音程感
今日のヴァイオリンのレッスンの後、先生から「お姉ちゃん音程感がとてもよくなってきました」と言われた。明らかに誉めるというニュアンスがこもっていた。詳しく話を聞けばよかったがあいにく次の生徒さんが待ったいたので「ありがとうございます」とだけ申し上げてすぐに引き上げた。
「オンテイカンって何?」当の本人の長女がエレベータを待ちながら訊いてきた。「音程が良くなったってことでしょ」ととっさに答えたものの、何だがもやもやしている。ずばり「音程が良くなった」と何故言わないのだろう。「音程感」とはいったいなんだろう。帰宅するまでずっと自問していた。理由はうまく説明出来ないけれど「音程が良くなった」と言われるより「音程感が良くなった」と言われる方が嬉しい感じだ。
5月の発表会の後、先生から厳しく指摘されたことを思い出した。「単なる指の運動になっている」「弦の上に決められた指を置くだけ」「出る音に無頓着」という厳しい言葉だった。
一方先生は日頃口癖のように、音を出す時に厳密には直前に頭の中で音をイメージさせなさいとおっしゃる。練習とは、正しい音をイメージし実際に出た音とのズレの有無を確認チェックする作業だとまでおっしゃることがある。少しでもずれたらモジモジと指を動かしてごまかさずに、やり直せとも言う。
今長女が取り組むのはカイザーの30番前後だ。5月の発表会以降しばらく曲は封印という方針の中で、いろいろなことが守れて来ているという意味なのだと思う。「この音のつながりの時はこう弾く」という類のポリシーが長女の中に形成されつつあるのかとも思う。「音程感」という言葉から強くそれを感じだ。
「音程感」という漢字を勝手に当てはめてしまったが、もしかすると「音程勘」と表記したほうがいいのかもしれない。
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