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2007年9月 2日 (日)

アシストの有無

協奏曲は、独奏楽器に花を持たせて何ぼである。

ブラームスの協奏曲は、その点で一部からは受けがよろしくない。古くはサラサーテだ。ヴァイオリン協奏曲の第2楽章冒頭でオーボエが延々とソロを受け持つことに不快感を示したりしている。協奏曲に挑もうかという弾き手は、腕に覚えの強者ばかりだから、自らの存在感を聴衆にアピール出来て何ぼと考えてしまうのも無理からぬ話だ。どんな協奏曲を弾くかという選択にそうした要素が色濃く反映されることは、その意味で自然である。

ブラームスの協奏曲は、ソリストとしての腕前よりも、いかに楽曲に溶け込むかを要求する。ブラームスにとって自分の言いたいことを聴衆に伝えるために最適の形態が、たまたま協奏曲だっただけで、ソリストのテクを効率的に聴衆に伝えることは二の次と考えていた節がある。そうした曲の性格の範囲内で、どうすれば目立つかを弾き手に問う凄みが、ブラームスの協奏曲にはついて回る。楽譜通りに弾けるところから始まるといった側面も無視できない。

作曲家自身がヴァイオリニストだった場合、テクニックは大したことがないのに、難しそうに聞こえるというサービスパッセージを忍ばせることがあるが、ブラームスにはそれが少ない。

しかし、そこはさすがに協奏曲だ。独奏楽器が総奏に埋没してしまっては具合が悪い。ブラームスもその点には工夫をしている。オーケストラ側の長い和音を、拍頭のアタックだけにとどめたり、「fp」を多発したりだ。低音声部に対する「p marcato」の指定もこの一環だと思われる。特に独奏ヴァイオリンはピアノに比べてそうした音強上の配慮を色濃く受けている。

不思議なことがある。管弦楽が伴奏する合唱曲に出現する独唱者は、独奏楽器ほど音強上の配慮を受けていない。少なくとも楽譜上に痕跡が現れていない。演奏の現場では、歌手の力量・声質、オケの性格、ホールの特性に即して指揮者が自ら配慮をすることもあると思うが、楽譜上は手加減無しになっている。

仮にそれがソプラノ独唱であっても、大管弦楽の総奏の中で埋没することはないと、ブラームスが判断していた証拠である。ウイーン定住前の合唱指導の経験を思う時、人の声に対するブラームスのそうした考えは何やら示唆に富んでいる。

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