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2007年4月30日 (月)

ワルプルギスの夜

「Warplgis」と綴られる。8世紀頃英国生まれの聖女だそうな。彼女の担当は「魔よけ」「悪魔祓い」で5月1日が「ワルプルギスの日」にあたる。封じられる側の悪魔や魔女たちも黙っていない。「ワルプルギスの日」の前の晩つまり4月30日の夜に対策会議を開くのだ。会議といってもノリはほとんど宴会。場所はドイツ・ブロッケン山(標高1142m)だ。この事前対策会議のことを「ワルプルギスの夜」と呼んでいる。対策なら前の晩ではなくてもっと時間をかけたほうがいいと思うのだが、そこは魔女である。さらには時間的に「夜」の直前に相当する「黄昏」もある。「ワルプルギスの黄昏」といえば、宴会本番前の小手調べ代わりの小さな騒ぎのことを言うらしい。開宴が待ちきれない輩はどこの世界にもいるようだ。

出席者たちは世界中からホウキに乗って集まる。ベルリオーズ意中の人もこの宴会に参加していたことは、幻想交響曲の第四楽章で明らかである。4月30日の夜ホウキが無くなるようなら相当怪しいと思われる。欧州各地にこの系統の言い伝えがあり、実質は人々が春の訪れを喜ぶ祭りである。単にお酒を飲む口実だったりもする。つまり北海道同様に欧州の春は5月からなのである。

実はブラームスの作品にもズバリ「ワルプルギスの夜」というタイトルのものが存在する。作品75-4「Warplgisnacht」だ。母と子の会話体のテキストだ。昨晩の嵐は凄かったという子供の問いかけから始まる。ブロッケン山で雷が鳴っていたねとたたみかける。母は「魔女たちが集っていたからね」と答える。子供は好奇心に任せて母に質問する。「魔女を見たことがあるか」「魔女の乗り物は何か」という具合だ。やがて「昨晩煙突で音がした」「我が家のホウキが昨晩無くなっていた」とエスカレートし、実は母親が魔女だったと判明するのだ。実際に作品を聴くと切迫した調子のイ短調4分の2拍子であっという間に通り過ぎる。ユーモラスなニュアンスのないデュエットだ。ちょっとした「スリラー仕立て」である。

妻ありし日のことだ。3人の子供を連れて妻の実家に里帰りした。ちょうど妻の妹も子連れで来ていた。幼な子6人に振り回される嵐のような1日を終え、子供たちを寝かしつけた後、妻と義妹と義母三人で夜10時頃にケーキでお茶をするのが日課になっていた。1日の出来事を話しながら時には小一時間にも及んだ。このお茶の時間の事を彼女たちは「魔女の時間」と呼んで楽しみにしていた。1日の疲れを癒し、また翌日の育児戦争に備える彼女らなりの儀式だったのだ。我が家の「ワルプルギスの夜」である。

2007年4月29日 (日)

ブログ開設700日

月でも落ちて来ない限りブログ開設700日はやってくる。1000日でも2000日でも同じだ。本当の意義は一日も記事の更新を欠かさなかったことにある。もう間もなく満2歳を迎えるブログ「ブラームスの辞書」は、まだまだ続くことになる。子供たちの育児日記が10年続いたことに比べればまだひよっ子である。毎日欠かさないことは実は得意である。生後5年間子供たちの写真を毎日欠かさず撮影したりしていた。1つ1つの動作は他愛のないことであっても、2年3年続くとなると重みが出てくる。

「毎日更新すること」というのは今や言わずもがなになっているが、他に最近心がけていることが一つある。

あくまでもブラームスを中心に据えながら、出来るだけ裾野の広い話題を扱うということだ。もちろんネタ薄の苦し紛れではいけない。潤沢なブラームスネタを前提として出来るだけ広い範囲の話題を扱いたい。「音楽」「ヴィオラ」「家族」の関連は既に手厚く言及してきた。今はさらにその外を考えている。ブラームスとの思わぬ関連にスポットをあてたい。

これには検索でつり上げられる確率が高まるという実利も付いてくる。

2007年4月28日 (土)

ロストロポーヴィッチを悼む

今日の朝刊にチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ80歳の訃報が掲載されていた。ヨー・ヨー・マやマイスキーが登場するまでの間、彼は私のアイドルだった。たしかマイスキーとは師弟の関係だったと思う。まだソヴィエト連邦が存在していた頃、体制側からにらまれて辛い思いをしたと聞く。

初めて買ったブラームスのチェロソナタのLPは彼の演奏だった。しばらくの間我が家唯一のチェロソナタのレコードだったから長く愛聴盤の座に君臨していた。ピアノはルドルフ・ゼルキンだったと思う。当時は全くそうは感じなかったのだが、後になってオヤジどうしのガチンコ丸出しの演奏だったように感じた。そのLPが手許にない今ロストロポーヴィッチのかかわったブラームス作品の演奏が我が家には無い。

仕方ないからバッハ、無伴奏チェロ組曲を彼の演奏で聴きながら冥福をお祈りすることにする。

2007年4月27日 (金)

拡大ブラダス

初めての著書「ブラームスの辞書」を執筆するにあたり、基礎資料とするためにブラームスの全作品の楽譜に書かれた音楽用語をデータベース化した。作品番号のある作品122のうち10作品除く112作品の楽譜が我が家にあるので、それら全てが対象であった。

およそ5ヶ月半かかって完成したそのデータベースは「ブラダス」と名付けられ執筆の基礎となった。エクセルのソート機能、抽出機能を使うとデータの組み立てがほぼ自在である。

その威力は執筆を終えた今も続いている。今や宝物だ。

しかし、収録の範囲を「作品番号のある作品」に限定したため一定の限界が生じたことも事実である。ブログ「ブラームスの辞書」への記事を執筆する過程で下記の通り順次補って来たところである。

  1. ピアノ四重奏曲第1番シェーンベルグ編曲
  2. ピアノ三重奏曲第1番初版
  3. ピアノ三重奏曲イ長調
  4. FAEソナタ

この度これに「ハンガリア舞曲」と「ドイツ民謡」を加えることにした。数が多いので徐々に詰めて行くと宣言したがゴールデンウイークはその絶交のチャンスだ。作品番号の無い作品を追加して行く流れは止められないだろう。明日からの連休で気合いを入れることにする。

因果な性格だ。

2007年4月26日 (木)

テオドール・ビルロート

1829年4月26日生まれのドイツの外科医。

世界で初めて胃癌の切除手術に成功した栄誉は彼のものである。「ビルロートⅠ法」「ビルロートⅡ法」と呼ばれる術法は、現在もなお応用されている。

もっと大切なこと。彼はブラームスの親友だ。弦楽四重奏曲第1番および第2番の献呈を受けている。作品の献呈を受けるほどのお友達なのだ。凄い話はまだある。ウイーン大学医学部の職にあった彼のもとに母校ベルリン大学への栄転の話が舞い込んだが、彼はこれを固辞する。ブラームスのいるウイーンにとどまるためという話がまことしやかに伝えられている。彼自身ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラを演奏したばかりか、作曲もしたという。

