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2007年5月31日 (木)

4度跳躍

旋律の立ち上がりで4度の上行を伴う現象。思うにブラームス節の根幹の一つ。残念ながら著書「ブラームスの辞書」でもこのパターンを網羅列挙するには至っていないが、ブラームスの作品に親しむ人たちは、ウスウス気付いていると思われる。他の作曲家の作品における用いられ方を分析していないので、ブラームスの特質だとの断言は危険である。

真っ先に思いつくのは第1交響曲のフィナーレ。古来ベートーベンの歓喜の歌との類似が指摘されているあの旋律だ。ベートーベンとの類似ばかりが指摘されるだけで、人間の耳が何故にていると感じるかの掘り下げが甘い気もする。いきなりの4度跳躍は、いかにもブラームスっぽい。

弦楽六重奏曲第1番第2楽章冒頭、ピアノ四重奏曲第1番第3楽章冒頭、ピアノ協奏曲第1番第1楽章199小節目のホルンなど皆この系譜である。実はよく分析すると2つのパターンに分類できる。4度跳躍の間に小節線を跨ぐパターンとそうでないパターンだ。前者はつまりアウフタクト型である。第1交響曲のパターンを含め、先に列挙した3つは皆アウフタクト型だ。小節の頭、強拍上のトニカを強調することでガッシリと地に足の付いた安定感が指向されている。

アウフタクト型と非アウフタクト型には多分優劣などない。非アウフタクト型にもおいしい実例がある。ピアノ協奏曲第1番第1楽章第3主題385小節目「Poco piu Moderato」、歌曲「五月の夜」op43-2冒頭などがすぐに思い浮かぶ。アウフタクト型に比べて柔らかい印象。確信的というより幻想的である。

旋律の立ち上がりではないが、面白いケースがある。歌曲「野のさびしさ」op86-2の10小節目にG→Cという非アウフタクト型が存在する。この箇所の2コーラス目では、G→Cの4度跳躍の再現を予測する聴き手の思いこみを裏切ってG→Asという半音上昇にすり替えられる。27小節目の出来事だ。ブラームス節の根幹4度跳躍をおとりに使って、まんまと聴き手の裏をかく。このトラップをきっかけとした1小節の進行は、まさに「野のさびしさ」の白眉となっている。4月12日の記事「究極の6度」を準備する動きだと位置づけられる。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_66c9.html

昨日の祝賀気分を打ち払うガチンコネタのつもりである。

2007年5月30日 (水)

祝ブログ開設2周年

ええ、本日はご多忙中のところブログ「ブラームスの辞書」開設2周年記念パーティーにお越しいただきありがとうございます。思えば2005年5月30日、刊行を目前に控えた「ブラームスの辞書」の宣伝のために立ち上げてからあっという間に2年が経過してしまいました。本日まで一日も欠かさず記事の更新が出来、ブログ「ブラームスの辞書」を続けてこれましたのも、ひとえに関係の皆様方のお力添えの賜物であると、心より感謝いたしております。

その間頂戴したアクセスは約4万7千件、肝心な著書「ブラームスの辞書」の販売も36冊を数え順調に推移している次第でございます。

ご承知の通り、私は都内勤務のサラリーマンでありますから、記事の内容には至らぬ点未熟な点多々ございます。それらがご心配をおかけすることも少なくなかったと存じますが、ブラームス作品の素晴らしさに免じてお許しをいただければ幸いと存じます。この2周年を機に一層精進し、ネタの鮮度品揃えをさらに充実させる所存であります。引き続き格別のお引き立てを賜りますようお願いして私の挨拶とさせていただきます。

ご来賓としておいでのブラームス先生に乾杯のご発声をお願いいたしますので皆様グラスをお取りください。

♪「Hoch auf’m Berg,tief im Tal,Gruss ich euch viel tausendmal」

「PROSIT!!!」

2007年5月29日 (火)

7の横並び

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来777本目の記事だ。

7が3つ横に並ぶとスロットマシンではいいことがあると聞いている。相当縁起がいい。長く続けていれば必ず通過する数字なのだが、それが今日だという点に意味がある。今日はブログ開設から730日目に当たる。つまり丸2年が今日で終わる。その間1日も記事のアップを欠かさなかったことに加え、最初の2ヶ月には複数記事がアップされた日もあるので、今日が縁起のいい番号になった。

明日はブログ「ブラームスの辞書」の満2歳の誕生日だ。誕生日を狙った訳ではない。全くの偶然だ。

誕生祝にブラームスを聴けないところが不自由だ。

2007年5月28日 (月)

perdendo考

「perdendo」は一般に「遅くしながら消え入るように」と解される。「遅くしながら」は誤解の発生する余地は少ないが「消え入るように」は曲者だ。「消え入るように」をひとまずダイナミクスのことだと考えておくが、議論の余地はある。

ブラームスには単独使用例が3回ある。同等の意味と解される「perdendosi」を加えると合計10回になる。この10回の用例を調べると奇妙なことが判る。初期作品「管弦楽のためのセレーナーデ第1番」の2回をのぞき10回のうち8回までが、「a tempo」等のテンポリセット系の用語を伴っていないのだ。誤解の発生がより少ないと申し上げた「遅くする」の側の方が厄介である。

消え入る方はともかく遅くする方をブラームスが意識していたか疑問である。実演奏上の処理としては、結果としてテンポダウンを採用することもあると思うが、テンポダウンを直接意図した用語ではない可能性をいつも頭に置いて臨みたい。一方で「消え入る」という概念の中に既に「遅くする」の概念が組み込み済みであった可能性もあり、予断を許さない。

どこにあるかは内緒である。

2007年5月27日 (日)

リトルサプライズ

先月19日の記事「同一カテゴリー5件」の中で、ココログの新機能について書いた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_609d.html

各記事の固定リンクにアクセスすると記述の末尾に、同一カテゴリーの最近の記事が5件まで記載されるという機能だ。アスセスを増やす効果があると考えて早速取り入れたのだが、ちょっとした勘違いをしていた。

「最近の記事5件」というのは、「最近保存ボタンを押した記事」5件だということが判った。記事の公開日の新しいもの5件の意味だと思っていたのだが、そうではない。過去の記事の誤りに気付いて訂正した場合には、その記事の初公開の日付に関係なく、「最近5件」の中に載って来てしまうのだ。

アクセス解析を見ていて「quiasi」でブログ「ブラームスの辞書」にたどり着いた人がいたのだ。「quiasi」は多分「quasi」の打ち間違いだろう。その証拠に「quiasi」にヒットしたブログは私のブログだけだ。つまりブログ「ブラームスの辞書」の中に「quiasi」があったといういことに他ならない。さっそく見つけ出して修正した。その記事は2005年の記事だったのだが、あるカテゴリーの「最近5件」に載ってしまったのだ。

ときどき意図的に保存ボタンを押してこのリストを乱すのも面白い。

2007年5月26日 (土)

運動会のナイチンゲール

今日、次女の通う小学校で運動会があった。

次女は6年生だからこれが最後の運動会になる。中学や高校では運動会とは呼ばれずに体育祭と呼ばれるから、「運動会」はこれが最後という訳だ。思えば長男が年中組で体験した幼稚園の運動会から数えて12回目の運動会だが、今日の運動会は我が家にとってもひとまず最後の運動会になる。子育てレースのしんがりを走る次女の行事はいつも「我が家最後の」というタイトルが付く。

