Molto piu moderato
日本の某大手音楽出版社から刊行されている「作曲家別名曲解説ライブラリー」第7巻「ブラームス」の108ページでこの指定が取り上げられ「おかしな表現」と喝破されている。主要作曲家の作品を手際よく整理してあり、入門用としても重宝する同シリーズの中で、ネガティブな表現を見かけるのは珍しい。
悲劇的序曲208小節目に鎮座するレア指定である。「molto」を「非常に」と解する立場からは理解が得にくいと思われる。「くれぐれも」程の意味と考えたい。「くれぐれも中庸をはずさぬよう」というニュアンスだ。
曲は「Allegro ma non troppo」2分の2拍子で始まる。オイレンブルグのスコアでは何故か「ma」が欠落しているが、いずれにしろブラームスにとってのソナタ第一楽章御用達のテンポ「速すぎないアレグロ」である。既にこの時点で「allegro」にはブレーキがかかっていると見なければならない。
そして拍子が2分の2から4分の4に変換されて、テンポをほぼ倍に取るというところに「molto piu moderato」が鎮座している。先の解説書が「おかしい」と断じた理由は何であろう?使用されている3つの単語「molto」「piu」「moderato」の素性を考えるとわかり易い。前2者はブラームスの中では意味を強める強調語あるいは煽り系として用いられる単語であるのに対して、「moderato」は「中庸」をイメージさせる単語である。単独ならば「中くらいの速さで」であり、副詞としてなら「程よく」である。つまり全体としては意味の抑制に用いられる単語なのだ。このように煽り系の単語と抑制系の単語がぶっきらぼうに共存していることを指して「おかしい」と表現したと推定される。
私とて珍しいとは思うが「おかしい」とはけして思わない。ブラダス22000件のうちトップ系において「molto」と「piu」が並存する用語は本件「molto piu moderato」ただ一例である。パート系においては2件存在するが、「molto」が「piu」を修飾する形にはなっていない。だから珍しいとは言える。しかし「おかしい」と断言するには相当の根拠があってしかるべきである。
「おかしい」と断ずるところからは何も生まれないと思う。「おかしい」はある意味では思考の停止を思わせる。この言葉を発した瞬間に、探求の歩みを放棄している印象がある。「ブラームスは百も承知で書いている」と信じることが「ブラームスの辞書」のお約束である。「何故こうした表現をしたのだろう」という方向へ考えを深めて行かねばならない。
おそらく煽り系「molto」「piu」を連続させて「さぞや」と思わせておきながら、それらが抑制系の「moderato」を修飾するというイメージの落差・摩擦こそがブラームスの狙いだと思われる。
「キチンと倍のテンポにして欲しい」という「Tempo giusto」のニュアンスである可能性も考慮したい。語感から察するにブラームスは、遅くなるリスクは考えていなかったと思う。あるいは「速過ぎてはならぬ」の強い警告がこの「molto」にこめられているとも思われる。
ブラームス好きたるものこのあたりの行きつ戻りつを疎んじてはなるまい。
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<Claris様
私が難しくしちゃってるのかもしれませぬ。
「おかしい」でくくってしまうのはもったいないと思ったもので、つい。
笑ってくだされ。
投稿: アルトのパパ | 2007年3月 1日 (木) 20時51分
視点、考え方、表現。。。難しいですね。
ポジティブに熟考なさるアルトのパパさまには、
トンネルの向こう側の景色が見えるのではないでしょうか。
投稿: Claris | 2007年3月 1日 (木) 20時46分