亡き妻とのハネムーンはウイーンでの6日間の滞在だった。自由行動の塊という日程だったのをいいことにウイーン大学を訪問した。明らかに観光客と判る我々をとがめる人も無かった。目的地はもちろん医学部。ビルロートのレリーフの一つもありはしないかと思い詰めての突撃だった。レリーフは見つけられなかったが、学生食堂でサンドイッチを食べた。支払いの段なってレジのお母さんから「フィア ウント ツヴァンツィヒ」と言われた。とっさに何といっているか判らず呆然としていると、すぐ後ろの学生が「トゥェンティフォー」と教えてくれた。「トゥェンティフォー」がすぐ理解出来たのは幸いだった。2人で24シリングとは激安のランチだった。

私だけのビルロートネタである。

2007年4月25日 (水)

オーボエの至福

ブラームスの諸作品におけるホルンやクラリネットのおいしい位置づけについては既に繰り返し述べてきた。本日はオーボエについて述べてみたい。

オーボエは室内楽には出番がない。その点ホルンやクラリネットの後塵を拝しているが、管弦楽曲にはそれを補ってあまりある出番に満ちている。第一交響曲の第一楽章の序奏部のソロは国宝物である。

交響曲全てに国宝重文級の出番が揃っていることもさることながら、「2番が面白い」のだそうだ。2番というのは第二交響曲ではなくて2番オーボエという意味だ。一般にブラームスは木管楽器各2本なのだが、その2本のうちの主席じゃない方を指している。これを言ったのは、「同期の桜のプロオーボエ奏者」だ。20年くらい前の話だ。彼が言いたいのは、いやしくも交響曲であるなら、オーボエは誰の曲であってもそこそこ出番がある。それは間違いないのだが、その出番は大抵1番オーボエに当てられていて、2番オーボエは和音の隙間埋め、ロングトーンあるいはフォルテ要員に徹する感が強いらしい。当時の私は勝手にそう解釈して感心していた。

先日の酒の席で確認したら「そんな事言ったかぁ」「ブラームスは2番オーボエも面白いといえば通っぽくてカッコいいと思ってな」などという無惨な憎まれ口を叩いていた。

「ベートーヴェンなら絶対1番を吹かねば退屈なのだが、ブラームスなら2番も面白い」というニュアンスは捨てたモンじゃないだろう。これはひょっとすると他の木管楽器にも当てはまるかもしれない。

さてさてオーボエの話題ではずしてならないのはヴァイオリン協奏曲だ。第2楽章に世界遺産級のソロがある。サラサーテがへそを曲げたという曰く付きの場所だ。文字通り独奏ヴァイオリンを隅に追いやってという感じである。とかくオーボエだけが目立つが、この場所の木管アンサンブルは絶妙だ。全曲の演奏終了後、もちろんヴァイオリン独奏者が万雷の拍手を浴びるのだが、指揮者が2回目にステージに呼び戻されたあたりで、オーボエ奏者が一人起立をさせられる場合が多い。私が生で聴いた演奏会では全部そうだった。指揮者やソリストから花束のお裾分けも珍しくない。客の3割くらいはそれ目当てかもしれない。オーボエ奏者がシェレンベルガーだったりしたら、ソリストを喰いかねない。

2007年4月24日 (火)

著者冥利

学生オケ同期でプロのオーボエ奏者をしている男に「ブラームスの辞書」を進呈したと書いた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_1fbe.html

彼の運営するブログに「ブラームスの辞書」のことが書かれている。それを読んだ昔の仲間2人が「ブラームスの辞書」を注文してくれた。そのうちの一人は三味線弾きのクラリネット奏者だった。

もう一人はファゴット奏者。アマチュアオケで活躍中だ。彼はブログを運営しているのだが、その中で「ブラームスの辞書」を紹介してくれた。

http://fgh41inaka.at.webry.info/200704/article_14.html

見ての通りだ。第三交響曲に挑むファゴット奏者が、「sotto voce」と「mezza voce」の違いを知りたくて我が「ブラームスの辞書」を引いてくれているのだ。このマニアックでオタッキーなシチュエーションは著者冥利に尽きる。「ブラームスの辞書」では残念なことに「sotto voce」と「mezza voce」の両者の違いについて決定的な見解を述べるに至っていない。しかしこれは氷山の一角だ。どの道決定的なことはブラームスに訊くほかはないことばかりなのだ。それでも、微妙な言い回しの違いに着目し、それを知りたいと願う演奏家がいることが嬉しい。考えたところで吹き分けられるかどうか怪しいと正直な告白もセットだ。吹き分けられなかったり、聞き分けられないことなのに考えることを止めないということなのだ。「ブラームスの辞書」を書いた甲斐がある。 

じわじわと広がるとはこういうことなのだろう。感謝をこめてリンクを貼らせていただいた。

2007年4月23日 (月)

張力

弦楽器の弦の話だ。

ヴァイオリンの場合、楽器の胴長は35.5cmと決まっている。だから弦もその大きさの楽器に張られることを想定して制作されている。当たり前の話である。

しからば、楽器の大きさに決まりがないヴィオラの弦はどうなっているのだろう。弦楽器ショップに行ってヴィオラの弦売り場を見回しても、L、M、Sの表示は見当たらないから、ヴィオラの弦は、使用する楽器の大きさに関係なく一種類しかないのだと推定できる。懸賞に応募してプレゼントされるTシャツのサイズが大抵「F」つまり「フリーサイズ」になっているようなものだ。この「F」フリーサイズを「どんな体格の人間でも自在にフィットする」という意味に受け取っている奴はいない。大抵「L」あたりに作られているようだ。思うに「L」と表示してしまうと、「Sは無いのですか」という問い合わせが発生してしまう。無償で提供するTシャツの品揃えなどしたくもないという心理が見え隠れする。

ヴィオラの弦はどうも胴長で41~42cmあたりのヴィオラを想定して作られているらしい。弦楽器の弦は輸入物ばかり目に付くが、「日本人の体格に合わせて」などという微調整が施されている気配はない。日本の事情にあわせて右ハンドルを作ってくれている自動車業界とは違うようだ。

胴長で41~42cm、弦長でいうと37cm程度の楽器に張られることを前提に設計された弦を胴長39cmのヴィオラに張ったらどうなるか。張力が弱くなるということらしい。張力が弱くなると「音量」と「音の張り(明るさ)」が落ちるとされている。ガット弦がスチール弦やナイロンガットに取って代わってきたのは、より強い張力を求めてであるとも言えるらしい。だからこの部分を補うために小さな楽器に高張力の弦を張るニーズが存在するという訳だ。メーカーは「ハードテンション」「シュタルク」と称されるバリエーション仕様でこれに対応しているという訳だ。