次女が出るのは3種目。100m走と団体競技と組体操だ。次女が1年2年の頃は、3人が小学生だったから出番が次々とやってきた。お茶するのは紅白リレーの時だけみたいな感覚だった。3人の子供たちは、とうとう一人もリレーの選手になれなかった。今日の組体操が最後の演技になった。ピラミッドが決まったときにはジーンときた。

6年生ともなると運動会で何かしらの役目がある。次女は救護係だ。救護班のテントの下に陣取って、赤組白組の区別なくケガの手当てをする。心優しい次女にぴったりだ。敵味方の区別なく看護に努め「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールのようだ。テントの下なので日焼けしなくていいと言っていたのだが、ちょっとしたカスリ傷や鼻血などひっきりなしに「負傷兵」がやってくる。ニコニコと手際よく対応していた。家では見せない一面であった。

それにしてもBGMにハンガリア舞曲第5番が出なかったのは幸いだった。ここでブラームス断ちが途切れては洒落になるまい。

2007年5月25日 (金)

好きの形

長男が英国研修で不在である。祖母は無事の帰国を祈って「コーヒー断ち」に入っている。私も真似て「ブラームス断ち」をしていることは既に5月19日の記事「英国に旅立つ」の中で述べた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_5127.html

道中の無事を祈願するために差し出す生け贄は、祈りを捧げる者にとって大切なものであるほど効果が高いと思われる。あるいは大切かどうかは別として、一定の期間何らかの制約を自らに課すことで発生する不自由そのものが大切だとも思われる。祖母である母の差し出すコーヒーは嗜好品だから、後者の色合いが強い。

私の場合は「ブラームスを聴くこと」を差し出したという訳だ。これが相当な決意だということが果たして神様に伝わるのだろうか?本来ならばものすごく不安だ。大して大事でもないものを、さも大切な振りをして差し出して、それでお願いを聞いて貰おうという横着者とは違うと言うことを、神様はどのようにして見分けるのだろう。

本を書き、ブログを運営していて良かった。私がどれほどブラームスのことを好きか本やブログを見て貰えれば判ると思うからだ。まだ信心が足りぬと言われればそれまでだが、「好きの度合い」などという客観的数値化が困難と思われる事象が目に見えるようになっていると思う。私にとってのブラームスの位置付けの高さとともに、28日間ブラームスを聴かぬことが、どれほどの思いの裏返しなのかが判るハズだ。

こういう時のためにこそ好きを形にしておくものだと思う。

2007年5月24日 (木)

遅れる

意図せずに演奏のテンポが落ちてしまうこと。一昨日の記事「走る」と表裏一体になっている。「ritardando」や「sostenuto」によるデザインされたテンポダウンではない。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_1c37.html

素朴にして最大の疑問は、意図せずに速くなる側には「走る」「急ぐ」という2種の用語があるのだが、遅くなる方には「走る」に対応する有力候補が見当たらないことだ。ドイツ語やイタリア語でどうなっているかはわかりかねるが、案外この手の話は奥が深いものである。

例によって、記憶にある限りで私が初めて遅れたのは、第2交響曲だ。第1楽章134小節目。音の変化は無いのだが、独特のかかり方をするスラーのせいで、一筋縄では行かないシンコペーションになっている。夏合宿のパート練習でパートリーダーから指摘された。このあたりは、他のパートでも意地悪なスラーのかかり方をしていて小節の頭が認識しにくくなっているのだ。周りの音を聴けば聴くほど深みにはまった。この類の鬱蒼としたシンコペーションは紛れもないブラームス節なのだが当時は、訳がわからなかった。

このようなド素人初心者がはまる遅れは、理由がシンプルだ。リズムを感じられないか、指が回らぬかのどちらかまたは両方だと考えていい。がしかし、私のささやかな経験から申すと、「走る」に比べると訳ありなことが多い。「走る」の方がより初心者っぽい印象がある。後打やシンコペーション、あるいはヘミオラになると意図的にテンポを遅く取る癖のあるプレイヤーを何人か知っている。アマチュアながらひとかどの腕前の持ち主である彼らは、ある意味で意図的にそうしているのだ。

あるいは大所帯のアンサンブルの場合、プレイヤーがそれぞれ合わせることを意図する余り、見合い聴き合いの状態になり指揮者のタクトより遅い場合もあるが、このことは「遅れる」範疇には入れないのが普通だ。

意図があって、それが体系的であり、結果として紡ぎ出される音楽に説得力が宿る場合、「遅れる」とは言わない。

2007年5月23日 (水)

初めてのパターン

長男が英国に旅立って4日が過ぎた。そして今日長女が1泊の予定で林間学校に行った。つまり今晩我が家は次女と母と私の3人きりになる。

私が出張で不在の夜は今までに何度もあった。9泊10日の中国出張ほど長くない出張は珍しくなかった。子供たちのうち誰か一人が修学旅行や林間学校で不在の夜もあった。母も先般沖縄に一人で出かけた。しかししかし同時に2人の子供が家を空けたのは初めてだ。1人欠けても寂しいのに2人いないのは、堪える。一晩でたくさんだ。家族の大切さを思う夜になりそうだ。

2007年5月22日 (火)

走る

演奏のテンポが意図せずに上がってしまうこと。「accelerando」や「stringendo」の指示に従った制御された加速とは厳密に区別される。もちろんよくない現象である。しばしば「急ぐ」とも称される。走っている本人が気づかない場合も多い他、指摘されても治らないケースさえある。

とりわけ初心者で起きやすい。快速な楽曲の16分音符の箇所が要注意だ。緊張や上がりとの相関も疑われる。休符が頻繁に出現する作品では、しっかり休めていないことが原因のこともある。練習が不十分なところを過ぎて、練習十分なところにさしかかった途端に発病する場合もある。もちろん原因によって対処方法が異なる。

記憶にある限りブラームスの演奏で私がはじめて走ったのは第2交響曲だ。第4楽章の188小節目。ここから14小節間が第4楽章の難所である。微妙な臨時記号が頻発する上に、中途半端に休符が挟まって厄介だ。伴奏声部なので一人で練習していてもさっぱり訳がわからない。大学1年の夏だった。ヴィオラ初心者の私は合宿を前に一人で予習をしておいたのだが、合宿中のパート練習のときにパートリーダーから「走ってる」と言われた。指揮を見ていないこと、周りの音が聴けていないこと、休符をしっかり休めないこと、ここが難所だという緊張が重なっていたと思う。今と違って周囲の音を聴いて帳尻を合わせるマリーシアも無かった。抜け目なく開放弦を使う知恵も無かった。使えるポジションも限られていた。

今でも第2交響曲がこの部分に差し掛かるとドキドキする。

2007年5月21日 (月)

週間1000アクセス

アクセスネタの乱発は慎まねばならない。40000アクセス到達を祝う記事を3月28日にアップして以来のアクセスネタである。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_7544.html

下記の通り先週1週間のブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスが1042に達した。週間アクセスが1000を超えたのは、もちろんブログ開設以来初めてのことである。

  • 5月14日 132
  • 5月15日 145
  • 5月16日 242
  • 5月17日 180
  • 5月18日 115
  • 5月19日 120
  • 5月20日 108

週間1000アクセスは夢だった。今年に入って2月に2度900アクセスを超えたので、楽しみにしていた。先々週966アクセスという新記録を樹立したばかりだというのに、それをあっさりと更新したという訳だ。3月20日以降4月末日までの40日間は、いわば春休みモードで一日平均100アクセスを切っていたが、大型連休明けからアクセスが回復していたところだ。

