Feldeinsamkeit
ブラームスを代表する歌曲。作品86-2の題名である。
「ふぇるとあいんざむかいと」と発音する。「Feld」は英語で言うところの「Field」だから「野」とでも解されよう。残る「einsamkeit」は「einsam」と「keit」に分けて考えるといいらしい。「einsam」は「孤独な」という形容詞だ。「-keit」は形容詞を名詞化する語尾である。だから「einsamkeit」で「孤独」となる。ドイツ語の単語は偉く長ったらしい。これが理解を妨げる原因の一つだろう。
「keit」が付くと何だか哲学の授業を思い出す。抽象化が得意なドイツ語に特有の語尾だと思う。このパターンの言葉は日本語への転写が難しい。
「野の寂しさ」「野のさびしさ」「野の淋しさ」「野に一人いて」「野にひとりいて」「独りの野」「野の静寂」など、ただただ訳者の苦労がしのばれるばかりである。
同様な現象が、作品85-6「Im Waldeinsamkeit」でも起きている。こちらは「Wald」だから「森の孤独」とでも解し得るタイトルである。どちらの「孤独」もゆったりとした長調で、しっとりと歌い上げられる。ブラームスにかかると「孤独」は上質のワインのようである。
さて、本日話題の「Feldeinsamkeit」に最近ドップリとはまっている。歌曲の扉を開けてくれたのが「五月の夜」op43-2で、「永遠の愛」op43-1がヒットエンドランを決めてチャンスを広げたとすれば、「Feldeinsamkeit」は先制のホームランと位置付けられよう。私の歌曲受容史の中でも、ひときわ深く輝いている。わずか35小節の小品ながら只者ではない。お風呂で口ずさむことしきりである。
「Feldeinsamkeit」の作詞者は、Herrman Allmersというドイツ・ブレーメン生まれの詩人だ。1821年生まれだからブラームスより12歳年長。何ということか、作詞者本人は、ブラームスによるこの付曲が不満だったと伝えられている。
やれやれ、いろんな考えがあるものだ。
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