張力が高いと言うことは良いことばかりかというとそうでもない。レスポンスが落ちるという副作用もあるという。つまり「弓のひっかかりが悪い」という状態を引き起こしかねないということだ。

私のヴィオラは胴長は45.5cmで弦長は40.5cmだ。「ライトテンション」の弦を薦めてくれたお店の人の考えがやっと呑み込めた。

弦の設計時想定よりも恐らくは大きな楽器なので、普通の弦を張ると張力が大き過ぎてしまう。弓の性能やテクニックにもよるが、楽器を鳴らすのが一苦労という状態が想定される。あるいは大き過ぎる張力が楽器本体に及ぼす悪影響も考えてのことかもしれない。楽器自体が大きいことで張力の確保は十分と考え、レスポンス重視に振ったセッティングと言うことが出来る。なんだかF1のタイヤの選択みたいだ。

おかげで今のところ私の楽器からレスポンスの悪さを感じることはない。音量にも満足している。残念なことに音程の良くなる弦はどこにも売っていない。

「ブラームス専用弦」でもあったら即買いなのだがいかがなものだろうか。

2007年4月22日 (日)

教科としての音楽

長男が高校に入学して2週間が経過する。高校では芸術系の教科が選択制になる。

さすが私立と思うのは一年生の時に茶道が必修になっていることだ。それからもう一教科は音楽、書道、美術から1つを選ぶことになっている。このあたりは私の高校時代と同じだ。どうやら長男は音楽を選んだようだ。恐らく消去法だと思うが、結果オーライである。ある瞬間にチェロをやりたいと思ってくれるかもしれないからだ。私は、その高校の音楽の授業で初めてブラームスの「Sontag」op47-3に触れたのだ。

一方長女は、まだ中学生。音楽は必修だ。「テストで必ず90点が取れるのは社会と音楽だけだ」と言っている。あろうことか、「音楽なんか90点取れなくていいから英語か数学で取りたい」などと無惨なことを言っている。「どうせ受験に関係ないし」とトドメが刺さる。

私もあのころはそうだったから、文句も言えない。国語・数学・理科・社会・英語の主要5教科の成績に一喜一憂していた。高校時代には「そもそも音楽なんて点数つけるモンじゃないでしょ」という類の生意気なフレーズも吐いていた。音楽を勉強と位置づけた途端に魅力が半減するというのは一面当っていると思う。当時の音楽の授業は確かに退屈だった。

かくして私自身は、音楽の入っていない主要5教科の試験で要領よく立ち回り続けたお陰で、大学を経由してサラリーマンになって今がある。何ぼ大卒を標榜したところで、大学全入時代には見向きもされまい。この先そちらの方面での伸びしろは期待薄という時間帯に入ってきた。皮肉なことに事ここに至って、主要教科から漏れていたはずの音楽つまりブラームスにいやされている。この辺りの機微を教えるのが、音楽の授業の目的の一つであって欲しいものだ。

長男、長女そして私それぞれに今、音楽との距離がある。

2007年4月21日 (土)

メゾピアノの集計

現代に生きる我々がエクセルを駆使した集計を通じてやっっと浮かび上がらせることが出来るような傾向を、はたしてブラームスが楽譜に盛り込もうとしたか?という問いが友人から発せられたことは、4月11日の記事「いつか来た道」で書いた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_f8ca.html

そうかも知れぬ。私とて「ブラームスの辞書」執筆の間、ずっと心配だった。自分のやろうとしていることに意味や価値があるのか不安だった。私にとって意味があれば良いではないかと言い聞かせて、そうした不安を処理してきた。不安に浸ったまま36万字は書けないものだ。

当時ある書物を読んでいて、勇気が湧いてきた。音楽の友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻である。39ページのことだ、ブラームスの友人ホイベルガーの回想である。1884年頃のホイベルガーとブラームスの会話の中に、「ブラームスが当時使い始めていたmpについて評論家から批判された」という内容が見られる。詳しい批判の内容は書いていないのだが、第一交響曲からピアノ協奏曲第2番にかけてmpが密集している事実と一致する。

ブラームスを批判するための材料に用いられているのだと思うが、批判した本人は、第一交響曲以降のブラームス作品でmpが急に使用頻度を増やしていることを把握していたことになる。パソコンの無い時代にこれは大変なことである。「mpが増えた」と断言するからには、それ以前からmpの使用頻度をカウントしていたことに他ならない。でなければ「最近増えた」とは到底言えるものではない。そしてmpだけを監視していたとも思えない。出版されるブラームス作品の楽譜を日頃から穴の開くほど見つめて他の記号も見張っていたとしか思えない。そうした中で目に止まったmpを批判の材料に使ったと考えられる。

パソコンの有無はこの際関係あるまい。「パソコンが無いから出来ない」と言う人に限って、得てしてパソコンがあってもやらないものだ。愛するあまりなのか、憎むあまりなのかは、別としてある種の熱意が存在することだけは間違いあるまい。要は気合いである。マニアとはそういうものなのだろう。

2007年4月20日 (金)

初見大会

楽曲の初合わせのことを、私の所属した大学オケではこう称していた。定期演奏会で取り上げる作品の最初の全体練習だと思えばいい。曲目決定の直後に行われる。冬の演奏会の場合、遅くも8月の夏合宿までに行われた。

以前に一度演奏した曲であっても「初見」の文言が削られることはない。「演奏会に向けてこの曲に挑むぞ」という儀式の色彩が強かったと思う。事前に楽譜は配られるから、パートによっては「初見大会に向けた練習」も行われているという点においても「初見」という語句は変だが、中には本当に初見という猛者もいた。間違えたときに言い訳として「初見だしねぇ」というフレーズが便利に使えた。

私の経験した最初の初見大会はブラームスの交響曲第2番だった。楽器を始めて3ヶ月少々のひよっこの私には、何が何だか判らぬうちに終わってしまった。私の初ブラームスだった。一方4年間で最もインパクトの強かった初見大会は4年の夏。マーラーの第五交響曲に挑んだ初見大会だった。気合いを入れるために頭を丸めて臨んだが、練習番号の度に止まるといった感じだった。異質な難かしさに唖然としたものだ。本番に間に合うのか真剣に心配になった。

2007年4月19日 (木)

同一カテゴリー5件

検索窓に続いてココログの機能拡充の恩恵を受けている。

トップページから個々の記事の固定リンクに入ると、記事の末尾に、同一カテゴリーの記事のタイトルが直近5件まで表示されるようになった。もちろん表示されるばかりではなくて、記事のタイトルをクリックすることでその記事にジャンプすることも出来る。