特に5月16日の242アクセスは従来の記録を約50も更新する、1日アクセスの新記録でもある。

通産50000アクセスへの歩みを加速させる勢いである。

2007年5月20日 (日)

英国研修の効果

昨日長男を28日間の英国研修へ送り出した。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_5127.html

学校が掲げる研修の目的は一つではない。「英語の学習」「日本人としての自覚を高める」「英国人とのコミュニケーションを深める」と並んで「家庭の有り難味を知る」とある。

今朝になって祖母の鏡台の前に長男からのメッセージが置かれているのを発見した。朝の化粧をしようとした祖母が見つけたのだ。昨日出発前の化粧の時には置いていなかった。祖母の部屋の奥に置かれているから、ほとんど祖母しか使わない鏡台だ。家族の誰にも発見されぬよう配慮された祖母へのメッセージだ。昨日の出発間際になって、「ちょっと忘れ物」といって2階へ上がったのを思い出した。

「準備してくれてありがとう 歩斗」

しっかりとした筆跡で書かれている。約2週間の準備の間、ときにはうるさいと言って喧嘩腰にもなっていたが、まさかこんなメッセージを書いていたとは思わなかった。昨日朝は緊張のあまり、黙りこくって時には涙ぐんでいた長男だ。必死で自分と戦っているのは知っていたが、その土壇場で祖母にこんな思いやりを見せるとは!しかも空港への道中でも、空港での別れの場面でもこのメッセージのことは言い出さなかった。

出発させてからずっと気丈に振舞っていた祖母は、メッセージを握り締めて号泣だった。「家庭の有り難味を知る」という目的は達せられたも同然だ。心を鬼にして送り出したことが通じたのだと思う。

良い子に育ってくれた。

クララ・シューマン没後111周年の記念日を霞ませる出来事だった。予定になかった緊急家族ネタだ。これが書かずにいられるかといったところである。

2007年5月19日 (土)

英国に旅立つ

かわいい子を旅に出した。

本日昼前、長男の「英国研修旅行」への出発を成田で見送った。元気に旅立ったといいたいところだが、瞳うるうるの旅立ちだった。何度も振り返りながら10時5分に出国ゲートを出て行った。13時間20分のフライトである。

学校選びのポイントになった行事だ。本来望むところなのだが、やはり心配だ。比べものにならぬぐらい期待の方が大きいが、不安もある。4月の宿泊訓練では見事なホームシックにかかってしまったのだ。これに比べれば2005年にあった私の中国出張はたったの10日だった。4週間の英国滞在は魅力的な反面不安もある。2週間に及ぶホームステイでは、ホームステイ先にクラスメイトと2人でお邪魔して毎日通学する。

準備は2週間前から進めていた。向こうで洗濯が出来るので、衣類は最小でよい。それでも大きなスーツケースがいっぱいになる。梱包は本人がやった。

祖母は、今日から無事の帰国を祈って「コーヒー断ち」に入った。「あの子が苦労するなら私も」といって大好きなコーヒーを4週間飲まない決意だ。今までも時々やっていたが、今回は気合いが入っている。

私も見習おうと思う。一番好きなモノを断つとなると結論は見えている。6月15日の帰国の日までブラームスの作品を聴かないことにする。言わば「ブラームス断ち」である。ブログの更新には影響が無いが、28日間ブラームスを聴かずに過ごすのだ。

ブラームスのご加護を!!

2007年5月18日 (金)

古楽器

古楽器の厳密な定義など私の手には余る。大雑把な意識としてはバロック期の楽器のこと。あるいは、量産楽器出現以前の楽器のことかもしれない。

昨今古楽器による演奏が隆盛している。クラシック音楽とは別世界を形成している感じさえする。作品が作曲された「当時の楽器」で演奏するという考証主義的な側面も色濃く感じ取れる。留意しておかねばならないのは作曲された当時の楽器といっても、製法材質を忠実に再現したレプリカであることが多い。弦楽器で言えば弦などの消耗品は当時のものではあり得ないだろう。極端な話、誤った時代考証に基づいた「誤った古楽器」も理論上は存在し得る。

そうした楽器を用いて厳密に考証された「当時の奏法」が採用される。アーティキュレーション、ヴィブラート等の解釈に至るまで考証される。

古楽器の演奏会で「当時の再現」が施される範囲には、何か決まりがあるのだろうか?全部が全部作曲当時のものかというと実はそうでもない。楽譜は当時の楽譜ということはない。作曲当時あったハズもない複写機を使った楽譜も使われているかもしれない。もちろんホールも現代のホールだ。指揮者を含めた演奏家たちも断るまでもなく現代人である。断るまでもないと言えば聴衆も現代人である。演奏会での曲目やその配列、あるいは休憩時間の入れ方、ポスターも現代のセンスの反映であることが多い。もちろん入場料も現代の水準である。厳密な時代考証から楽器はレプリカを用い、解釈と奏法も考証結果に基づき当時のものを採用して、現代のホールで現代人が、現代人に現代の料金水準で聴かせる演奏会という姿がおぼろげに浮かび上がる。もちろん録音されてCDが発売されるというのも現代の風習にのっとっている。音楽は録音などされずに発するそばから消えてしまうことが当たり前の時代の音楽でさえ録音される。録音用のマイクが設置されるという一点については、「当時の再現」とは呼べない。

このあたりの定義がありそうでない。あるいはあるなら知りたい。

定義と言えば対象とする作曲家はいったい誰あたりまでなんだろう。楽器というものは常に進歩している。進歩の幅は小さくても常にである。厳密に言えばマーラーの時代と現代を比べたとしても進歩しているのだろう。けれどもマーラーの作品を作曲当時の楽器で演奏するというコンセプトは現実的ではない。

はたして作曲家は将来の楽器の進歩をどのように考えていたのだろう。進歩したなりの楽器を用いて演奏する時点での解釈で演奏されることを許容したのか、自分が作曲した当時の楽器、奏法、解釈で演奏されることを望んでいたのか、はたまた無頓着だったのか大変に興味深い。

ブラームスはピアノに関しては、楽器の最新のメカニズムを利用することをためらわなかったと言われている。一方ホルンやトランペットでは最新のメカには距離を置く立場だった。制約を背負いながら音質を取るような節がある。弦楽器とて弦の材質・加工技術・張力などブラームスの当時とは様変わりである。

ブラームスに折り入って訊いてみたいことの一つである。

2007年5月17日 (木)

伊能忠敬

私が日本の歴史上の人物で最も好きな人物だ。1818年5月17日(陰暦4月13日)に世を去っているから、ブラームスとは生きた時代がかぶっていない。

彼の業績はあまりに有名で既に多くが語られているので繰り返さない。本日はブログ「ブラームスの辞書」名物無理矢理関連ネタである。

伊能忠敬が残した日本地図「大日本沿海與地全図」は、正確さと美しさにおいて比類がない。北に行くほど現代の正確な地図とのズレが起きているが、これは伊能忠敬が地球を完全な球体であるという前提に立ったことに起因するものだ。このことは彼の業績を貶めるどころか、かえってその正確さをアピールするのに役立っている。

だからとりわけ外国人は心の底からこれを手に入れたいと願う。一方幕府はこれを国防上の秘密として国外持ち出しを禁じていた。1828年シーボルト事件はこうした背景の元で起きた。シーボルトが帰国する際に乗った船が暴風で遭難して稲佐の浜に流れ着いた。積み荷の中にご禁制品の「大日本沿海與地全図」が発見されたというスキャンダルである。一方の当事者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは1796年生まれのドイツの医者ということになっているが、守備範囲は相当に広い。

