ルカ受難曲
バッハの受難曲は現在2曲が伝えられている。「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」だ。ところが19世紀にはこれに加えて「ルカ受難曲」がバッハ作とされていた。メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の蘇演を初めとするバッハ再評価の流れに乗って「ルカ受難曲」がバッハによる真作と位置付けられたのだ。BWV246という番号を背負っていることからも、一時真作という扱いを受けていたことがわかる。
何しろ当時最高のバッハ研究家であるフィリップ・シュピッタがバッハ本人の若かりし頃の作品という見解を示したことで「ルカ受難曲」の位置付けは磐石に見えた。
ところが、フィリップ・シュピッタの友人で作曲家のご存知ブラームスは、その見解に異議を唱えた。「もしそれがバッハ作というなら、多分バッハが赤ん坊の頃の作品だろう」と述べて事実上偽作と決め付けた。
作品の真贋は多くの場合様々な分野の知識を結集して判定される。楽譜に用いられた紙の質、五線の形状、インクの品質・色、筆跡等はそれぞれに専門家が存在するくらいの研究分野である。古い楽譜のコレクターでもあったブラームスは、それらの知識もそこそこ持っていただろうと推定できるが、何よりもバッハ作品を若い頃からミッチリと叩き込まれていたことから、偽作と断定した最大の根拠は「様式感の相違」それも相当決定的な相違だったと思われる。
結局2人の存命中には決定的な結論は出なかった。20世紀に入って間もなく、決定的な証拠が発見され論争に決着がついた。ブラームスの言った通り偽作であった。別の作曲家の受難曲をバッハが息子のエマニュエルと共同で書写したということが確実になったのだ。
ブラームスのバッハ好きは筋金入りである。
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