各々の記事に対するカテゴリーの与え方に厳密な基準がある訳ではない。あくまでも目安なのだが、それなりの効果はあると思う。何かの縁でブログ「ブラームスの辞書」を訪れた人が、関連記事を探し易くなったということだ。昨年11月にカテゴリー体系を一新したことが、さらに意味を持つことになった。

カテゴリーに属する記事が5件未満だとすぐバレてしまうのが悩みである。

2007年4月18日 (水)

ミュージックエコー

中学時代に「ミュージックエコー」という雑誌を定期購読していた。毎月中学校に売りに来ていたと思う。小学校時代は「かがく」と「がくしゅう」だったので、それらに取って代わったという訳だ。毎月300円でクラシック系中心の話題と17cmのレコードが付いていた。

思えばこの本が読みたいと親に言って、それが認められたことが私のクラシック音楽の土壌になったと考えられる。昨日の記事「エコー」を書いていて思い出した。音楽の先生に申込みに行くと先生から「あら、いいわねぇ」と言われた。家に帰って親に伝えると「まさか3000円じゃあないだろうな」と慌てていた。間違いなく300円だった。それでもクラス40人少々でその本を購読している生徒は数える程だった。先生の「いいわねぇ」はその意味だった。

中学入学の年の5月から卒業まで購読していたと思う。これでクラシックの基礎的なレパートリーを作曲家が変に偏ることなく聴くことが出来た。最初に手にした付録は忘れもしないリストのピアノ協奏曲だった。今思うと何でまたという微妙な選曲だが、当時はただ聴いた。シングルレコードだからあまり長い曲は入らない。ベートーベンの第九交響曲は第4楽章だけだった。記憶があやふやなのだが、ブラームスは一度もなかったような気がする。あっても過敏に反応しなかっただけかもしれない。

かくして300円で音楽の教師からうらやましがられた甲斐あって、こんな大人が出来上がったという訳である。

2007年4月17日 (火)

エコー

同一のフレーズが隣接して繰り返されるとき、このうちの2回目をより弱く演奏することを「エコー」と呼んでいる。対比を鮮明にすることで演奏が平板に陥らないようにする効果があるとされている。作曲家自らがそれを意図してダイナミクス用語を配置している場合と、演奏家の判断で実現する場合とがある。

ブラームスでは、そうした概念が別楽曲に割れて表現されていると思われるケースが散見される。

  1. 作品19-3「遠い国で」は作品自体が、その直前の作品19-2「別離と辞去」のエコーになっていると思われる。「別離と辞去」の結果として「遠い国」に居るという筋立ては明らかである。
  2. 作品59-4「名残り」は、これまたその直前の「雨の歌」作品59-3のエコーとして響く。いわば「雨の名残り」だ。
  3. 作品85-2「月の光」も直前の作品85-1「夏の宵」のエコーだろう。「月の光」の10小節目以降の中間部に「夏の宵」の旋律が現れる。出現の瞬間、ハッとさせられる。ハイネ作のテキストは珍しいがこれは2曲ともハイネだ。

同じ旋律の出現という意味では主題再帰の一種だが、2回目の方の押し出しが弱まることがポイントだろう。上記3例は同じ旋律がキッチリ出現するので説得力も伴うが、実は密かにエコーだと信じている箇所が一つだけある。お叱りまでも覚悟の大胆な場所である。

第四交響曲第2楽章冒頭のホルンだ。このE音3つの連なりが、第1楽章末尾439小節目のティンパニの4連打のエコーに聴こえて仕方がないのだ。もちろんティンパニの方だってE音だ。こちらは4連打なのだが、最初の1発目は他の楽器と重なっているので、ティンパニが露になるのは実質3連打なのだ。理屈で申せばそういうことなだが、これがエコーに聴こえてしまうのは、単なる感覚でしかない。第2楽章の前でチューニングなんかされたら台無しになってしまう禁断の「楽章またぎエコー」である。

2007年4月16日 (月)

クラリネットコネクション

学生オーケストラでは、パートが重要な行動単位になっている。「同じ楽器どうしの仲間」と言い換えてもよい。練習に際してはいつもいっしょのことが多いのは申すまでもないが、練習を離れてもいつも連れだっている。みんなで同じ楽譜を弾くことが多い弦楽器はもちろん、誰がどのパートにありつくかについては直接の利害関係にある管楽器でも、パートのメンバーが集まっては何かと盛り上がる。その典型がパートコンパだ。どのパートにもコンパがあった。アルコールの量が進むという点では金管コンパが最右翼だ。女性の比率は弦楽器が高い。

私はヴィオラだった。何かと忍従を強いられることが多いヴィオラは、いつも団結していないと生き抜けないから、パートのイヴェントには工夫を凝らした。コンパは当然としてパートの合宿、パートのTシャツまでエスカレートした。ヴィオラだけ12本によるパッヘルベルのカノンも思い出深い。

私はブラームスにおいてヴィオラと何かと縁があるクラリネットのコンパには皆勤だった。いつしかクラリネットコンパの幹事が私の出欠を確認することは無くなっていた。出席が当たり前だったからだ。当時のクラリネットのメンバーの団結もなかなか気合いが入っていた。そのつながりは今も続いているらしい。3月31日の記事「同期の桜」の主人公、今ではプロのオーボエ奏者になった男も、当時はクラリネットだった。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_1fbe.html

彼自身のブログには当時のメンバーが集っているようだ。昨日彼のブログを通じて懐かしい仲間から「ブラームスの辞書」に注文が舞い込んだ。私より2コ下の彼もまたクラリネット奏者だった。三味線もプロの域である。私だって口三味線なら得意だが、彼は本当に長唄の伴奏もしてしまうのだ。あの当時のクラリネットには、才人が揃っていた。

注目の番号バトルは惨敗だ。結局は「おまかせします」になってop50だ。カンタータ「リナルド」にした。

お買いあげまことに有り難うございます。

2007年4月15日 (日)

修学旅行

高校の修学旅行といえば2年の時だと思っていた。今月から通い始めた長男の高校は1年の時に実施される。行き先は英国で4週間の滞在である。一応「英語研修旅行」という触れ込みである。さすが私立である。幼稚園以外では私立の経験が無い我が家にとっては衝撃的である。

実はこのことが、長男の高校選択の際のポイントになっていた。かわいい子には旅をさせねばならない。どちらかと言うと引っ込み思案の長男には良い経験になる。

本日その開催説明会があった。1年生を3組に分け交代で英国に渡る。長男は第1班で5月19日(土)から6月15日(金)まで姉妹校の寄宿舎に泊まるのだ。月~金は英語の学習になる。4回ある週末にはロンドン周辺の小旅行も企画される。パリやリーズに足を伸ばすこともあるらしい。加えて数回のホームステイもあるという内容だ。既にパスポートは取得した。スーツケースは一昨年私が中国出張の折りに買い求めたもので事足りる。不安はあったが今日の説明を聞いて安心した。

