ヨアヒム没後100年
1907年8月15日ヨーゼフ・ヨアヒム没。
19世紀最高のヴァイオリニストにして、作曲家、教育者、指揮者、そして何よりも何よりもブラームスの親友。ブラームスにロベルト・シューマン訪問を薦めた恩人。ブラームスより2歳年長ながら没年は10年も遅い。
ブラームスから作品の献呈も受けている。ピアノソナタ第1番op1とヴァイオリン協奏曲だ。複数曲の献呈を受けているのは他にクララ・シューマンだけである。ヴァイオリン協奏曲の献呈はある意味で当然だが、ピアノソナタ第1番もヨアヒムだ。何しろ「作品1」である。「作品1」を献呈されることの意味はとても大きい。
「リストがアカンかったらシューマンを訪ねなはれ」というヨアヒムの助言は思うだに貴重である。元ワイマールのコンサートマスターであるヨアヒムの助言には、「どの道リストとはうまく行くまい」という読みが見え隠れする。作品1の献呈は、こうした読みへの感謝も込められていたと思う。作品2の献呈を受けたのがクララ・シューマンである事実もヨアヒムの功績を如実に物語っている。
ブラームス作品の初演に関わったのは以下の通りだ。
- FAEソナタ(ヴァイオリン)
- 管弦楽のためのセレナーデ第1番(指揮)
- ピアノ協奏曲第1番(指揮)
- 弦楽六重奏曲第1番(ヨアヒム四重奏団)
- 弦楽四重奏第2番(ヨアヒム四重奏団)
- 弦楽四重奏曲第3番(ヨアヒム四重奏団)
- ヴァイオリン協奏曲(独奏)
- ヴァイオリンとチェロのための協奏曲(独奏)
- クラリネット五重奏曲(ヨアヒム四重奏団)
指揮に独奏に室内楽にと大車輪である。初演した曲の数だけで言うなら71曲を誇るクララ・シューマンに続く第3位だ。(もちろん1位はブラームス本人)しかしクララはピアノの小品や歌曲の演奏も数多く含まれていることから見てヨアヒムの充実振りはさすがである。神様のいたずらか、ヴァイオリンソナタを1曲も初演していないのが気にかかる程度である。このリストにはないが、作品91「アルトとヴィオラのための2つの歌」も私的な初演はヨアヒムではないかと思う。フェリックス・シューマンの作詞で名高い「我が恋は緑」は、ヨアヒムのヴァイオリンで私的に試演された可能性がある。
ブラームス没後のあるインタビューに答えて、ヨアヒムが心情を吐露したことがあるそうだ。ヨアヒムはその席で3人の作曲家を実名を挙げて賞賛した。1番目は神のごときバッハ、2番目は美の創造者としてのモーツアルト、そして3人目にブラームスを挙げたという。聞き手が「ベートーベンは?」とカマをかけても首を横に振るばかりだったらしい。
皮肉にもヴァイオリン協奏曲の作曲の過程で不和が始まり、ヨアヒム夫人との訴訟で決定的に決裂するに至るのだが、ブラームスの音楽に対するヨアヒムの評価は終生微塵も揺らぐことが無かった。私的な喧嘩と作品の評価が見事なまでに区別されていたと見る。「坊主憎けりゃ袈裟まで」ではないのだ。
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<魔女見習い様
昨年記事にしないで100周年を待ちました。
誰かに先を越されないよう未明の更新です。
投稿: アルトのパパ | 2007年8月15日 (水) 08時16分
ヨアヒム。。。あっぱれな人物ですね☆
命日が8月15日でしたか。
偉人らしい。。
投稿: 魔女見習い | 2007年8月14日 (火) 23時37分