クララ・シューマンの位置
ブラームスにはある習慣があった。自作を出版する前に、未発表の楽譜をクララ・シューマンに届け批評を乞うたのだ。結果としてブラームスはクララ・シューマンの承諾を得て全ての作品を出版した。
ブラームスはしばしば、自作の良いも悪いも容赦なくコメントして欲しいと懇願しているばかりか、クララが作品に対して寛容になり過ぎないよう要請している。さらに具体的な作品名を挙げて、後世に残す価値があるかどうか、つまり出版する価値があるかどうかについても意見を求めている。出版によって作品が一人歩きを始める前に、最も確かで信頼できる第三者の目に判断をゆだねていたことになる。
クララ・シューマンはその意味でうってつけの人物だ。演奏の能力は言うまでもない。それに加えて、作品の解釈と理解を含む洞察力において比類の無い存在だ。
意見を求められたクララは、あらん限りの知識・経験・感性を動員してブラームスの草稿に向き合ったことは想像に難くない。クララがいつも楽譜の隅々まで熟読した上で、意見を聞かせてくれることをブラームス自身はよく知っていた。とりわけ作品に対するネガティブな意見ほど心を鬼にして率直に語ったことも容易に想像できる。たとえネガティブな意見であっても、ブラームスは自分なりに消化して必ず成果を結実させることを、クララもまたよく知っていた。ブラームス作品に限って言えば、クララとブラームスは基本的に波長が合っていたようだ。当代最高のピアニストにしてロベルト・シューマンの妻のお墨付き作品ばかりが作品リストに載ることのメリットは計り知れない。ブラームス作品が見せる生涯一貫して破綻のない水準は、こうした手続きにより一層盤石になっていたと思われる。
それにしても次々と手許に届けられる作品が、軒並み音楽史を飾り得る作品であることをクララはどう感じていたのだろう。それらの全作品を出版前にチェック出来るという自分の立場をどう受け止めていたのだろう。もしいくつかの作品についてクララが首を横に振っていたら、現代の演奏会レパートリーのいくつかが吹き飛んでいたことになる。あるいはCDショップのブラームス売り場が幾分縮小していたことになる。
ブラームスの音楽的な遺書とも目される「四つの厳粛な歌」op121は、出版に先立って、クララの判断を仰ぐことが出来なかった。他に「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122が同様の位置付けにある。クララ・シューマンその人の死というシンプルで絶対的な理由のせいだ。もちろん、クララが生きていたとしても、きっと出版に同意していたに違いない。
今日はクララ・シューマンの誕生日だ。
<narkejp様
恐れ入ります。
そうですね。庶民の好いた惚れたとは、同列には論じられませぬ。
一方夫ロベルトの作品について、クララはこの種のチェック機能をどの程度果たしていたのか興味があります。
投稿: アルトのパパ | 2007年9月16日 (日) 20時59分
素晴らしいご指摘、ほんとうにそうですね。クララとブラームスというと、すぐに恋愛感情の話になりますが、こういう点が根底にあるところが大切なのだろうと思います。
投稿: narkejp | 2007年9月16日 (日) 20時24分