今度はそれを楽譜作成ソフトを使って作成したいと思っている。オリジナルでヴィオラ用の物と、他楽器の旋律をヴィオラ用に書き直した物の2本立てとしたい。バッハの無伴奏ヴィオラ組曲と平行して気軽にブラームスの旋律を味わえるようにするのが目的だ。

3番目は地味な作業だ。ハンガリア舞曲やドイツ民謡集をブラダスに取り込むことが中心となる。

ブログとは直接関係が無いもう一つの密かな目標は、ヴィオラの弓を買うことだ。こちらはお金もかかるし、運も必要だ。良い弓に出会わねばならない。

ブログの毎日更新は当然過ぎて目標とはいえない。朝の歯磨きみたいなものだ。

2007年1月 2日 (火)

メヌエット

正月休みに入ったのをいいことに、のんびりとヴィオラを練習している。もちろん相変わらずバッハの無伴奏ヴィオラ組曲だ。「組曲」という言葉に素朴な疑問を感じていた。「パルティータ」との区別はどうなっているのだろうということだ。

名高いシャコンヌニ短調が入っているのは「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」で、今私がのめりこんでいるのが「無伴奏チェロのための組曲」だ。両方とも古典舞曲の集合体であることに変わりはないのに何故使い分けられているのだろう。

いろいろ調べていて面白いことが判ってきた。バッハは几帳面な性格で言葉の使い分けには厳格だったことが本日の話の大前提になる。たとえば組曲にもパルティータにも頻繁に現れる「クーラント」は当時フランス風とイタリア風とがあった。バッハはフランス風の時は「クーラント」とする一方で、イタリア風の時には「コレンテ」と表記した。例外の一切無い厳密さだという。

さてさて「組曲」(Suit)と「パルティータ」の区別の話に戻る。どちらも古典舞曲の集合体なのだが、その選曲や配列、あるいは個々の舞曲の形式が必ずしも厳密にルールを守っていないものを「パルティータ」と言い、それら全てにおいて厳密にルールが遵守されている場合を「組曲」と呼んだらしい。

個々の舞曲の形式がルール内かどうかについてもバッハの判定は厳密であったという。メヌエットとて単に典雅で高貴な4分の3拍子という曖昧な基準ばかりでもなかったようだ。厳密なメヌエットとは呼べないが、テンポだけはメヌエットと同じという曲も数多くあったのだが、そういう場合は「メヌエット」という断定を避け、「Tempo di menuetto」という表現を用いているという。数学的物理的なテンポという意味では「Moderato」でも事足りるのに、「ホラ皆さんもご存じのあのメヌエットのテンポですよ」というニュアンスが「Tempo di menuetto」には込められている。また当時のメヌエットはいわゆる中間部に「Trio」というタイトルが掲げられずに「Menuetto Ⅱ」と記されている。形式的には事実上のトリオとして機能していても「Trio」とは標記されないということだ。

やっと本題に入れる。ブラームスは今述べたようなバッハの厳密さを知っていた。ブラームスとて「Menuetto」という語を楽譜上に記すことはあったが、管弦楽のためのセレナーデ第1番の第4楽章を除いて、「Menuetto」と断言することを避けている。「Allegretto quasi menuetto」「Tempo di menuetto」という具合である。私の著書「ブラームスの辞書」では「Menuetto」と断言しないこれらの癖に言及して、「単にメヌエットのテンポを借りただけというブラームスからのメッセージ」という解釈を提案しているが、この姿勢はバッハの厳密さと一脈通じるものがある。「形式としてはメヌエットとは言えないが、テンポはまさにメヌエットなんです」という状態だ。「Moderato」と記すよりも誤解の発生する余地は数段低いと思われる。

さらにだ。唯一「Menuetto」と断言している管弦楽のためのセレナーデ第1番の第4楽章では、「MenuettoⅠ」と「MenuettoⅡ」という標記が見られる。「Trio」と書かずに「menuettoⅡ」という書き方を採用しているのだ。

ブラームスのバッハへの傾倒はよく知られている。ブラームスが意図的にバッハへの接近を図った事例だと考えている。

正月気分を吹き飛ばすガチンコ記事である。気分満載だった昨日の記事との落差が我ながら心地よい。

2007年1月 1日 (月)

ブラームスいろはカルタ

正月の遊びと言えばカルタだ。こう見えても(どう見えているか知らぬが)小学校時代から百人一首に親しんでいた。4年の時に一週間で全部覚えて学級内カルタ大会で優勝してからのめり込んだ。小さい頃から凝り性だったのだ。学生オーケストラ時代には練習そっちのけで団内カルタ大会などを企画したりもしていた。五七五七七のような厳しい制約に縛られている感じが心地良い点、ブラームスに通じる物があると一人で思い込んでいる。

好きな歌は「わだの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海士の釣り船」だ。この手の「武士は喰わねど高楊枝」的なやせ我慢満載の歌が好みである。何だかブラームスっぽい。