この人の従兄弟の子供にあたるのが、アガーテ・フォン・シーボルトその人である。ブラームスの伝記であれば触れずにすますことの出来ない女性である。ブラームスの人生の中で肉親を除けば女性としてはおそらくクララ・シューマンに次ぐ位置づけだと思われる。何しろ婚約者だったのだ。

日本一尊敬する人と、世界一尊敬する人にわずかな接点があったというお話である。

2007年5月16日 (水)

ほとんど無音

2005年7月5日の記事「ダイナミクスレンジ」とあわせてご覧頂きたい。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2005/07/post_96d4.html

ホルン三重奏曲第3楽章43小節目のヴァイオリンに「ppp quasi niente」と記されている。「niente」は「無」だ。「quasi」はほとんどなので「ほとんど無音で」となる。いやはや何とも嬉しい指定である。ギネスブック的に申せば、休符を除くブラームス史上最弱音と言える。そもそもホルン三重奏曲は用語使用面で特色が多いが本件はその最たるものである。

この場所はいわゆる主題再現部にあたる。ピアノは紛れもなく冒頭主題を再現しているがヴァイオリンはその先のホルンの主題を先取りする構造になっている。第1主題と第2主題が実は対位法的に統合し得るというさりげない仄めかしだ。だから第1主題が再帰する場所で、ほとんど無音に近い音量でかぶさるようにと意図されている。

音を出すという行為は本来積極的な行為であり、何らかのエネルギーの発露なのに、それをほとんど無音でと言うのはご無体な話には違いない。そうした無理難題ぶりも鑑賞の対象である。

2007年5月15日 (火)

発表会の曲目

娘たちの4回目のヴァイオリン発表会が5月3日に終わったことは既に述べた。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_c4a7.html

ピアノとヴァイオリンの生徒さんの合同発表会だ。1回の発表会でピアノとヴァイオリン合計で大小取り混ぜて30曲少々の作品が演奏される。最後の数曲は毎回先生方の模範演奏だ。

全4回のプログラムが保存してある。延べ124曲演奏されているが、ブラームスは1曲も無い。124曲中の最大勢力はショパンだ。ヴァイオリン側にショパンはもちろん1曲も無い。124曲中77曲を占めるピアノの3割がショパンだ。第2位はベートーヴェンだが11回に過ぎない。4回124曲が演奏されながらブラームスは1曲も登場しないのだ。世の中こんなものなのだろうか。子供たちの演奏はもちろん、先生方の模範演奏にも登場しないのだ。

Jリーグやプロ野球の球団経営に携わる人たちは、子供を大切にする。子煩悩なのでもないし、チャリティーでもない。れっきとしたマーケティング上の根拠がある。スタジアムを訪れた子供を退屈させないことだ。ヒーローたちのスーパープレーを子供たちに見せることで、子供たちは自分も選手になりたいと思う。実際にプロとしてやっていける者は少数だが、夢破れてもやがてその子達が成長して子供を連れてスタジアムにやってくるファン(サポーター)になる。選手入場で子供と手を繋いで来たり、始球式で投げさせたり、ボールをサービスしたりあの手この手を考える。

もしもブラームス業界というものがあり、そこの繁栄をミッションとするゼネラルマネージャーがいたら、子供たちの発表会におけるブラームス日照りを深刻に受け止めるだろう。小学生中学生が、教師に向かって自分から「ブラームス弾きたい」と申し出る光景は想像しにくい。選曲はかなりの部分教師が介入していると思われる。生徒の技量、意欲、年齢にあわせて、ベストな選択をした結果なのだとは思うが、ブラームスゼロは寂しい。「ブラームスは難しいから」「ブラームスは子供向けでないから」という理由で最初から候補曲のリストに入ってないというのが実態かもしれない。待って欲しい。そういう理由から今一度先入観を取り去って、作品だけを見つめて考え直して欲しいものだ。

「ブラームスをブラームスらしく弾けるかどうか」は「ブラームスが好きかどうか」にかかっていると思う。子供に弾かせないのでは、嫌いになることもない代わりに、好きになるチャンスもない。小学生なりのブラームスはあり得るのだと思うが、結果として横たわる現実を見れば、こう考えるのはどうやら少数派だということが判る。10代で初めてブラームスに接した子供が、同じ曲を20代30代40代と演奏経験を重ねてゆくと、感じ方の違いに驚くはずだ。そして必ず得るものがあるはずだ。

何も「魔女の変奏曲」やインテルメッツォ、あるいは協奏曲を完璧に弾けと申しているのではない。たとえばハンガリア舞曲やワルツの中に小中学生が挑戦可能な曲は必ずあると思う。 

2007年5月14日 (月)

空席状況

「ブラームスの辞書」の注文をいただく際に、お好きな作品を3つお尋ねしていた。

「ブラームスの辞書」は300という小部数を逆手にとって、1冊1冊に通し番号を打っているから、122までの番号はブラームス作品と図らずも紐付けされることになる。どうせなら好みの作品の番号を背負った逸品を手許におきたいというマニア心をくすぐるしかけである。

ところが、刊行から丸2年が近づいて、管弦楽室内楽のメジャーな作品の番号はほぼ出払ってしまった。せっかく3つ書いていただいても、全部アウトということが多くなってしまった。それどころか次善の3つを選んでいただいてもなお、全部アウトという状況も珍しくない。やりとりをする時間がもったいないので、ブログ上に空き番号を掲載し、その目的専用にカテゴリー「66 空席状況」を新設することにした。今後「ブラームスの辞書」が私の手許から離れる度にこの記事を更新するから、常に最新状況が表示されることになる。

