オーボエの至福
ブラームスの諸作品におけるホルンやクラリネットのおいしい位置づけについては既に繰り返し述べてきた。本日はオーボエについて述べてみたい。
オーボエは室内楽には出番がない。その点ホルンやクラリネットの後塵を拝しているが、管弦楽曲にはそれを補ってあまりある出番に満ちている。第一交響曲の第一楽章の序奏部のソロは国宝物である。
交響曲全てに国宝重文級の出番が揃っていることもさることながら、「2番が面白い」のだそうだ。2番というのは第二交響曲ではなくて2番オーボエという意味だ。一般にブラームスは木管楽器各2本なのだが、その2本のうちの主席じゃない方を指している。これを言ったのは、「同期の桜のプロオーボエ奏者」だ。20年くらい前の話だ。彼が言いたいのは、いやしくも交響曲であるなら、オーボエは誰の曲であってもそこそこ出番がある。それは間違いないのだが、その出番は大抵1番オーボエに当てられていて、2番オーボエは和音の隙間埋め、ロングトーンあるいはフォルテ要員に徹する感が強いらしい。当時の私は勝手にそう解釈して感心していた。
先日の酒の席で確認したら「そんな事言ったかぁ」「ブラームスは2番オーボエも面白いといえば通っぽくてカッコいいと思ってな」などという無惨な憎まれ口を叩いていた。
「ベートーヴェンなら絶対1番を吹かねば退屈なのだが、ブラームスなら2番も面白い」というニュアンスは捨てたモンじゃないだろう。これはひょっとすると他の木管楽器にも当てはまるかもしれない。
さてさてオーボエの話題ではずしてならないのはヴァイオリン協奏曲だ。第2楽章に世界遺産級のソロがある。サラサーテがへそを曲げたという曰く付きの場所だ。文字通り独奏ヴァイオリンを隅に追いやってという感じである。とかくオーボエだけが目立つが、この場所の木管アンサンブルは絶妙だ。全曲の演奏終了後、もちろんヴァイオリン独奏者が万雷の拍手を浴びるのだが、指揮者が2回目にステージに呼び戻されたあたりで、オーボエ奏者が一人起立をさせられる場合が多い。私が生で聴いた演奏会では全部そうだった。指揮者やソリストから花束のお裾分けも珍しくない。客の3割くらいはそれ目当てかもしれない。オーボエ奏者がシェレンベルガーだったりしたら、ソリストを喰いかねない。
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<ひふみ様
そうでしたか!気持ちわかりますよね。
ところで初演の時だれがオーボエを吹いたか、記録は無いンでしょうかね?ヨアヒムを押しのけたのでしょうか。
投稿: アルトのパパ | 2007年4月26日 (木) 05時04分
はい、確かに。
私はムローヴァのソロで聴いたベルリンフィルの演奏会で、
シェレンベルがーへの拍手の方が凄かったのを確かに“観ました”!
投稿: ひふみ | 2007年4月25日 (水) 22時55分