学校が掲げる目標の一つに、「家庭のありがたさを知る」というのがあった。4週間家族と離れて長男がどう変わるのか楽しみである。英語力ははっきり言ってゼロだ。これで乗り切れれば何かをつかんで帰って来るだろう。

費用は頭痛の種である。英国滞在4週間が交通費込みで40ン万円である。安いのだとは思うが、現実に懐からそれだけの金額が出るとなると楽ではない。次女のヴァイオリンよりも高いのだ。かといって公立に通わせて浮いたお金で行かせてやれるかというと、それも難しい。娘たちのヴァイオリンにかかる費用が一気に発生したと思えば理不尽感は相当に薄まると自分に言い聞かせることにした。

ブラームスもついぞ訪問することがなかった英国である。

2007年4月14日 (土)

ブラ1の中の春

ブラームス第2交響曲で始まった学生オーケストラ生活が、3年目にさしかかるころ、待望の第1交響曲にありつくことが出来た。当時ベートーヴェンからブラームスへの乗換えが決定的になっていたこともあって満を持しての「ブラ1」だった。

ブラ1の中に春がある。

第4楽章30小節目Piu Andanteでホルンが大見得を切るところで、ヴァイオリンは弱音器の装着が求められる。ホルンを包み込む空気になれとブラームスが言っているのだ。弱音器こそつけないがヴィオラにとっても我慢のしどころである。しかしこういう我慢はしておくものだ、62小節目アウフタクトからの見せ場に備えた雌伏と位置付けるべきなのだ。

我慢は31小節続く。60小節目の3拍目までだ。62小節目のアウフタクトから始まる歓喜の歌に備えて、ヴァイオリン奏者たちはたった4拍の間にめいめい弱音器をはずす。ヴィオラの位置からそれを見るのは楽しみの一つだった。短い時間にサッと手際よく弱音器をはずすのは、なかなか難しい。スマートにやるにはテクが要るのだ。しかしキチンとやれば報われる。第1と第2を合わせて総勢20名にもなるメンバーが次々と弱音器をはずす様子は、長い冬の後、草花があちこちで芽吹くような感じだ。あるいは重いコートを脱ぐ感じでもある。歓喜の歌にやっとありつける喜びが誰の顔にも溢れていた。

第2楽章で悲惨なトラブルに見舞われた演奏だったから、歓喜の歌がことのほか身にしみた。

2007年4月13日 (金)

初見

初めて与えられた楽譜を見て演奏すること。「初見が利く」「初見が苦手だ」のような用いられかたをする。申すまでもないが作曲家が求めるテンポで弾けることも重要だ。暗譜とともにある種の才能が関与していると思われる。作曲家の意図を楽譜から瞬時に読み取って音に転換する作業に他ならない。いわば同時通訳だ。大げさに言えば演奏者の持っている音楽観、知識、経験、テクニックの総動員が求められる。試験やレッスンをする側にとっても大変だ。誰も知らない作品を探さねば公平を欠くことになるからだ。

コミック「のだめカンタービレ」第17巻でのだめの初見のレッスンが描写されている。弾き終えてののだめの感想「間違えたけど、こういう音楽でしょ」には舌を巻いた。161ページだ。なかなか吐けるセリフではない。その曲は初めてながら同じ作曲家の作品は弾いたことがあると自ら告白する。「こういう音楽デショ」と表現した内容が的はずれではなかった証拠に、デュマ先生が拍手している。数カ所間違いがあったことは確実ながら講師を感心させたことは、大きな意味がある。間違えずに音符をトレース出来ることより大切なことの存在が仄めかされていると見たい。11巻172ページ付近、当初の無惨な初見のレッスンから比べるとレベルアップは明らかである。

ブラームスの作品は初見には向いていないと思う。初見の教材に使うには有名過ぎる。初見演奏では表現しにくい仕掛けも随所に置かれている。単に音を間違えずに弾いただけではわかりにくいという意味だ。たとえばチェロソナタ第1番の第1楽章42小節目からのフレーズは、16小節後のカノン主題への長い参道だと位置づけ得る。そのフレーズを弾き始める時点で、そのことが判っている方が弾くにしても聴くにしても味わいが深まる。しかし初見でそれを完全に盛り込みきることは難しい。同様に弦楽六重奏曲第2番第1楽章119小節目も、遙か後方135小節目の第2主題への助走だ。

ブラームスの作品がしばしば「噛めば噛むほど」と形容されることと関係があると思われる。ブラームスが施した全ての仕掛けを聴き手に認識させるのは手間も時間もかかるのだ。

「初見に向いてない」というのはそういう意味だ。

2007年4月12日 (木)

究極の6度

今私を夢中にさせている曲について書く。2月22日に続き再び「Feldeinsamkeit」op86-2である。邦訳には決定版がないことは既に言及した。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/02/fe_e4fa.html

全長35小節。演奏時間は約2分半。強いて言うなら「AA'」と表現し得る形式だ。ダイナミクス用語は「p」が3度出現するだけである。発想記号もまたシンプルに「Langsam」とあるだけである。

「6度音程」がキーワードになっている。3度好き6度好きのブラームスだから、6度にまつわる見せ場なら売るほどあるが、この作品の29小節目アウフタクトから29小節目冒頭にかけて発生する「C-A」の6度跳躍をもって「究極の6度」とあえて認定したい。

ワンコーラス目の該当部分は11小節目にある。ここにも同様な「C-A」の6度跳躍が存在するが、味わいの深さに置いて28小節目に一歩譲る。11小節目はFmの和音の中で「C」が小節の始めから安定確保されているのに対し、ツーコーラス目のこちらは「Des-H」と動く。「gestorben bin」というテキストが重なる場所だ。「C」そのものを避けながら限りなく「C」を希求する進行だ。同じ音を半拍遅れで差し込むだけのピアノ伴奏とも相俟って、音楽は氷り付いたように流れを止める。

氷り付いた終点の「H」がわずかにせり上がって「C」に動き、音楽は息を吹き返す。旋律は6度上の「A」に跳ね上がって2小節半後方の「D」に向かう。ここの6度跳躍を聴くと、得も言われぬ気持ちになる。終点である「D」の直前の「C→Cis」も無限を表して余すところがない。頂点の「D」に向かうクレッシェンドの必然ぶりに目頭が熱い。無理矢理言葉にすれば「憧れと希望」「宇宙の広さ」等々いかようにも思い浮かぶが、どれも不完全だから思い余って紀貫之の歌で示す。

「袖ひぢて結びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ」

ここの6度確かに凄いが、ワンコーラス目の11小節目に普通の進行を見せられているからこそ、「Des-H-C」のような「わずかな迂回と停滞」という揺らぎが心に響くのだ。有節歌曲と呼ぶにはあまりに微妙だ。

