響きの底
「ブラームスの辞書」の中で下記の意味でしばしば用いられている。
- 特定の楽曲中の最小ダイナミクスの場所
- ソナタ形式楽章中の主題から調的に最も遠く隔たる場所
- ソナタ形式楽章において再現部に向けた最後のアプローチが始まる場所。
- ABA三部形式を「我が家-外出-帰宅」と捉えた場合、外出によって到達した最も家から遠い場所
執筆中は上記4の意味で漠然と使用していたが、よく整理してみると上記1~3の用法が混在しているのだと思えるようになってきた。なぜ混用してしまったのか、今になって振り返ってみると、上記のパターン全てあるいは複数を併せ持っている場所が少なくないからかもしれない。
以下に実例を挙げる。
- 交響曲第1番第1楽章293小節目後半 チェロとコントラファゴットがppで嬰ヘ音を鳴らし始めるところ。はるか50小節後方の再現部に向けた最後のアプローチの出発点であり、ダイナミクスの底でもある。
- ピアノ協奏曲第2番第3楽章59小節目 クラリネットが「ppp」で泳ぐところだ。遠く78小節目の再現部を目指す起点だが、音楽は停滞して動きを止める。ここも再現部へのアプローチの起点でありかつ、ダイナミクスの底である。
ソナタ形式を「再現部に向けた帰宅のドラマ」だと位置づけるとき、外出の到達点は重要である。「どれほど遠くまで来たのか」によって、再現部への道のり、つまり帰宅の手順が決まるからだ。上記1番第一交響曲の例では、「相当遠いところに来てしまった」という響きに満ちていると思う。「さあて、そろそろ帰るか」というブラームスの促しが目に浮かぶようだ。こういうときは大抵低い音域で何かが動き出すのだ。
ソナタ形式楽曲中でのこの種の準備の周到さにおいて、ブラームスは比類無い境地に達していたというのが本日の話題の前提になっている。
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