さて本日は年賀状代わりの大型おバカ企画をお届けして新春の挨拶に代えたい。ブラームスネタばかりを集めたいろはカルタを作ってみた。ただ作るだけではつまらないので以下のルールに従って作ることにした。

  • 原則として五七五の俳句調とする。
  • 「ブラームス」「ヨハネス」という言葉を使ってはならない。
  • 清音に加えて、濁音、半濁音も対象にした。
  • 「を」「ん」「ぢ」「づ」「ゐ」「ゑ」を除いた。
  • 「ヴ」は何故か平仮名で打てないのであしからず。
  1. い イ長調テネラメンテがよく似合う
  2. ろ ロベルトに見せてあげたいこの出世
  3. は 灰色の真珠と言って誉められた
  4. ば 場違いなところに来たと早帰り
  5. ぱ パガニーニ俺にも主題使わせろ
  6. に 日本語で辞書出すバカもいるらしい
  7. ほ ホルンにはおいしい出番みな盗られ
  8. ぼ ボン行きの夜行列車が身に堪え
  9. ぽ ポコフォルテ見せ場ばかりに置いてある
  10. へ 変奏をさせればオレは世界一
  11. ベ ベースライン僕はこれしか見ていない
  12. ぺ ペザンテの出方が少し腑に落ちぬ
  13. と 隣とはリズムが合わぬことばかり
  14. ど ドッペルで昔の仲に戻りたい
  15. ち 千秋クン舐めちゃいかんと叱られた
  16. り リーズルに惚れちゃいかんと人にやり
  17. ぬ 濡れながら「雨の歌」など聴いてみる
  18. る 留守します夏はイシュルかペルチャッハ
  19. わ 我が恋は緑とばかりフェリックス
  20. か カデンツァはヨアヒム君に任せてる
  21. が 合唱の指揮をさせても並じゃない
  22. よ 四つでは少な過ぎるとみんな言う
  23. た 誕生日アルプスの歌贈ります
  24. だ 誰よりも実はまともなワグネリアン 
  25. れ レバ団子スープを今日も頼んでる
  26. そ その昔酒場でピアノ弾いていた
  27. ぞ ぞんざいな言葉で照れを隠してる
  28. つ ついに逝くクララを追って一年後
  29. ね 根が暗いだけでは書けぬ曲ばかり
  30. な 並べればジュピターになるシンフォニー
  31. ら ラプソディや三女ユーリエ嫁に行く
  32. む 無駄使いしてはならないメゾピアノ
  33. う ウイーンのカールスガッセ4番地
  34. ヴ ヴィオラだけ実はこっそりえこひいき
  35. の 野に一人ありてヘ調の揺るぎなし
  36. お おもちゃです鉛の兵隊並べてる
  37. く クララ様Duと呼んでもいいですか
  38. ぐ ぐらつかぬソナタが芯に座ってる
  39. や 役立たぬ曲をまたまた廃棄した
  40. ま マルクセンお礼にピアノコンチェルト
  41. け 結末にパッサカリアを置いてみる
  42. げ ゲーテにはあんまり曲をつけてない
  43. ふ 古池や蛙飛び込むクラの音
  44. ぶ ぶっつけで半音下げて弾く羽目に 
  45. ぷ プレストをノントロッポで制御する
  46. こ コントラバスたしか親父が弾いていた
  47. ご 五重奏元は2台のピアノです
  48. え エゲレスは性に合わぬとイタリアへ
  49. て 低音が聞こえて何ぼ俺の曲
  50. で デトモルトあたりで腕を磨いてた
  51. あ 秋深し隣はクラ5聴く人ぞ
  52. さ サラサーテ趣味が無いのはあんたでしょ
  53. ざ 残念だオペラとうとう書かぬまま
  54. き 気がつけばまたヘミオラを書いている
  55. ぎ ギネスにも載せてみたいなこのカルタ 
  56. ゆ 遺言の代わりに四つ書いてみた
  57. め 目に見えてヴィオラが贔屓されている
  58. み みんなしてミュールフェルトに礼を言う
  59. し 出産の祝いに子守唄贈る
  60. じ 序奏だけ実は後から付け足した
  61. ひ 左手で弾いてみてよとニ短調
  62. び ビューローの持ち上げすぎに苦笑い
  63. ぴ ピアニスト感じたことを音にせよ
  64. も もしかしてアガーテの名が隠れてる
  65. せ 世界初これドイツ語のレクイエム
  66. ぜ 全部やるあのアンダンテ書けるなら
  67. す 過ぎたるはいかんとpocoを付け加え
  68. ず ずるせずに腹に逸物背に荷物

全部で68句になった。第一交響曲の作品番号と同じとは、こいつぁ春から縁起がいい。

今年もおバカなネタを連発しそうな予感が充満する立ち上がりとなった。おめでとう。

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