曲も聴かせず、譜例も見せずの悪い癖が当分治りそうにない。

2007年4月11日 (水)

いつか来た道

3月29日の記事「事故調査委員会」で、昔の仲間と一献傾けたと書いた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_8fe2.html

プロのオーボエ奏者と親しく音楽論を語らった。かれこれ4時間ほど時のたつのを忘れて盛り上がった。私の本やブログについても貴重な意見が出た。メンバーのうちの紅一点はこれまた私と同期のヴィオラ弾きで、れっきとした物書きだ。二人とも私の本やブログを誉めてくれるというスタンスは共通しているが、そこそこアルコールが回った頃になって、彼女が面白いことを言い出した。

「現代のブラームスマニア(私のことか?)が、文明の利器パソコンを駆使して、楽譜上の用語を集計分析してやっと把握出来るような傾向を、はたしてブラームスは弾き手に伝えようとしていたのだろうか」という問いである。「もっと噛み砕いて判り易く記して貰わないと伝わらないンじゃあないの」「ブラームスの辞書を誰もが参照する訳じゃないンだから」と続く。断っておくが、私の本やブログへの揚げ足取りではない。愛ある問いかけである。この発言をきっかけに宴会は終盤にもつれこんだ。いい歳をした大人が居酒屋で激論を交わした。

私にとってこの問いはいつか来た道だった。執筆の途中から自問していた。この問いに対して自分なりの答えに到達したから本が書けたと言っていい。

一握りの天才打者たちは自分の打席を全て覚えているという。インタビューではしばしば、「何月何日の第4打席の3球目のファウルの時の打ち方」がみたいな受け答えをしている。天才作曲家が過去の自作について隅々まで記憶していたとしてもさほど驚くには当るまい。元々先に頭の中で完成させておいた作品を後から楽譜にダウンロードしただけであるようなエピソードは珍しいものではない。実質脳内エクセル状態だろう。自作への音楽用語の配置には、それらを総動員していたに違いない。それが全ての弾き手に完全に伝わるかどうかとは別の次元の話である。

万が一ブラームスがそれらのことに完全に無頓着だったとする。それでも楽譜への音楽用語の配置は、楽想を弾き手に伝えたいという意思の表れであることは動くまい。無意識のうちに適切な楽語を選んでいたはずである。それらを集計分析することで、ブラームスの無意識下の性格を類推することだけは出来るはずだ。最悪それでも構わない。ブラームスの無意識になら振り回されてみるのも悪くないと開き直ったことが、執筆の動機になっている。

ありがたい話だ。あの宴席一回にブログ記事のヒントがどれほど詰まっているか計り知れない。もっともっと話がしたい。

2007年4月10日 (火)

衝突

半音関係にある音が同時に鳴らされること。必ずしも打鍵または発音が同時である必要はない。既に鳴っている音と半音関係にある音が後から発音される場合も含まれる。またどちらかの音がオクターブ移動された7度または9度のケースも含まれる。

実際に鳴らしてみると判るが独特な響きがある。ピアノの白鍵でいうなら「ミとファ」または「シとド」である。どちらかというと不快な響きだとされている。オクターブ移動された7度や9度になるとこの不快さも少し減じられる。

作曲家によってはこの「不快さ」を巧妙に利用する。お汁粉に塩を一振りするようなものである。大抵は経過音と言う名の通り一瞬通過する程度、かする程度なのだが、それだけに決め損なうとカッコがつかない。ブラームスにも山ほどある実例の中から、お気に入りを紹介する。

  1. ピアノ協奏曲第1番第1楽章125小節目6拍目のピアノ 右手がGのオクターブを奏しているが、同時に左手は右手側の低いGの半音上のGisを弾いている。8分音符一個分なので一瞬である。文字通り「かする程度」である。気合いを入れて聴いていないと判らぬまま通り過ぎてしまう。
  2. ピアノソナタ第2番第3楽章66小節目 トリオ末尾のスケルツォ復帰の準備の中で起きる。ここからしばらくGとFisの衝突が執拗に繰り返されてスケルツォに回帰する。衝突の解消と同時にスケルツォに回帰するという緻密な作りになっている。「きつい響き」をうまく利用している例である。
  3. 弦楽四重奏曲第3番第3楽章325小節目のヴィオラ 最後から3小節前での出来事だ。C線上1の指でとるDとG線上3の指でとるCisの7度の重音である。これが単純に2小節引き延ばされた後、Dの重音に解決して曲が結ばれる。問題の2小節間は7度なので不快さはさほどでもないが、個人で練習していてもよくわからない。この場所、チェロと第一ヴァイオリンはともにD音を出している。風変わりなのは第二ヴァイオリンでGとBの重音なのだ。決まったときの爽快さは何にも代え難いが、なかなか決まってくれない。第3楽章のしめくくりだけに無様なまねは御法度である。
  4. インテルメッツォホ長調op116-6 冒頭2拍目のHとHisの7度。本作品にあってこの7度衝突は明らかに主要なモチーフのとして扱われている。2小節後にはAとGisの7度衝突が見られる他、次々とこの手の衝突が現れる。この衝突が旋律の流れの推進役ではないかとさえ感じさせる配置である。衝突という言葉が不適切と感じられるくらいのやわらかなインテルメッツォだ。
  5. 交響曲第1番第4楽章77小節目のヴァイオリンとヴィオラ いわゆる「歓喜の歌」に似た第一主題の中である。ヴィオラがC線上のEを奏する。このときオクターブ上で第1ヴァイオリンもEを弾いている。1拍後、ヴァイオリンがEにとどまる中ヴィオラだけが半音上のFに移る。これでEとFが衝突することになるが、全ては一瞬で通り過ぎる。1小節後にはヴァイオリンが「DC」と進行するので衝突はたったの1拍分に過ぎない。この場所ヴィオラ弾きのお楽しみだ。衝突と言うにはあまりに甘美である。
  6. ラプソディー変ホ長調op119-4の5小節目 EsとDがぶつかっている。1つ前の拍から続く「Es-D-C-B」という下降線が、Esのオクターブで確保される保続音と衝突しているのだ。4つの4分音符に付与されたアクセントがそれを裏付けている。

この種の衝突を全部拾うなどということは、諦めてはいるが、思いつくままに列挙した。譜例なしはキツイものがある。

2007年4月 9日 (月)

人の望みの喜びよ

長男の高等学校入学式があった。

わずか30分という凝縮された式だった。「さすが私立」という驚きに満ちた練り上げられた内容に満足した。

ブラスバンドが上手い。式典の幕開けを告げたのはバッハ作曲、「主よ人の望みの喜びよ」BWV147だった。トランペットの見事なピアニシモが印象的だった。初めて中学校のブラスバンドを聴いた時、「上手い」と思ったが、高校生はもっとだ。今思うと中学生は力任せという感じだ。響きとしての和音をじっくり聴かせる演奏だった。リズムにメリハリがあり、フォルテとフォルテシモを吹き分けているとも思える。

