エコー
同一のフレーズが隣接して繰り返されるとき、このうちの2回目をより弱く演奏することを「エコー」と呼んでいる。対比を鮮明にすることで演奏が平板に陥らないようにする効果があるとされている。作曲家自らがそれを意図してダイナミクス用語を配置している場合と、演奏家の判断で実現する場合とがある。
ブラームスでは、そうした概念が別楽曲に割れて表現されていると思われるケースが散見される。
- 作品19-3「遠い国で」は作品自体が、その直前の作品19-2「別離と辞去」のエコーになっていると思われる。「別離と辞去」の結果として「遠い国」に居るという筋立ては明らかである。
- 作品59-4「名残り」は、これまたその直前の「雨の歌」作品59-3のエコーとして響く。いわば「雨の名残り」だ。
- 作品85-2「月の光」も直前の作品85-1「夏の宵」のエコーだろう。「月の光」の10小節目以降の中間部に「夏の宵」の旋律が現れる。出現の瞬間、ハッとさせられる。ハイネ作のテキストは珍しいがこれは2曲ともハイネだ。
同じ旋律の出現という意味では主題再帰の一種だが、2回目の方の押し出しが弱まることがポイントだろう。上記3例は同じ旋律がキッチリ出現するので説得力も伴うが、実は密かにエコーだと信じている箇所が一つだけある。お叱りまでも覚悟の大胆な場所である。
第四交響曲第2楽章冒頭のホルンだ。このE音3つの連なりが、第1楽章末尾439小節目のティンパニの4連打のエコーに聴こえて仕方がないのだ。もちろんティンパニの方だってE音だ。こちらは4連打なのだが、最初の1発目は他の楽器と重なっているので、ティンパニが露になるのは実質3連打なのだ。理屈で申せばそういうことなだが、これがエコーに聴こえてしまうのは、単なる感覚でしかない。第2楽章の前でチューニングなんかされたら台無しになってしまう禁断の「楽章またぎエコー」である。
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