緑文字が空き番号で、赤文字が売切れである。

<2014年7月12日現在>

  • 001 ピアノソナタ第1番
  • 002 ピアノソナタ第2番
  • 003 6つの歌曲 愛の誠etc
  • 004 スケルツォ
  • 005 ピアノソナタ第3番
  • 006 6つの歌曲
  • 007 6つの歌曲
  • 008 ピアノ三重奏曲第1番
  • 009 シューマンの主題による変奏曲
  • 010 4つのバラード
  • 011 管弦楽のためのセレナーデ第1番
  • 012 アヴェマリア
  • 013  埋葬の歌
  • 014  8つのリートとロマンス
  • 015 ピアノ協奏曲第1番
  • 016 管弦楽のためのセレナーデ第2番
  • 017 女声合唱のための4つの歌(ホルンとハープの伴奏つき)
  • 018 弦楽六重奏曲第1番
  • 019 5つの歌 「エーオルスのハープに寄せて」etc
  • 020 3つの二重唱曲
  • 021 自作の主題による変奏曲 ハンガリーの主題による変奏曲
  • 022 7つのマリアの歌
  • 023 シューマンの主題による変奏曲
  • 024 ヘンデルの主題による変奏曲
  • 025 ピアノ四重奏曲第1番
  • 026 ピアノ四重奏曲第2番
  • 027 詩篇第13番
  • 028 4つの二重唱曲
  • 029 2つのモテット
  • 030 教会歌
  • 030 3つの四重唱
  • 032 9つの歌曲 「いかにおわすかわが女王」etc
  • 033 ティークのマゲローネのロマンス
  • 034 ピアノ五重奏曲
  • 035 パガニーニの主題による変奏曲
  • 036 弦楽六重奏曲第2番
  • 037 3つの宗教的合唱曲
  • 038 チェロソナタ第1番
  • 039 16のワルツ
  • 040 ホルン三重奏曲
  • 041 5つの歌
  • 042 3つの歌
  • 043 4つの歌曲 「永遠の愛」「五月の夜」etc
  • 044 12の歌とロマンス
  • 045 ドイツレクイエム
  • 046 4つの歌
  • 047 5つの歌「ことづて」「日曜日」etc
  • 048 7つの歌 「あの娘のもとへ」etc
  • 049 5つの歌 「子守唄」etc
  • 050 カンタータ「リナルド」
  • 051 弦楽四重奏曲第1番、第2番
  • 052 愛の歌
  • 053 アルトラプソディ
  • 054 運命の歌
  • 055 勝利の歌
  • 056 ハイドンの主題による変奏曲
  • 057 8つの歌 「風もそよがね和やかな大気」
  • 058 8つの歌
  • 059 8つの歌 「雨の歌」「おまえの青い瞳」
  • 060 ピアノ四重奏曲第3番
  • 061 4つの二重唱曲
  • 062 7つの歌
  • 063 9つの歌 「我が恋は緑」
  • 064 3つの四重唱曲
  • 065 新・愛の歌
  • 066 5つの二重唱曲
  • 067 弦楽四重奏曲第3番
  • 068 交響曲第1番
  • 069 9つの歌 
  • 070 4つの歌 「ひばり」etc
  • 071 4つの歌 「秘め事」etc
  • 072 5つの歌 「古き恋」etc
  • 073 交響曲第2番
  • 074 2つのモテット
  • 075 バラードとロマンス
  • 076 8つのピアノ小品
  • 077 ヴァイオリン協奏曲
  • 078 ヴァイオリンソナタ第1番
  • 079 2つのラプソディー
  • 080 大学祝典序曲
  • 081 悲劇的序曲
  • 082 ネーニエ
  • 083 ピアノ協奏曲第2番
  • 084 5つのロマンスと歌 「甲斐なきセレナーデ」他
  • 085  6つの歌 「夏の宵」「森のしじま」etc
  • 086 6つの詩 「テレーゼ」「野にひとりいて」
  • 087 ピアノ三重奏曲第2番
  • 088 弦楽五重奏曲第1番
  • 089 運命の女神の歌
  • 090 交響曲第3番
  • 091 アルトとヴィオラのための二つの歌
  • 092  4つの四重唱
  • 093 6つの歌とロマンス、食卓の歌
  • 094 5つの歌 「サッフォー頌歌」etc
  • 095 7つの歌 
  • 096 4つの歌 
  • 097 6つの歌
  • 098 交響曲第4番
  • 099 チェロソナタ第2番
  • 100 ヴァイオリンソナタ第2番
  • 101 ピアノ三重奏曲第3番
  • 102 ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
  • 103 ジプシーの歌
  • 104 5つの歌
  • 105 5つの歌「調べのように」「まどろみはいよいよ浅く」
  • 106 5つの歌 「セレナーデ」
  • 107 5つの歌 
  • 108 ヴァイオリンソナタ第3番
  • 109 祝辞と格言
  • 110 3つのモテット
  • 111 弦楽五重奏曲第2番
  • 112 6つの四重唱曲
  • 113 13のカノン
  • 114 クラリネット三重奏曲
  • 115 クラリネット五重奏曲
  • 116 ピアノのための7つの幻想曲
  • 117 ピアノのための3つのインテツメッツォ
  • 118 ピアノのための6つの小品
  • 119 ピアノのための4つの小品
  • 120 クラリネットソナタ
  • 121 4つの厳粛な歌
  • 122 オルガンのための11のコラール前奏曲  

123番以降は、空き番号のみを記載する。

  • 158~173
  • 175~176
  • 232~247
  • 249
  • 251~263
  • 265~275
  • 278
  • 280~297

2007年5月13日 (日)

掛け合い

「異なる声部間の楽節受け渡し」とでも定義しておく。1つの旋律を複数のパートが時間差で受け持つことにによって完成させている場合も含むと思われる一方、2つのパート間で複数の旋律が同時に進行する場合や、片方が明らかに伴奏という場合には「掛け合い」とは言わない。楽節解釈上、後から続く旋律が、先行する旋律の解答と目される場合もこれに含まれる。無論ピアノでは、右手と左手の掛け合いということも頻繁に起きる。4月17日の記事で言及した「エコー」も「掛け合い」の一種と見ることが出来る。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_fbce.html

関西系お笑いの主たるジャンルである漫才の本質はこの「掛け合い」だと思う。コミック「のだめカンタービレ」ではアンサンブルに行き詰まった焼きトリオが、ハリセンこと江藤先生仕込みの関西系のノリで問題を解消する場面がある。コミック「のだめカンタービレ」第14巻135ページ付近だ。漫才における「掛け合い」の極意が室内楽と共通することが、図らずも象徴されている。「テンポ」「タイミング」「間」が掛け合いの本質だと感じる。漫才には室内楽と共通する部分があるのかもしれない。

室内楽の大家ブラームスの作品は、この「掛け合い」に溢れている。大管弦楽の中でも、複数のパート間の繊細な掛け合いをちりばめることを称して、一部の批評家から「室内楽的」と攻撃された。

さすがに「ブラームスの辞書」でも掛け合いの数をカウントするには至っていないが、ぱっと思いつく場面が第3交響曲にある。4分の9拍子に転じる第一楽章第二主題だ。小節の冒頭に置かれたコントラバスのピチカートは、続く木管楽器の第二主題と掛け合いになっていると思う。掛け合いの片側コントラバスは、ピチカート1発だけであるが、紛れもない立派な掛け合いだと感じている。コントラバスの側は続く木管楽器奏者に「どうぞ」とばかりに弦を弾く。受ける木管楽器の方は、旋律に心をこめようとすればするほど、コントラバスのピチカートに深く耳を傾けることになる。指揮者の介在を拒否するかのような、演奏者どうしの聴き合い、生かし合いが求められている。

このやりとりを称して「室内楽的」と攻撃されるならブラームスも本望だろう。

2007年5月12日 (土)

敵に塩を送る

戦国時代。甲斐の国今の山梨県の武田信玄は塩の供給を他国に依存していた。海が無い内陸国としては致し方ない。駿河の今川や相模の北条は、ある時甲斐の国への塩の販売を禁じた。これを見た越後の上杉謙信が甲斐に塩を送ったという故事にちなむ。ライバルを助けるという行為のことを指す。

今風に申せば、今川・北条の禁輸により甲斐の国で塩の値段が上がるのを見越した単なる商売上手という見方もあろう。しかしこの話は謙信の義理堅さや男気を強調するニュアンスで語られることが多い。謙信はライバルだった武田信玄や北条氏康からもその義理堅さを激賞されている。信玄に至っては、息子の勝頼に「いざとなったら謙信を頼れ」とまで言っているらしい。日ごろの行いがいいから、単なる商売上手の話が、美談として後世に伝わるのだ。

謙信のストイックさ、義理堅さは何だかブラームスっぽいのだ。生涯独身以外でも何だか似ている気がする。養子の景勝といい、宰相・直江兼続といい上杉氏の周辺には、剛毅と実直をバランス良く備えた人材が多い。

長女のバドミントンが2年目に入った。ヴァイオリンのライバルだというのに娘の願いに応じて2本目のラケットを買ってやった。ラケットに張るガットにもこだわりが出る。弦楽器と同様にストリングスと呼ばれて機能性能によって数種類が用意されている。打感、打音、耐久性など性能が微妙に違う上に、どの程度の張力で張るかによっても使い勝手が変わるらしい。弦楽器そっくりである。さらに弦楽器に無い特徴として色がある。1年坊主だった時は、白一色という禁欲を貫いたが、2年になると色つきが許されるということなのだ。