熟考の末に決めた学校だ。わずか一日だったが十分な手ごたえを感じた。

2007年4月 8日 (日)

セレナーデ室内楽バージョン

本年2月10日の記事「九重奏曲ニ長調」で述べたとおり、管弦楽のためのセレナーデは現在の形にたどりつく前に室内楽版と呼ばれる形態を採用していた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/02/post_264c.html

記事「九重奏曲ニ長調」ではオリジナルとは違うものの室内楽バージョンのCDが気に入っている点に言及した。このほど1番ニ長調と2番イ長調の室内楽オリジナル版のCDを見つけた。

<1番ニ長調>

  • フルート
  • クラリネットⅠ
  • クラリネットⅡ
  • ファゴット
  • ホルン
  • ヴァイオリン
  • ヴィオラ
  • チェロ
  • コントラバス

<2番イ長調>

  • フルートⅠ
  • フルートⅡ
  • ピッコロ
  • オーボエⅠ
  • オーボエⅡ
  • クラリネットⅠ
  • クラリネットⅡ
  • ホルンⅠ
  • ホルンⅡ
  • ファゴットⅠ
  • ファゴットⅡ
  • ヴィオラ
  • チェロ
  • コントラバス

なんだか楽しくなってくる。ブラームス史上最高のメヌエットの誉れ高い1番の第4楽章をオリジナルで聴けるということだ。2番における管楽器の分厚さととってつけたような弦楽器の編成が微笑ましい。ヴァイオリン抜きは室内楽版からの引継ぎ事項だったのだ。

これで謎が解けた。管弦楽のためのセレナーデ第2番は、ヴァイオリンが無い。弦楽器の最高音域はヴィオラということになっている。たったそれだけで、通常のオーケストラでヴァイオリンに与えられている華麗な地位が、ヴィオラに与えられていると錯覚していた。実際にこの曲でヴィオラに与えられた役割は、お世辞にも華々しいとはいえない。ヴァイオリンの不在を補うべく、ト音記号出まくりという訳ではないのだ。

室内楽版の楽器編成を良く見ると、二組の木管五重奏にピッコロを足し、中音域以下をヴィオラとチェロ、コントラバスで補強したと見ることが出来る。つまりこの曲、元々の主役は木管五重奏なのだ。それが管弦楽版に鞍替えしたところで、曲中のヴィオラの位置付けは何等代わってないということだ。合点が行くとはこのことだ。ヴァイオリンの居ぬ間にヴィオラが洗濯する訳ではなかった。

管弦楽のためのセレナーデのうち1番はともかく、この2番を「交響曲作曲に先立つ習作」と位置づけてはなるまい。生い立ちが全くもって別系統である。本質的にはホルンを含む木管を聴かせる曲である。「ブラームスの辞書」op16を差し上げたのが木管のスペシャリストでよかった。

2007年4月 7日 (土)

検索窓

自分のブログの話なのに情けないが、近頃ブログ「ブラームスの辞書」の右サイドバーに「検索窓」が設置されていた。4月3日から4日にかけて行われたメンテの結果なのだろうか。私自身が設置を意図したわけではない。

「検索窓」とは好みのキーワードから記事を検索出来る機能だ。ブログ内検索を選択すれば、ブログ「ブラームスの辞書」の700を越える記事の中から望みの記事を探すことが出来る。これは便利だ。便利だが、私が意図的に設置した訳ではない。いつの間にかあったのだ。ココログのロゴのそばだから少しスクロールが必要になる。

元々この手のブログパーツの取り扱い方に疎いから、たとえ便利と判っていても設置が出来ない。記事の更新よりは優先順位が低いと考えているので、いつまでたってもテクが上がらないというわけだ。

試しに使ってみたが、なかなか楽しい。記事の数もそこそこの厚みになってきたので、「たしかどこかで見たような」という探し物がある場合には、記憶に頼るよりは数段楽だと思われる。

2007年4月 6日 (金)

46の和音

「しろくのわおん」と読む。

昔むかし、バロック時代。通奏低音と呼ばれる役割があった。チェンバロやクラヴィーアがその役割を担っていた。それらの楽器の左手の譜面には単音が記されて、その横に小さな字で数字が添えられている。演奏者は記された音とその数字だけを見て、即興で演奏することが当たり前だった。今その詳細を論じる余裕も知識もないが、「46の和音」という呼び名はこのような背景を持っている。

「記された音から数えて4つめと6つめの音を加えた和音」という意味。仮にCdurの主和音を例に取る。基本形は低い方から「CEG」なのだが、これが形を変えることがある。「C」が最高音になる「EGC」を第一展開形、さらにEが最高音になると「GCE」となりこれを第二展開形という。この第二展開形は最低音「G」とその4度上、6度上の音から構成されているので、これが「46の和音」と通称されているのだ。つまり「和音の第二展開形」のことだ。

ブラームスが「46の和音」について考えを述べたという証言がある。音楽之友社から出ている「ブラームス回想録集」第三巻233ページだ。作曲についての唯一の弟子とされるグスタフ・イエンナーの証言である。

「自作が出来たら、その中の46の和音を全部抜き出してアンダーラインを引いてみろ」というブラームスの忠告に言及している。「それらが全て必然としてそこにあるかをチェックせよ」と続く。「46の和音は霊感の枯渇を象徴している」「表面上は耳に優しく響くから、考えに詰まったとき、安易にこの和音に逃げ込むことが多い」と喝破している。当のブラームス自身も乱発を指摘された経験もあるという。

指摘された当のイエンナーは、この方法が大変有効だと認めている。

無論「46の和音」自体に罪がある訳ではないが、個々の和音に対するブラームスの鋭敏な感覚が読み取れていて貴重だ。

今日は4月6日である。

2007年4月 5日 (木)

子供の脳味噌

作りが違うという他はない。子供たちの脳味噌は私とは違うのだ。発表会まで1ヶ月を切った。作品の仕上げもさることながら、暗譜も完璧にしなければならない。

昨日不意に楽譜を見ずに弾かせてみた。「音程は少々目をつぶるから楽譜見ないで通して見ろ」と告げた。ベリオに挑むお姉ちゃんは、「ハイよ」とばかりに楽譜をこちらによこした。結論から申せばすんなり通るだけなら通ってしまった。楽譜を見ていたときよりもむしろ流れた感じだ。「音程を大目に見るから」と言われてのびのび弾いていた感じだ。暗譜はそこそこでいいから、音程しっかりねと言いたくなる。

