ヴィオラ弾きのFAF
大好きなヴァイオリン協奏曲の話である。
多くの場合協奏曲において独奏楽器は特別な扱いを受ける。当たり前の話だ。独奏楽器がバックのオーケストラに埋没してしまっては話にならない。作曲家はあの手この手を使って独奏楽器に花を持たせようと細工する。
7月2日の記事「水戸黄門状態」でも言及したような「独り抜きんでたダイナミクスを許可される」ケースや、和音の伸ばしをカットして小節頭のアタックだけとする措置がとられるのが普通である。とりわけヴァイオリンはそうした処置を手厚く受けることが多い。もちろんそれらの処置は、音楽用語起用上に痕跡となって現れる。独奏側の主旋律マーカーの付与がその代表である。
ところが、これらの話の逆を行く事例がヴァイオリン協奏曲第1楽章36小節目に存在する。独奏ヴァイオリンが同楽章中はじめて第1主題を奏するこの場所が半端な場所でないことは明らかながら、ブラームスの与えたダイナミクス表示の割り当ては注目に値する。
御大の独奏ヴァイオリンは単なる「p」にとどまっているというのに、あろうことかヴィオラのアルペジオに「p espressivo」が奮発されている。ヴィオラ側に主旋律マーカーが鎮座しているのだ。このことは昨年1月1日の記事「p espressivo」でも言及した。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/01/_espressivo_66df.html
このアルペジオはまさにヴィオラ冥利に尽きる世界遺産級である。さらに嬉しいことがある。アルペジオの冒頭は「Fis-A-Fis」と立ち上がっている。ブラームス関連の書物では、必ずと言っていいほど言及される「FAF」だ。ヴィオラのこのアルペジオがFAFになっていることは、国内のブラームス関連本ではあまり指摘されていないとっておきの話である。
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