2万円で2千円お釣りが来ない。

敵に塩を送ったようなものだ。ヴァイオリン対バドミントンの小競り合いが続くが、バドミントン側に対する経済制裁は逆効果だ。ここは太っ腹なところを見せねばならない。

2007年5月11日 (金)

ブラームスに捧ぐ

著書「ブラームスの辞書」には通し番号を付与している。これによって一冊一冊に妙な個性が宿ってしまうから不思議である。コレクターの心理をくすぐる側面は無視出来ない。

よく考えると不思議だった。私は「ブラームスの辞書」をいろいろな人に販売したり提供したりしてきた。読むはずもない母や子供たちにも一冊ずつ良い番号を背負わせてあてがったし、亡き妻の分も販売用の在庫と分けている。それなのにブラームス本人の分を設定していなかった。

この程「ブラームスの辞書」1冊をブラームスに捧げることにする。どこかにブラームスのご遺族でもおられればお送りするのだが、天涯孤独のブラームスには子孫もおるまい。既に私の手許を離れた「ブラームスの辞書」に与えた番号以外の番号の中から適当な番号を選ぶことにした。

幸いうってつけの番号がまだ残っていた。op122である。ブラームス最大の作品番号だ。「オルガンのための11のコラール前奏曲」である。出版された作品としては最後の作品という位置付けが大変好ましい。「ブラームスの辞書」の表紙をめくって現れる本扉にはこの作品122の11曲のうちの10番の自筆譜がレイアウトされている。亡き妻の分がop123で、私がop124だから順番もピッタリだ。

「ブラームスの辞書」opus122を遅ればせながらブラームスに捧げることとする。本日をもって販売用の在庫から落とす。天国分として父の分、妻の分と共に我が家の仏壇の下の引き出しに保管することにした。

2007年5月10日 (木)

禁断のエチュード

ブラームスが作曲した「ピアノのための51の練習曲」は、単調な音形の繰り返しの中から、指の拡張や脱力を習得出来る上に、ブラームスの香りさえ満喫できるという代物である。しかもその効果は絶大だという。

良いことずくめのエチュードかというとそうでもない。取り扱いを誤ると手を故障しかねないという、物騒な副作用もあると一部で言われている。ピアノ教師の処方箋無しでは危なくて迂闊に手が出せないのだ。生徒の能力や意欲等慎重に考慮して適量を適切なタイミングでというのがいいらしい。

何でも「パガニーニの主題による変奏曲」を習得するためのエチュードだという話もある。自作最高難易度の曲について「こうしたら弾けますよ」というエチュードを書いてしまうというのは何たるサービス精神だろう。裏を返せば「パガニーニの主題による変奏曲」は、身体を壊しかねないような訓練をしなければ弾けないということなのだ。

クララ・シューマンが「魔女の変奏曲」と称したのは、このあたりの事情を考慮してのことかもしれない。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_5220.html

2007年5月 9日 (水)

フェイント

昨年の5月7日、つまりブラームスの誕生日には大型イベントネタを公開した。「三色対抗歌合戦」である。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/05/post_dc29.html

今思い出しても楽しい企画だった。いまだにそれを聴いている。すっかり味をしめてしまって、さらにその流れが加速した。昨年のクリスマスは「テネラメンテクリスマス」、今年の元日は「ブラームスいろはガルタ」だった。3月3日には「ブラームス雛」を公開した。季節の節目や、記念日には大型おバカ企画という流れが定着したかに見える。ところが今年の5月7日つまり一昨日の記事は、その流れを逆手に取ったフェイント企画だった。名付けて「補遺ドイツ語編」である。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_035c.html

さすがの私も地味だと思う。「誕生日に民謡ネタぁ?」と言われそうだ。書くのは大変だったがこれは罪滅ぼし代わりのガチンコ記事である。連休に取り組んだブラダスへの取り込みの成果だ。バカ騒ぎだけではないことをブラームスに示さねばならない。

そう、じっくり祝う誕生日もあっていい。ブログ「ブラームスの辞書」は、長期戦に入ったのだ。ブラスマスは今日だけではない。来年も再来年もやってくるのだ。この手の肩透かしも取り混ぜて、骨太のブラームスネタを発信し続けたい。

「ますます目が離せない」と思われたい。

2007年5月 8日 (火)

生誕1000年

昨年はモーツアルトの生誕250周年だった。ブラームスで言うと今年が生誕174周年ということになる。2033年にやってくるブラームス生誕200周年も、私自身が73歳になって迎えることが出来るかどうかは別として、それ相応の規模で祝賀されることは間違いない。こればかりは、さすがのと鬼も嗤わぬ思われる。

実際の話、生誕1000年になっても祝ってもらえることを断言したいくらいだ。ブラームスの生誕1000年をみんなが祝うかどうかより、人類の存続をより深刻に心配すべきだ。人類がそこまで命脈を保ち、音楽にうつつを抜かす余裕がありさえすれば、ブラームスの生誕1000周年は、確実に盛り上がる。

いつも私の記事を嗤ってくれる鬼も今日ばかりは静かだ。

2007年5月 7日 (月)

補遺ドイツ語編

「補遺」

辞書には「漏らし残した事柄を後から補うこと」とある。後から補うようなことが無いように、最初から準備を怠ってはならぬのだが、やむを得ぬ事情でそうする場合がある。恥ずかしながら「ブラームスの辞書」にも大挙して発生してしまった。

連休前に宣言した通り、ドイツ民謡やハンガリー舞曲をブラダスに取り込んだ。結果「ブラームスの辞書」に収録されていない楽語が約40種あることがわかった。「ブラームスの辞書」は作品番号付きの作品を対象としていたことが大きな原因だ。「ブラームスの辞書」総見出し数の約3%に相当する。

ハンガリア舞曲は18番冒頭の「Molto Vivace」だけだが、ドイツ民謡は目を覆うばかりである。総量を400ページに収めるためとはいえ、作品番号付きの作品だけに対象を絞ったところが既に誤りである。「民謡なめてンじゃないですよ」とブラームスに言われそうである。罪滅ぼしにその全てを以下に列挙する。赤文字はおおよその意味を示し、所在する作品を緑文字で書き添えた。

