音楽が来る
クララ・シューマンの許に弟子入りしていたピアニストにブラームスがレッスンをしていたことがいくつかの証言から明らかになっている。高名な女流ピアニストも少なくない。
ある日その中の一人がブラームスに向かって「先生(ブラームスのこと)は何故、私たち女性が弾きにくい曲ばかりお書きになるのでしょうか?」と尋ねた。なるほどブラームスのピアノ作品は、手が大きくて筋力が強い方が演奏に有利な場合が多い。このあたりの事情を意識しての、自然な質問だと思われる。
ブラームスの答えは「そういう音楽があちらからやって来るンだよ」というものだったらしい。「私のせいじゃないよ」とでも言いたげである。作曲家の脳味噌の中が想像されるやりとりである。
「音楽が来る」という表現は面白い。「自分は来た音楽をただ楽譜に定着させただけだ」とでも言いたげである。この考え方を辿って行くと、作曲家の才能はつまり「音楽が来るかどうか」にかかっているという結論に到達する。もしモーツアルトが言ったというなら、なるほどという気にもさせられるが、言っているのがブラームスだというのが素晴らしい。チラリと浮かんだ楽想をいじり回すという作曲技巧の側面ばかりがとかく強調される傾向があるが、バランスを失してはいけない。せっかく来てくれた音楽を、第三者にもわかるようにという記譜上の工夫は存在するのだろうが、それは「あーでもないこうでもない」という苦心惨憺の生みの苦しみとは区別されねばなるまい。ブラームスもまた、作品は頭の中で出来上がっていて、ただそれを楽譜にダウンロードしただけという側面が強いのではないだろうか?第一交響曲といえば、自動的機械的に「作曲に20年かかった」とする解釈がまかり通っているが、疑問無しとしない。
もちろん、次から次へと来る音楽が結果として世の中に流布しなかったという人が一番多いということは言うまでも無い。
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<Claris様
おおお!それはそれは素晴らしい本!!
ものさしで計ったようなタイミングですね。
投稿: アルトのパパ | 2007年2月 8日 (木) 21時30分
『ブラームス回想録集①』ですわ。
本文の後ろから50~60ページあたりを読んでいました。
投稿: Claris | 2007年2月 8日 (木) 21時20分
<Claris様
おっしゃる通りデス。ある程度貫禄のある方に言ってもらわないとカッコがつきませんね。
して、どんな読書だったのでしょうか。
投稿: アルトのパパ | 2007年2月 8日 (木) 21時06分
「そういう音楽があちらからやって来るンだよ」
このセリフは、ブラームスだからこそサマになるのでしょうね♪
今日は少し読書をしました。
この記事を読んで、デジャビュかと思いたくなりました。
投稿: Claris | 2007年2月 8日 (木) 20時57分