しかし、お姉ちゃんが音程は別にしてすんなり暗譜してしまうだろうというのは、ある程度予想していた。演奏が難しい分だけメリハリがつけ易いと思っていた。

驚いたのは次女だ。バッハのイ短調ヴァイオリン協奏曲の第1楽章は、似たような音形が繰り返し現れるので、暗譜には手こずると思っていたのだが、こちらも呆気なく弾けてしまった。笑えるのは本人もびっくりしてしまったことだ。楽譜を見ずに弾かせたのは今日が初めてだったのだが、自分でも暗譜で最後まで通るとは思っていなかったらしい。「指が勝手に動いた」と言っている。

何だか希望が湧いてきた。

2007年4月 4日 (水)

カテゴリー「アクセス」の創設

ブログ「ブラームスの辞書」のアクセスが40000を超えた。今年にはいってからアクセス数は順調に推移している。年度始めを機にアクセス関連の記事を集中して網羅するカテゴリー「アクセス」を新たに創設することにした。

従来は全てカテゴリー「43ブログマネージャー」に紐付けていたが、このカテゴリーが何だか肥大してきたこともあって、アクセス系の記事をカテゴリー「49アクセス」に移転集約する。過去のカテゴリー系の記事も昨日全て移転を完了した。

アクセスの関連記事があまり頻度を増やすのは考えものだが、区切り区切りでは必ず言及することにしている。

2007年4月 3日 (火)

ブラームス没後110周年

1897年4月3日ブラームスはウイーンにて没した。だから今日はブラームス没後110周年の記念日である。110年目ともなると供養の側面は薄まる。

ブログ「ブラームスの辞書」は開設以来674日目を迎え、記事は本日のこの記事で721本目である。断言するが、ブログ開設以降ブラームスのことを考えなかった日は一日もない。だから十進法で区切りのいい110周年の命日だからといって特別なことはない。作品110でも聴いてみるかという感じである。

没後110年を経過してもなお、ドイツから時差にして8時間の極東の島国で、ブラームスに明け暮れている男が居るということをブラームス本人も想像できたか疑問である。原因の90%はブラームスの残した音楽にある。恐らく残りのうち5%程度は私のDNAのせいだろう。そのDNAは何かの因縁で1935年4月3日に生まれた父から受け継いだものに違いあるまい。

ブラームスが「これで良し」と踏ん切りをつけて発表した作品を素晴らしいと感じる自分がいるということが何だか奇跡のようだ。毎日毎日奇跡に浸ることが出来て幸せだ。簡単に手放したりはしない。

2007年4月 2日 (月)

主題再帰

「ブラームスの辞書」では「提示済みの旋律が同一楽曲内で再度出現すること」と定義している。「再現部」としてしまうと、いわゆるソナタ形式のそれを想起してしまうので区別している。ソナタ形式の再現部も含むより大きな概念だと思っていただきたい。主題が再度現れることは、何もソナタ形式に限ったことではないので、新たな定義が必要だと考えた訳である。

ブラームスに限らず西洋の音楽、とりわけドイツの器楽曲は、この「主題再帰」を重んじていると思われる。一度提示済みの主題が再度現れる瞬間に誰もが感じるほっとした安堵感こそが音楽の目的ではないかとさえ思っている。そうした仕組みの中でも、もっとも大がかりなものが「ソナタ形式」だと位置づけられる。

最初に提示される主題は「我が家」とでも位置づけられよう。それに対して「主題の展開」「主題の処理」「主題の発展」等々さまざまな命名がされているが、それらをひっくるめて「外出」と捉えたい。「外出」にもさまざまな種類があることとはもちろんだ。角のコンビニまで弁当を買いに行くのも外出なら、週末を利用して温泉に行くのも外出である。この論法で行くなら「主題再帰」は「帰宅」とでも位置づけられよう。

外出に様々な種類があるように「主題再帰」つまり「帰宅」のしかたも様々である。実はこの帰宅の方法つまり「主題再帰」の準備こそが「帰宅」そのものよりも珍重されることが多い。「主題再帰」の瞬間よりも、そこに至る道のりを楽しむという訳だ。何を隠そうブラームスは、帰宅の方法の多彩さにおいて抜きんでた存在なのだ。ブラームス作品の味わいにおいて「主題再帰」はいつも大抵見せ場になっていることが多い。「主題再帰」の道の上にいるのだと自覚する瞬間に何とも言えぬ陶酔感さえ存在するのだ。

何もブラームスにまで用例を求めずとも事は足りる。

たとえば娘たちとのヴァイオリンの練習に使われる教則本で感心することがある。カイザーの1番を例にとってみる。初心者向けの第1ポジション御用達の曲だが、こんな小さな曲にも「主題提示」と「主題再帰」が用意されている。つまり大抵の曲が「ABA’」の形を採っているのだ。ヴァイオリン一本で奏でられる小品なのに、旋律線だけでなく和音進行も一人前の手順が踏まれているのだ。娘たちと練習する際には、どんな練習曲でも最初の日に必ず楽譜の「主題再帰」の場所に鉛筆で線を引くことにしている。娘たちにとっては「この印のところからまた最初に戻るから、弾き慣れた旋律になる」という「ふんばりの目標」になるのだ。少々つらくても我慢させるのだ。その我慢がいつまでなのかの具体的な目標が「主題再帰」の場所なのである。

私の立場から申せば、その印「主題再帰」の場所はオアシスであり「ほっとする場所」であることを教える意味がある。作曲家は再帰の直前にそれ相応の手続きを必ず踏むので、感覚的でもいいからそれを意識させたいのだ。主題再帰部に効果的に戻るために弾き手として何をするのか娘たちと意見を出し合うのだ。必ずしも正解が存在する訳ではないが「クレッシェンドする」「ディミヌエンドする」「リタルダンドする」「少しフェルマータする」等々娘たちが感じてくれればいい。

西洋音楽を志す者にとって、とりわけブラームスであれば尚更、「主題再帰」を幼い頃から意識しておくことには大切だと信じる変なパパである。

2007年4月 1日 (日)

願い

3月は何かと別れの季節だ。卒業も大抵はこのあたり。社会に出ても年度末であり、4月1日付けで発令される人事異動も多い。つまり4月から境遇が変わる人はとても多いということだ。3月までの生活に一区切りをつけて4月から新生活というケースだ。

私とて入り浸っていた居酒屋や定食屋、あるいは学生食堂には卒業以来プッツリと縁が切れた。社会人になって久々に訪れた学生街の街並みが激変していて愕然とするときがある。あきらめて引き返そうとしたとき、懐かしい喫茶店がひっそりと昔のまま残っていたりすると嬉しいものだ。

境遇が変わってブログ「ブラームスの辞書」にアクセスすることが出来なくなった人たちがいつ戻ってきてもいいように、ずっとブログ「ブラームスの辞書」を続けたい。5年10年続けるとそういうことも起きて来るだろう。そういうシチュエーションで「ああ、何もかも昔のまま」と感嘆されたいと心から思う。

小さな駄文の積み重ねで出来ることといえばそれくらいだ。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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