意図された言葉足らず
もはや我々の生活に深く、深~く根をおろしたインターネット。世の中のいろいろな局面で悲喜こもごもが起きていると思われる。
我が家の子供たちも、「何かを調べてくる宿題」が出ると二言目には「ネットで引く」と言い出す始末だ。我々の頃は調べると言えば①図書館に行く②見学に行く③お年寄りに聞くが相場だった。今は「1にネット2にネット、3、4がなくて5にネット」である。刑事ドラマではないが「足で調べる」「現場100回」はもはや美談ではないのだろうか。少なくとも図鑑や辞典の売上には大きな打撃があったと想像出来る。
だからという訳でもないのだが、ブログ「ブラームスの辞書」も私の頭の中にあることを100%出し切っている訳ではない。本当はブログへの記載には微妙な塗り残しをして、本を買って貰わねばならないのだ。思わず買いたくなるようなCMでなければならない。ブログでの語り過ぎは購買意欲を削ぐことになりかねない。本特有のあの重みはブログからでは伝わらない。
とは言うものの、最近塗り残しが出来なくなってきている。ついついブログに書き過ぎてしまうということだ。このあたりのさじ加減は大変難しい。あまり出し惜しみをしてつまらぬブログになればブログそのものへのアクセスが伸びない。かといって語り過ぎればブログだけで満足されてしまう。
元より道楽色の強い自費出版だから売ることは潔く諦めて、書きまくるという選択肢も現実味を帯びてきた。
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