縁起かつぎ
何かにつけて人は縁起をかつぐ。もしかするとブラームスもと思われる事例がある。
「真実なる女性クララ・シューマン」という書物がある。クララ・シューマンの伝記である。このクララ・シューマン伝においてヨハネス・ブラームスは無視し得ない登場人物になっている。クララの人生が約半分も終わった頃登場する14歳年下のブラームスとの交流はクララ本人の死をもって幕が引かれるまで連綿と続く。言及の頻度で言うならクララの父、ロベルトに次ぐ第3位であろうことは確実である。
この中に興味深い記述がある。ショパンとシューマンの「作品2」はともに「クララ・シューマンの演奏によって日の目を見た」とする件である。ショパンの作品2は「ドンジョヴァンニの手に手を取ってによる変奏曲」で、シューマンのそれは「パピヨン」だ。いわゆる名曲解説辞典でそれらの項目を見てもクララ・シューマンとのいきさつは書かれていないことが多いのだが、もし記述が正しければ、両者の「作品2」は偶然にもクララが世に出したというニュアンスである。
ブラームスがシューマン邸をはじめて訪問した時に演奏したのはピアノソナタ第1番である。しかし、このハ長調のソナタは作曲の順番では少なくとも3番目のソナタである。現在2番とされる嬰ヘ短調、3番とされるヘ短調は既に完成されていたというのが定説である。その後シューマンの薦めにより出版にこぎつけた際、ブラームスの手元には上記3つのソナタの他に現在作品4になっっている変ホ短調のスケルツォが手駒として存在していた。推定作曲年代順に並べると以下のようになる。
- スケルツォ変ホ短調(現行op4)
- ピアノソナタ嬰ヘ短調(現行op2)
- ピアノソナタヘ短調(現行op5)
- ピアノソナタハ長調(現行op1)
自分の記念すべき「作品1」にどの作品をあてるかブラームスは考えたハズである。いや今日の趣旨からいうなら「作品2」をどれにするか考えたハズである。ショパン、シューマンの作品2がともにクララによって世に出た事実をブラームスはシューマン家との交流開始後まもなく知ったはずだからだ。自らの最初のソナタをクララに「作品2」として献呈して縁起をかつぎたいと考えたのではあるまいか。何かとシューマン家と関わりの深い「嬰へ」を考えると最古のソナタでもある嬰ヘ短調が最適と考えた。
一方そうは言っても記念すべき「作品1」は、単品のスケルツォや歌曲にはせずに、やはりソナタを据えた。シューマン家に自分を紹介してくれたヨアヒムに献呈したハ長調ソナタである。これにより嬰ヘ短調ソナタは「ピアノソナタ第2番作品2」とされ、縁起のいい「2」をめでたく重複させたという訳である。
2月2日にピッタリの話題である。
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