  1. Anmutig 優雅な WoO33-3
  2. Anmutig bewegt 優雅に動いて WoO33-16
  3. Bewegt und mit herzlechem Ausdruck 生き生きと心からの表情とともに WoO33-18 
  4. Bewegt und mit starker Empfindung 生き生きと力強い気分で WoO32-16、WoO33-17
  5. Bewegt und zehr warm 生き生きと、非常に暖かく WoO33-19
  6. Drangend,doch nicht zu schnell 切迫して、しかし速過ぎずに WoO33-4、WoO33-26
  7. Frisch und frohlich いきいきと楽しげに WoO33-32
  8. Gehalten und empfundungsvoll 音を保って感情豊かに WoO33-05
  9. Gehalten und dem Gedicht angemessen erzahlend 詩を語るように WoO33-21、WoO32-23
  10. Gehend und mit herzlichem Ausdruck 程よくゆっくりと心をこめて WoO33-35
  11. Gehend und mit lebhaftem Ausdruck 程よくゆっくりといきいきとした表情で WoO33-39
  12. Heimlich und in ruhigem Zeitmass 密やかに、落ち着いたテンポで WoO32-06
  13. Heimlich und in ruhiger Zeitmass 密やかに、落ち着いたテンポで  WoO33-23
  14. Heimlich und zierlich bewegt 密やかに愛らしく動いて WoO33-12、WoO33-19
  15. Hell und feurig 明るく、情熱的に WoO32-12
  16. Hell und lebhaft 明るくいきいきと WoO33-20
  17. Herzlich und warm erzahlend 心を込めて、暖かく語りかけるように WoO33-09
  18. Im ruhigen Zeitmass und teilnehmend erzahlt 穏やかなテンポで、思いやりをもって WoO33-7、WoO32-10
  19. Im ruhiger Bewegung 穏やかなテンポで WoO33-10、WoO32-24 
  20. In sanfter Bewegung,nicht zu langsam くつろいだテンポで遅すぎずに WoO32-2
  21. Kraftig und ziemlich lebhaft 力強く、非常にいきいきと WoO33-37
  22. Lebhaft und hell いきいきと明るく WoO33-22
  23. Lebhaft und herzlich いきいきと心をこめて WoO33-30
  24. Lebhaft und mit laune いきいきと陽気に WoO32-20、WoO33-33
  25. Lebhaft und mit warmen Ausdruck いきいきと暖かな表情で WoO33-26
  26. Lebhaft und schauerlich きびきびと恐ろしげに WoO33-28、WoO32-28
  27. Lebhaft,doch nicht zu rasch いきいきとしかし速過ぎずに WoO33-36
  28. Lebhaft,doch zart いきいきとしかし優しく WoO33-11
  29. Massig bewegt und ausdrucksvoll 適度なテンポで表情豊かに WoO33-24
  30. Mit guter laune 上機嫌で WoO33-8
  31. Mit krafter Leidenschaft 力強く情熱的に WoO33-13
  32. Nicht zu langsam und mit inniger Teilnahme 遅すぎずに、心からの思いやりをもって WoO33-15
  33. Nicht zu langsam,erregt 遅すぎずに、興奮して WoO33-38
  34. Ruhig und erzahlendem Ton  穏やかに語るような調子で WoO33-29、WoO32-5  
  35. Ruhig und erzalichend  穏やかに語るように WoO33-14、WoO33-22
  36. Sehr lebhaft,herzlich und ungeduldig 非常にいきいきと、切迫して WoO33-25
  37. Unruhig bewegt und heimlich 落ち着き無く動いて密やかに WoO33-40
  38. Zart und ausdrucksvoll 優しく表情豊かに WoO33-41
  39. Zartlich und lebhaft 優しくいきいきと WoO33-1
  40. Zierlich und lebhaft 愛らしくいきいきと WoO32-13、WoO33-31

ブラームス先生へのお詫び満載の誕生日プレゼントだ。

174回目の誕生日おめでとう。

2007年5月 6日 (日)

酒宴一席記事六本

学生時代のオーケストラの仲間と去る3月28日に酒を飲んだ。メンバーはブログで何度か言及しているプロのオーボエ吹きと、プロの物書きそして私だった。時を忘れて語らった中に、ブログ記事のヒントが充満していた。あの夜の語らいがきっかけで生まれた記事が既に6本に達している。

①3月29日「事故調査委員会」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_8fe2.html

②3月31日「同期の桜」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/03/post_1fbe.html

③4月11日「いつか来た道」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_f8ca.html

④4月14日「ブラ1の中の春」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_1d84.html

⑤4月21日「メゾピアノの集計」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_2575.html

⑥4月25日「オーボエの至福」

  http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_d037.html  

この他に4月8日「セレナーデ室内楽バージョン」や4月16日「クラリネットコネクション」も若干関係がある。プロの音楽家に物書きというメンツは刺激的である。古い仲間という気安さも手伝って、脳味噌が活性化するものと思われる。酒を飲みながらの語らいの中の一瞬一瞬にネタが詰まっていた。とはいえ酔っ払いが、勢いに任せて繰り出す戯言だから、いきなりブログの記事の形で飛び出すわけではない。記事にするには形を整える必要がある。元々こっちは酔いが全身に回りながらも、記事のネタがありはしないかとアンテナを上げまくっているから、会話の端々で反応する。もちろんその都度「それ記事にいただき」などは宣言しない。心の中で「ごっつぁん」とほくそえんでいる。メモを取りながら飲んでいたらもっと増えたと思う。

何気ないやりとりが脳味噌の中で記事に形を変える。この作業は既に飲んで帰る電車の中で始まっていた。嘘は当然いけないが、誇張と省略はOKである。というよりその誇張振りと省略振りがテクの見せ所だったりする。しかもそれでいて、読み手に「策を弄した」と感じさせずに済ますのが理想である。このあたりの呼吸はとても難しいが、ブラームスの作品中に理想的な例が転がっている。「テクを使ったな」と悟られるのはテクが未熟な証拠なのだ。

この手の宴席のお声がかかればどこにでもホイホイ参りますという感じだ。

2007年5月 5日 (土)

決意

一昨日発表会があった。

http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_c4a7.html

その日のうちにということで夜になって長女を呼んで話をした。これからヴァイオリンをどうするかだ。これ以上ヴァイオリンに意欲が湧かないなら、パパはもう引き止めない旨を伝えた。断じて説教ではない。わずか5分ほどの穏やかな会話だった。この先発表会に持ってゆける曲の難易度が上がって行くのは見えている。いや上げてもらわねば困る。「パパにやらされている」という逃げ場所をあてにしているようなヴァイオリンでは音楽に失礼だ。というようなことをゆっくりと噛んで含めるように伝えた。もうやめてもいい。もちろん「今までありがとう」と付け加えるのを忘れなかった。

即答は求めなかった。次回のレッスン5月20日までに心を固めるよう約束した。

昨夜遅く、長女から回答期限を待たずに返事があった。

長女)私ヴァイオリンやる。

パパ)・・・・・・・。

長女)やっぱりやめない。

パパ)部活も受験もあるぞ。

長女)出来る。

パパ)やりゃあいいってモンじゃないぞ。やる以上キチンと弾かなきゃ。

長女)大丈夫。

パパ)何故やることにしたの?

長女)今日昔の発表会のビデオ観てて、やっぱりやりたいと思った。

発表会の後、ビデオを、観るのは恒例のしきたりだった。

パパ)20日のレッスンで先生にその気持ちを自分の言葉で伝えられるか?

長女)わかった。

パパ)じゃあ一緒に先生にお願いしよう。

私の通告も5分なら、娘の回答も5分だった。跳ね返ったところ、とがったところの全く無い穏やかな表情そして言葉遣いだった。中学2年の女子としては上出来の言葉だ。心からの言葉であることはすぐにわかった。私はなんとか踏みとどまったが長女は泣いていたと思う。

一昨日の私からの通告に、はったりは一切なかった。イチかバチかの賭けでさえなかった。本気で「やめても仕方がない」と思っていた。次女が道連れで止めない算段だけは考えていたが、長女の反応は全く予想外だった。実は回答待ちのため昨日の練習は次女だけだったが、今日何事もなかったように長女も練習を再開した。セブシック、カイザー、音階教本だ。次回のレッスンで我が家の決意を先生にお伝えした上で、次の発表会までの道筋を確認しなければならない。

ブラームスのご加護がありますように。

2007年5月 4日 (金)

譜読み

作品演奏の準備の諸段階のうちの一つと位置付け得る。楽譜を楽音に転写する際の自分なりの方針を楽譜を追いながら確認し定着して行く作業。多くは個人練習の中で行われる。「譜読みが速い」「譜読みが甘い」「譜読みが得意」などという使われ方をする。暗譜に到達する長い道のりの第一歩である。演奏家本人の音楽体験を総動員して行われるべきだと考えている。

