源実朝
鎌倉幕府3代将軍だ。彼は1192年8月9日生まれらしい。日本の歴史上の人物で、大好きな人を選ぶと上位に入る。源頼朝と北条政子夫妻の三男だ。父が鎌倉に幕府を開いた年に生まれ、12歳で征夷大将軍に任ぜられた他、26歳で右大臣になる。鎌倉右大臣とは彼のことである。その後すぐ甥で猶子の公暁に暗殺される。
周囲の評価は割れている。政治関連の人物の評価は芳しくない一方で、芸術系の人々からの評価は高い。後鳥羽上皇や藤原定家とも親交があったらしい。賀茂真淵や正岡子規からは絶賛されているそうだ。
私が初めて源実朝を知ったのは小学校6年の時だ。1971年8月5日父に連れられて訪ねた鎌倉・鶴ヶ丘八幡宮の大銀杏の前で、一連の暗殺のエピソードを父から聞かされた。当時は源氏と言えば頼朝や義経ばかりに気を取られていた。高校の古文の時間に新古今和歌集を習って一変した。
そう源実朝は新古今和歌集と時代が重なるのだ。後鳥羽上皇、藤原定家に代表される華麗な歌風の中で実朝の作品は異彩を放つ。当時の人々もそう感じたのだろう。実朝の歌風はどこか「万葉調」っぽい。かといって「益荒男振り」かと言われるとうっかりうなずきにくいが、古今和歌集以降の「手弱女振り」とは違うみたいな感じだ。「時代に遅れてきた万葉歌人」なのだ。
正岡子規は賀茂真淵の誉め方が足りぬと嘆き、「ただの器用ではなく、力量、見識、威勢を兼ね備えている。」「時流に染まらず、世間に媚びず」と評して早世を惜しむ。
「時代に遅れてきた万葉歌人」という位置付けを踏まえつつ、正岡子規の評価を噛みしめると見えてくるものがある。なんだかブラームスに似ている。
私が実朝を好きな理由は、恐らくこれである。今日は源実朝の815回目のお誕生日だ。
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