遅れる
意図せずに演奏のテンポが落ちてしまうこと。一昨日の記事「走る」と表裏一体になっている。「ritardando」や「sostenuto」によるデザインされたテンポダウンではない。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2007/05/post_1c37.html
素朴にして最大の疑問は、意図せずに速くなる側には「走る」「急ぐ」という2種の用語があるのだが、遅くなる方には「走る」に対応する有力候補が見当たらないことだ。ドイツ語やイタリア語でどうなっているかはわかりかねるが、案外この手の話は奥が深いものである。
例によって、記憶にある限りで私が初めて遅れたのは、第2交響曲だ。第1楽章134小節目。音の変化は無いのだが、独特のかかり方をするスラーのせいで、一筋縄では行かないシンコペーションになっている。夏合宿のパート練習でパートリーダーから指摘された。このあたりは、他のパートでも意地悪なスラーのかかり方をしていて小節の頭が認識しにくくなっているのだ。周りの音を聴けば聴くほど深みにはまった。この類の鬱蒼としたシンコペーションは紛れもないブラームス節なのだが当時は、訳がわからなかった。
このようなド素人初心者がはまる遅れは、理由がシンプルだ。リズムを感じられないか、指が回らぬかのどちらかまたは両方だと考えていい。がしかし、私のささやかな経験から申すと、「走る」に比べると訳ありなことが多い。「走る」の方がより初心者っぽい印象がある。後打やシンコペーション、あるいはヘミオラになると意図的にテンポを遅く取る癖のあるプレイヤーを何人か知っている。アマチュアながらひとかどの腕前の持ち主である彼らは、ある意味で意図的にそうしているのだ。
あるいは大所帯のアンサンブルの場合、プレイヤーがそれぞれ合わせることを意図する余り、見合い聴き合いの状態になり指揮者のタクトより遅い場合もあるが、このことは「遅れる」範疇には入れないのが普通だ。
意図があって、それが体系的であり、結果として紡ぎ出される音楽に説得力が宿る場合、「遅れる」とは言わない。
« 初めてのパターン | トップページ | 好きの形 »
« 初めてのパターン | トップページ | 好きの形 »
コメント