「遅くする」の分類
どうもブラームスに限って言うと「遅くする」が2通りあるような気がしている。
一つはおなじみ「ritardando」である。テンポを落とすことを直接指図する機能がある。もう一つは、直接テンポを落とす意味ではないものの実演奏上は、テンポを落とす処理が施されるケースである。こちらの代表格は「sostenuto」だ。「ritardando」と「sostenuto」の違いは、「そこからだんだん遅くする」が「ritardando」で、「そこから一定幅テンポを落とす」が「sostenuto」であるとされている。
一応納得させられるのだが、「sostenuto」には不思議な現象がある。パート系に話を限定するとピアノが絡んだ曲にしか出現しないのだ。ブラームス作品には「sostenuto」が大量に出現するが、単に「遅くする」という合図と思っていいのか不安である。別のニュアンスの表出であった可能性をいつも心に留めておきたい。演奏者の都合でたまたまテンポを落とす処理が施されているだけなのかもしれない。
同じことは、「速くする」側にも起きている。「sostenuto」に対応するのは「animato」だ。「animato」は「a tempo」や「in tempo」によってリセットされない。「いきいきと」した感じが込められさえすれば、何もテンポをアップさせる必要はないとも言い得る。実際クレーメル、バシュメット、マイスキー、アルゲリッチの地球代表軍によるピアノ四重奏曲第1番では、第3楽章のトリオで「animato」とあるのに、テンポが上がるどころか落ちているという例もある。このメンツに文句をつけられる人はざらにはおるまいが、「Animato」は「速くせよ」の意味ではないのだから、速くなっていなくても文句を言われる筋合いは無い。「いきいきと」した感じが失われていたとき初めて批判の対象となりうる。
さらに「sostenuto」も「animato」も付与されたパートにのみ有効だ。付与されたパートだけが勝手にテンポを変動させてしまっては、アンサンブルに乱れが生じかねない。長い休符で小節を数えている人にさえ影響が出る。このことからも、テンポの変動はあくまでも結果としてであって、本来ブラームスが望んでいた訳ではないと想定出来る。
少しは考えておきたい。
コメント