究極の6度
今私を夢中にさせている曲について書く。2月22日に続き再び「Feldeinsamkeit」op86-2である。邦訳には決定版がないことは既に言及した。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/02/fe_e4fa.html
全長35小節。演奏時間は約2分半。強いて言うなら「AA'」と表現し得る形式だ。ダイナミクス用語は「p」が3度出現するだけである。発想記号もまたシンプルに「Langsam」とあるだけである。
「6度音程」がキーワードになっている。3度好き6度好きのブラームスだから、6度にまつわる見せ場なら売るほどあるが、この作品の29小節目アウフタクトから29小節目冒頭にかけて発生する「C-A」の6度跳躍をもって「究極の6度」とあえて認定したい。
ワンコーラス目の該当部分は11小節目にある。ここにも同様な「C-A」の6度跳躍が存在するが、味わいの深さに置いて28小節目に一歩譲る。11小節目はFmの和音の中で「C」が小節の始めから安定確保されているのに対し、ツーコーラス目のこちらは「Des-H」と動く。「gestorben bin」というテキストが重なる場所だ。「C」そのものを避けながら限りなく「C」を希求する進行だ。同じ音を半拍遅れで差し込むだけのピアノ伴奏とも相俟って、音楽は氷り付いたように流れを止める。
氷り付いた終点の「H」がわずかにせり上がって「C」に動き、音楽は息を吹き返す。旋律は6度上の「A」に跳ね上がって2小節半後方の「D」に向かう。ここの6度跳躍を聴くと、得も言われぬ気持ちになる。終点である「D」の直前の「C→Cis」も無限を表して余すところがない。頂点の「D」に向かうクレッシェンドの必然ぶりに目頭が熱い。無理矢理言葉にすれば「憧れと希望」「宇宙の広さ」等々いかようにも思い浮かぶが、どれも不完全だから思い余って紀貫之の歌で示す。
「袖ひぢて結びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ」
ここの6度確かに凄いが、ワンコーラス目の11小節目に普通の進行を見せられているからこそ、「Des-H-C」のような「わずかな迂回と停滞」という揺らぎが心に響くのだ。有節歌曲と呼ぶにはあまりに微妙だ。
曲も聴かせず、譜例も見せずの悪い癖が当分治りそうにない。
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