弦楽器奏者で言うなら、音の高さの確認、ポジション、フィンガリング、弓の返し、弓の使い場所、弓の使う量、音色、アーティキュレーション、テンポ感などを確定させておくことを意味する。ピアニストならばペダリング、声楽家ならばブレスや歌詞の理解は、はずせぬところだろう。当然のことながら楽譜上の音楽用語全ての意味を知っておくことまでもが譜読みの中に含まれる。演奏上の難所や、聴かせどころをあらかじめ把握しておくという側面も小さくない。作曲家が楽譜上に置いた音楽用語の多くは、この譜読みの作業の際にもっとも意味を持つと感じている。

ブラームスの作品において、この譜読みは際限がない。演奏することと同等の喜びを譜読みが与えてくれる。

実を言うと私の著書「ブラームスの辞書」は、演奏者にとっての「譜読みの友」になることを夢見て執筆したと申し上げても過言ではない。

最悪音を出さずとも出来てしまうところが「譜読み」の長所だ。夜中でも家族や近所に迷惑がかからない。音さえ出さねばこっちのものだ。音程不安や、指回し不安もどこ吹く風である。せめて譜読みくらいは世界一を目指したいものだ。

2007年5月 3日 (木)

ヴァイオリン発表会

絶好の行楽日和の一日を丸々つぶして娘らのヴァイオリン発表会が無事終わった。止まらなかったという意味だ。

6年半の歳月を感じた。初めての発表会の頃、娘らの出番ははじめの方だった。年齢順の演奏だからだ。ところが今回年下の子ばかりになってしまった。長女はヴァイオリンの中ではトリだった。

絶対的な到達度を度外視するなら、演奏の出来としては過去最高だった。2人ともが過去最高の出来だったのは今回が初めてだ。発表会の本番で過去最高の演奏が出来たこと自体を素直に喜ばねばなるまい。

娘らに詫びねばならぬことがある。約半年をかけて取り組んだ発表会の曲はバッハとベリオだったが、共に歩んだ私の気合に差があったことだ。そしてそれが演奏の差に現われてしまったことともどもに娘ら特にベリオを弾いた長女に詫びねばならない。

次女のバッハは上出来だ。泣いただけのことはある。取り組みを始めた当初は想像出来なかったくらい、流れる演奏だった。メリハリがもっと欲しい等の欲を言えばキリがない。誉めてやれる領域にいる。最後の2週間、毎日2回は一緒に通して弾いた。練習の最初に通す。見つかった課題を修正して最後にまた通す。これが2週間続いたのだ。暗譜不安だけは完全に解消できた。彼女のレベルなりの気迫溢れるバッハだった。

問題は長女だ。小学校低学年までなら誉められもするだろうが、ヴァイオリン歴6年半の中学生が、発表会に持って行く演奏としては少し物足りない。う~んと悪く言うと単なる指と腕の体操だ。音楽ではない。この半年間自問していたことが、現実として目の前に突きつけられた。発表会に出た意欲だけは買えるが煮詰めが足りていない。冒頭に述べたとおり私の打ち込み度も影響している。

最大の原因はわかっている。「父にやらされているヴァイオリン」という意識が抜けない限り、演奏の内容がこれ以上向上することはない。音の出し方一つにまでそうした意識が反映してしまう。音楽が好きにならなければ越えることの出来ない壁だ。そのハードルのこちら側としては、精一杯の演奏だったと思う。前回のヴィヴァルディに次いで、ロマン派の曲を学ぶ意図が消化出来たとは言い難い。

この先どうするのだ。興味が湧かないとなると手の打ちようがない。反抗期まっただ中の娘が、ヴァイオリンを続けているだけでも奇跡だという見方がある一方で、このままでは音楽の神様に申し訳がないとも言える。

思案のしどころである。話し合いのしどころである。

2007年5月 2日 (水)

変奏曲

こんな言葉の定義など私の能力では重荷でしかないと開き直ってブラームスの変奏曲作品をひたすら羅列することにする。

  1. ピアノソナタ第2番op2第2楽章
  2. シューマンの主題による変奏曲 op9
  3. 弦楽六重奏曲第1番op18第2楽章 最終部分で冒頭主題がそのまま回帰。
  4. 自作の主題による変奏曲 op21-1
  5. ハンガリーの歌による変奏曲 op21-2
  6. シューマンの主題による変奏曲 op23
  7. ヘンデルの主題による変奏曲 op24
  8. パガニーニの主題による変奏曲 op35(魔女の変奏曲)
  9. 弦楽六重奏曲第2番op36第3楽章
  10. ハイドンの主題による変奏曲 op56
  11. 弦楽四重奏曲第3番op67第4楽章 最終部分で第一楽章主題が丸ごと回帰。
  12. ピアノ三重奏曲第2番op87第2楽章
  13. 交響曲第4番op98第4楽章
  14. 弦楽五重奏曲第2番op111第2楽章 
  15. クラリネット五重奏曲op115第4楽章 最終部分で第一楽章主題が丸ごと回帰。
  16. クラリネットソナタ第2番op120-2第3楽章 緩徐楽章とフィナーレを兼務。

上記の通りだ。「変奏の技法を使っただけ」というならもちろんこの程度の数では済まなくなる。

時代が下るに従って独立の変奏曲が姿を消す。それと引き替えに多楽章作品の単一楽章に変奏曲を用いる現象が増える。独立の変奏曲は、その存在そのものが初期の特色だと位置づけ得る。初期の終焉をもって変奏曲の終焉とするのは正しくない。むしろ独立の変奏曲で培った変奏技法を多楽章器楽曲の分野で活用し始めるのが中期であると捉え直すべきであろう。

パガニーニの主題による変奏曲と第4交響曲を例外とすれば、変奏曲の素材に使用される旋律はゆったり目のテンポが採用されることが多い。発想記号にしてAllegro未満である。もちろん曲の途中では速めのテンポの変奏も現れるが、最初のテーマはゆったり目が多い。第4交響曲とて、1小節を1拍と見ればそれほど速いとは言えまい。

中後期において主流となる多楽章曲において、第1楽章が変奏曲となるケースは無い。第1楽章はソナタ形式の指定席だからだ。初期ではもっぱら緩徐楽章におかれる変奏曲だが、弦楽四重奏曲第3番でフィナーレに進出を果たす。これ以降緩徐楽章とフィナーレが拮抗する。そしてそして、最後の変奏曲は3楽章制のソナタのフィナーレにおかれて、緩徐楽章とフィナーレの性格を兼備している。

時代順に並べてみるだけでも相当面白いということが判る。

2007年5月 1日 (火)

魔女の変奏曲

昨日に続く魔女ネタである。

ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」をクララ・シューマンがこう呼んだらしい。

なるほどこの曲は、ブラームスのピアノ曲にあって最高難度と言いうる巨大な変奏曲である。コミック「のだめカンタービレ」で主人公のだめのトラウマの元である瀬川悠人クンの凄さを表現するツールとして用いられたことも記憶に新しい。

ブラームスの作品に隅々まで目を通していたクララが名付けたことは興味深い。「魔女の手も借りたい程の」なのか「魔女と契約しないと弾けない程の」なのかは不明だが、言い得て妙な気がする。

「魔女の変奏曲」を完成したブラームスは、しばらくピアノ独奏曲の創作から遠ざかる。魔女の毒気を抜くためだろうか?

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