第4交響曲の恩人
今日10月25日は第4交響曲の初演された日だ。1886年のことである。ブラームス最後の交響曲として愛されている。特にその第4楽章はパッサカリアという異例の形態を採用したことで名高い。バッハのカンタータ第150番「主よ、我汝を仰ぎ望む」の終末合唱のシャコンヌ主題を原型にしている。
バッハはその死後80年にわたり、作曲家としての存在を大衆から忘れ去られていた。印刷譜の形で残された作品はわずかで、大半は自筆譜を含む筆写譜が伝承の媒体である。自筆譜が現存せず、他者の手による筆写譜だけがよりどころという作品も珍しくない。
クリスチャン・フリードリヒ・ペンツェルという人がいる。ライプチヒトマス学校の生徒で、おそらくはバッハの弟子だとされている。若い頃からバッハの作品に親しみ、バッハの長男・ウイルヘルム・フリーデマン・バッハと親交があった関係で、バッハ作品の自筆譜を筆写している。ウイルヘルム・フリーデマン・バッハが相続した楽譜は後年散逸の憂き目に遭ったものが多いが、ペンツェルが筆写していたものは散逸を免れて現在に伝えられた。
ブラームスの第4交響曲のフィナーレの下敷きになったカンタータ第150番は、ペンツェルの筆写譜が無かったら伝承されなかった。他の誰もカンタータ150番の筆写譜を残していないのだ。ブラームス第4交響曲のフィナーレは、ペンツェルの筆写譜のおかげで「首の皮一枚」で散逸を免れたカンタータ第150番が土台になっている。ペンツェルがいなかったら第4交響曲は、大きく姿を変えていたと思われる。
ブラームスの事だから、別途素晴らしい交響曲を仕上げたとは思うが、第4楽章と第1楽章の密接な関連を思うとき、第4楽章が別物になったら第一楽章、ひいては全体にまで影響が及ぶと感じる。
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