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2007年10月21日 (日)

ウィルヘルム・ルスト

Wilhelm Rust(1822-1892)はバッハ研究の第一人者だ。バッハ協会が目指す「バッハ全作品の刊行」という大事業にあたって、1853年30歳そこそこの若さで校訂者の一人に列せられた。祖父が、バッハの2人の息子カール・フィリップ・エマニュエル、ウイルヘルム・フリードリヒと親交があったという。以後1881年までバッハ全集各巻のうち26巻もの校訂に携わった。

そのバッハ全集は、当時のバッハ研究の粋を集めた一大プロジェクトだった。中でも校訂報告に力が注がれ、後に続く作曲家全集の規範となったという。まさにこの全集の白眉というべき校訂報告を含む序文(Vorwort)の執筆を担当したのがルストその人だった。序文の執筆を任されたのだから、ルストの位置付けは編集主幹とでも解されよう。

さて時は下って1879年。ブラームスは、ライプチヒ・トマス教会のカントル就任を打診される。トマス教会のカントル、略してトマスカントルは、バッハが最後の27年間勤め上げた役職だ。トマス教会がブラームスに白羽の矢を立てること自体、ブラームスのバッハに関する深い造詣に対する世間の評価をうかがわせるものだ。ライプチヒがピアノ協奏曲第一番の初演で煮え湯を飲まされた街であることを考えると、隔世の感がある。

結局ブラームスはこの申し出を辞退する。代わってトマスカントルに就任したのが、本日話題のルストだった。ブラームスより11歳年長で、ライプチヒ・バッハ協会の重鎮にして、バッハ全集編集主幹格のルストよりブラームスの優先順位が上だったということに他ならない。既にドイツレクイエムがブレークし、交響曲も2番までが世に出ていた。作曲家ブラームスの名声で下駄が履かされていたことを差し引いても、バッハ解釈者としてのブラームスの位置付けが相当な高みに達していたことは動かし難い。

何だか嬉しい。

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