日本最古のピツィカート
源氏物語に登場する女性のうちで薄幸の美女代表格に夕顔がいる。元は高貴な身分ながら隠遁している。立ち居振る舞いから只者ではないと踏んだ光源氏が通い詰めるが、物の怪に取り憑かれてあっけなく死んでしまう。
源氏物語では物の怪に襲われた様が、かなりリアルに描かれている。異変を知った光源氏が随身(ずいじん)を呼ぶ。言わばボディーガードだ。駆けつけた彼らが何をしたかというと、これが「弦打ち」である。「つるうち」と読む。生身の人間が物の怪相手に出来ることなど限られているのだろう。火を灯して明るくして、声を出して弦打ちをしたのだ。「弦打ち」とは、弓に張られた弦を手で弾くことだ。魔よけの効果があると信じられていたらしい。本来の機能である矢を発射する道具という側面に加えて、こうした機能が付加されていたと見るべきだ。同じサイズの弓に、同じ材質の弦を、同じ張力で張れば同じ音になったと思われる。矢を遠くに飛ばすことの出来る弓ほど高い音がしたハズだ。それと引き換えに、半端な力の持ち主には扱いにくくなることも広く知られていただろう。急を聞いて集まった随身たちが皆同じ規格の弓だったとしたら、ほとんどユニゾンになったに決まっている。ピタゴラスの法則は平安時代の日本でも成立するのだ。音にまつわるこのあたりの不思議さは、霊的な力の存在を想起させるに十分だったと思われる。
これを称して「日本最古のピツィカート」と呼びたいところだが、実はもっと遡る例があると睨んでいる。
万葉集巻の三。間人連老(はしひとのむらじおゆ)の作とされる歌。
やすみしし わご大君の 朝には とり撫でたまひ 夕べには い寄り立たしし 御執らしの 梓の弓の 中ハズの 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし 御執らしの 梓の弓の 中ハズの 音すなり
高貴な人物の狩の描写だ。家来を大勢連れての大がかりな狩である。「ハズ」は実は漢字である。弓偏に耳と書く。弓の両端の弦を括り付ける部分だ。何を隠そう「中ハズの音」は古来学者たちを悩ませて来た言葉だそうだ。「中」を「カナ」の誤りとする苦し紛れの解釈もされている。金ハズとすることで金属製のハズを想定し、それらがガチャガチャとぶつかり合う音とする立場だ。実はこの立場が学界の定説だったりもする。
私はここでいう「中ハズの音」これこそが「ピツィカート」ではないかと考えている。ハズとハズの中間を弾くという意味が「中ハズの音」にこめられていると思う。「中ハズの 音すなり」が二度までも歌われていることを思うと、この歌の焦点であるとさえ感じる。素人の直感だが、この音は、ハズが触れあうという偶発的な音ではなくて、意図的に鳴らされた音のような気がする。狩の収穫あるいは安全を祈っての儀式で弓の弦を手で弾いていたのではないだろうか。
時代的には斉明天皇の時代の歌とされているから、先の夕顔よりは古い。単に琴を弾ずるという記述であればもっと遡る例もあるが、独断でこちらを「日本最古のピツィカート」と認定したい。
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