教科としての音楽
長男が高校に入学して2週間が経過する。高校では芸術系の教科が選択制になる。
さすが私立と思うのは一年生の時に茶道が必修になっていることだ。それからもう一教科は音楽、書道、美術から1つを選ぶことになっている。このあたりは私の高校時代と同じだ。どうやら長男は音楽を選んだようだ。恐らく消去法だと思うが、結果オーライである。ある瞬間にチェロをやりたいと思ってくれるかもしれないからだ。私は、その高校の音楽の授業で初めてブラームスの「Sontag」op47-3に触れたのだ。
一方長女は、まだ中学生。音楽は必修だ。「テストで必ず90点が取れるのは社会と音楽だけだ」と言っている。あろうことか、「音楽なんか90点取れなくていいから英語か数学で取りたい」などと無惨なことを言っている。「どうせ受験に関係ないし」とトドメが刺さる。
私もあのころはそうだったから、文句も言えない。国語・数学・理科・社会・英語の主要5教科の成績に一喜一憂していた。高校時代には「そもそも音楽なんて点数つけるモンじゃないでしょ」という類の生意気なフレーズも吐いていた。音楽を勉強と位置づけた途端に魅力が半減するというのは一面当っていると思う。当時の音楽の授業は確かに退屈だった。
かくして私自身は、音楽の入っていない主要5教科の試験で要領よく立ち回り続けたお陰で、大学を経由してサラリーマンになって今がある。何ぼ大卒を標榜したところで、大学全入時代には見向きもされまい。この先そちらの方面での伸びしろは期待薄という時間帯に入ってきた。皮肉なことに事ここに至って、主要教科から漏れていたはずの音楽つまりブラームスにいやされている。この辺りの機微を教えるのが、音楽の授業の目的の一つであって欲しいものだ。
長男、長女そして私それぞれに今、音楽との距離がある。
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