エドワードのバラード
「バラード」は一般に「Ballade」と綴る。中世フランスのシャンソンが起源らしい。「叙情的なリート」の対立概念として「叙事的なバラード」というイメージが定着していった。器楽曲にも転用されるようになって行くが、何らかの叙事的事項との関連を想定していると思われる。
ブラームスでは、以下の通りの実例がある。
- 4つのバラード作品10
- バラードとロマンス作品75
- バラード作品118-3
中でも作品10番の4曲のうち第一番は特に有名だ。スコットランドのバラード「エドワード」によるという具合に出典が明記されている。生涯標題音楽に距離をおいたブラームスにしては珍しい部類に属する曲だ。母と息子の対話調のテキストだが、父親殺しを母が息子に詰問する陰惨な内容だ。ブラームスはこのアウトラインを音楽で忠実になぞっている。なるほどバラードと名付けるだけのことはある。しかし2番以下はバラードでなければいけない理由は、必ずしも明確ではない。
それより作品75は興味深い。「バラードとロマンス」というタイトルの元に4曲が収められているが、そのうちの1番は作品10-1のバラードの出典となったスコットランドの古詩がそのままテキストになっている。作品10-1のニ短調に対してこちらはヘ短調だ。ニ短調よりさらに陰鬱な感じ。アルトとテノールによって対話調の歌詞が実際に歌われて行く。
作品75の4曲は2重唱が集められている。4曲のうちどれがバラードでどれがロマンスなのか明記されていないが、作品10との関連から1番はバラードにあたると見てよかろう。若い男女の会話になっている3番がロマンスで、親子の会話の3曲がバラードかもしれぬが、2番と4番にバラードと呼ばねばならない必然性は認めにくい。
ともに4曲から構成されるなど作品10と作品75には共通のバックグランドが感じられる。
問題は、作品118-3だ。何故この曲がバラードなのか全く手掛かりが無い。やれやれ。
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<もこ様
恐れ入ります。
細かく言うと「手掛かりが無い」のではなくて「手掛かりに気付かない」の方が正確かもしれません。
op10-1、op75-3、op118-3の3者に共通するのは4分の4(2分の2)で4分音符1個分のアウフタクトで立ち上がること。そしてみな短調であることくらいです。
大好きなアンダンテテネラメンテの後なのですが。。。。
投稿: アルトのパパ | 2007年9月24日 (月) 09時55分
感激の嵐です!!
作品118-3。。手掛かりが無いものもあるのですね。
投稿: もこ | 2007年9月24日 (月) 09時46分