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2007年10月30日 (火)

主語脱落

10月27日の記事「根音省略」および昨日の「主題提示の隠蔽」に関連がある。

27日の「根音省略」は、ブラームスがしばしば和音の根音省略形を用いて調性の曖昧さを楽しむという趣旨だった。主役になる音を意図的に省くことで得られる「どっちつかず感」が狙いだろう。あるいは、主和音の提示そのものが延々と忌避されることも少なくない。ラプソディーop79-2におけるト短調は、そうした位置付けにある。意図的に隠すことでかえって調性感が強まっている。「主和音の連打も結構だがね」とでも言っていそうである。

昨日の記事「主題提示の隠蔽」は、楽曲の最初の主題提示が意図的に省略またはぼやかされていることに言及した。

和音における根音、楽曲における主題提示つまり主役が隠されるという意味だ。

主役を隠すことは、古来日本語でも行われてきた。古典文学ではしばしば主語の省略が見られる。いや主語を省くほうが普通だったりもしている。源氏物語はそうした形式の典型だ。あれだけの登場人物が錯綜する複雑な物語ながら、判る人には判るとばかりに頻繁に主語が省かれる。前後の文脈と敬語の用いられ方で、主語が判るのだ。現代語訳では、わかりやすさに配慮して主語が補われていることが多い。「5W1H」に飼い慣らされた現代人は主語がないと不安なのだ。不安の解消と引き替えに、原文のリズムは失われる。敬語への意識も薄まる。

言わぬが華なのである。言わぬところに余情が生まれ、読み手がそれを補うことで味わいの幅が広がると思う。おそらくそれは「ロマン」と呼びならわされているものに近いのだと考えている。主語が明らかなのは、むしろ野暮と思われていた節がある。「あからさま」があまり好ましいニュアンスではないのは、その名残りだと思っている。

本日のこの記事をブラームスネタだと感じた人はブログ「ブラームスの辞書」の読み過ぎの疑いがある。

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コメント

<魔女見習い様

おお、それはいけません。

ひょっとすると悪性かもしれません。
手遅れにならないうちに養生なさいませ。

それから人にうつさないように隔離も必要ですぞ。

う~~ん、どうやらブログ「ブラームスの辞書」の読み過ぎみたいです~。
少し控えた方が良いでしょうか?

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