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2007年4月13日 (金)

初見

初めて与えられた楽譜を見て演奏すること。「初見が利く」「初見が苦手だ」のような用いられかたをする。申すまでもないが作曲家が求めるテンポで弾けることも重要だ。暗譜とともにある種の才能が関与していると思われる。作曲家の意図を楽譜から瞬時に読み取って音に転換する作業に他ならない。いわば同時通訳だ。大げさに言えば演奏者の持っている音楽観、知識、経験、テクニックの総動員が求められる。試験やレッスンをする側にとっても大変だ。誰も知らない作品を探さねば公平を欠くことになるからだ。

コミック「のだめカンタービレ」第17巻でのだめの初見のレッスンが描写されている。弾き終えてののだめの感想「間違えたけど、こういう音楽でしょ」には舌を巻いた。161ページだ。なかなか吐けるセリフではない。その曲は初めてながら同じ作曲家の作品は弾いたことがあると自ら告白する。「こういう音楽デショ」と表現した内容が的はずれではなかった証拠に、デュマ先生が拍手している。数カ所間違いがあったことは確実ながら講師を感心させたことは、大きな意味がある。間違えずに音符をトレース出来ることより大切なことの存在が仄めかされていると見たい。11巻172ページ付近、当初の無惨な初見のレッスンから比べるとレベルアップは明らかである。

ブラームスの作品は初見には向いていないと思う。初見の教材に使うには有名過ぎる。初見演奏では表現しにくい仕掛けも随所に置かれている。単に音を間違えずに弾いただけではわかりにくいという意味だ。たとえばチェロソナタ第1番の第1楽章42小節目からのフレーズは、16小節後のカノン主題への長い参道だと位置づけ得る。そのフレーズを弾き始める時点で、そのことが判っている方が弾くにしても聴くにしても味わいが深まる。しかし初見でそれを完全に盛り込みきることは難しい。同様に弦楽六重奏曲第2番第1楽章119小節目も、遙か後方135小節目の第2主題への助走だ。

ブラームスの作品がしばしば「噛めば噛むほど」と形容されることと関係があると思われる。ブラームスが施した全ての仕掛けを聴き手に認識させるのは手間も時間もかかるのだ。

「初見に向いてない」というのはそういう意味だ。

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