刷り込み
娘たちをヴァイオリンの先生のお宅まで送るのは自家用車だ。欠かさず音楽を流している。今かかっている音楽の作曲者を娘たちに質問すると大抵「ブラームス」と答える。流される曲の大半がブラームスなので、娘たちも学習してしまっているのだ。多くの場合「ブラームス」と答えて正解になるからだ。「どうせパパはブラームスしか聴いてないでしょ」という憎まれ口もセットになっている。
いつのことだったか、ラベルの名高い管弦楽曲「ボレロ」を流していた。私だってたまにはブラームス以外の作曲家の作品が聴きたいときもあるのだ。パソコンやipodでブラームス以外の作曲家の作品を再生しないことにしているので、気になる作曲家がいるときは、車の中でというケースが多い。
程なく次女が「パパ、この曲ブラームスじゃあないよね?」と思いつめたような顔で尋ねてきた。「うん、ブラームスじゃあないよ」「なんで?」と応ずる私。「別に、でも何だかいつもと違うから」というのが次女の反応だ。聴いたこともないし、誰の曲かも知らないけど雰囲気が違うと思ったらしい。
次女が「ボレロ」を知らないというのは仕方がない。そんなことより「ブラームスとは何だか違う」と感じてくれたことが嬉しい。かえってボレロやラベルについての知識が全くないにも関わらず、そう感じたことが収穫だ。せっせとブラームスを刷り込んだ甲斐があったというものだ。
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