掛け合い
「異なる声部間の楽節受け渡し」とでも定義しておく。1つの旋律を複数のパートが時間差で受け持つことにによって完成させている場合も含むと思われる一方、2つのパート間で複数の旋律が同時に進行する場合や、片方が明らかに伴奏という場合には「掛け合い」とは言わない。楽節解釈上、後から続く旋律が、先行する旋律の解答と目される場合もこれに含まれる。無論ピアノでは、右手と左手の掛け合いということも頻繁に起きる。4月17日の記事で言及した「エコー」も「掛け合い」の一種と見ることが出来る。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/04/post_fbce.html
関西系お笑いの主たるジャンルである漫才の本質はこの「掛け合い」だと思う。コミック「のだめカンタービレ」ではアンサンブルに行き詰まった焼きトリオが、ハリセンこと江藤先生仕込みの関西系のノリで問題を解消する場面がある。コミック「のだめカンタービレ」第14巻135ページ付近だ。漫才における「掛け合い」の極意が室内楽と共通することが、図らずも象徴されている。「テンポ」「タイミング」「間」が掛け合いの本質だと感じる。漫才には室内楽と共通する部分があるのかもしれない。
室内楽の大家ブラームスの作品は、この「掛け合い」に溢れている。大管弦楽の中でも、複数のパート間の繊細な掛け合いをちりばめることを称して、一部の批評家から「室内楽的」と攻撃された。
さすがに「ブラームスの辞書」でも掛け合いの数をカウントするには至っていないが、ぱっと思いつく場面が第3交響曲にある。4分の9拍子に転じる第一楽章第二主題だ。小節の冒頭に置かれたコントラバスのピチカートは、続く木管楽器の第二主題と掛け合いになっていると思う。掛け合いの片側コントラバスは、ピチカート1発だけであるが、紛れもない立派な掛け合いだと感じている。コントラバスの側は続く木管楽器奏者に「どうぞ」とばかりに弦を弾く。受ける木管楽器の方は、旋律に心をこめようとすればするほど、コントラバスのピチカートに深く耳を傾けることになる。指揮者の介在を拒否するかのような、演奏者どうしの聴き合い、生かし合いが求められている。
このやりとりを称して「室内楽的」と攻撃されるならブラームスも本望だろう。
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