ソルフェージュ
厳密な定義は別にちゃんとあるのだと思うが、我々親子は「楽譜を読みながらドレミで歌うこと」くらいに考えている。ミルヒー風に申すなら「ソルフェージュ舐めてンじゃないですよ」である。「歌えなければ弾けない」は娘たちを教えてくれる先生の持論だ。小さい頃からレッスンの最後はソルフェージュだった。
ゴルフのことわざに「ネヴァーアップ、ネヴァーイン」というのがある。「届かなければ入らない」とでも言うのだろうが至言である。「いかにラインに乗っていてもカップに届かないようでは、絶対に入らない」という程の意味だ。「パッティングは少し強めに」という教訓が込められている。「歌えなければ弾けない」はこの至言に匹敵していると思う。
バッハのイ短調協奏曲に取り組む次女は、まさに「歌えなければ弾けない」を地で行くところがある。音程やテンポがあやふやな箇所がある。そこを歌わせると必ず歌えないのだ。即座にヴァイオリンを横に置いて歌わせる。音域の関係によるオクターブの上下動は認めてやる一方で、音程をごまかすことなくリズムも正確に歌えるようになるまで楽器には用がない。譜読みはとっくに終わったものの、どうも音程やリズムにシャッキリ感が出てこなくて困って思案した末、レッスン前の2日間思い切ってソルフェージュに徹することにした。一種のショック療法だ。先日のレッスンはある意味でドキドキした。「心の中で歌いながら弾け」とだけアドバイスして臨んだレッスンだったが、スルリと乗り切った。
歌えれば弾けるのだ。楽譜の先が読めるようになることが大きいのだと思う。
「歌うこと」と「弾けること」の間に、呆れるほどストレートでパラレルな相関関係があるのだ。子供って素晴らしい。ということは、相当難しい作品でも歌えてしまえばこっちのものという結論が容易に導き出せる。
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