回収漏れ
パガニーニの逸話を思い出して欲しい。彼はヴァイオリン演奏のテクニックが他人に漏れるのを恐れていた。演奏会の後には自ら楽譜を回収したという。そりゃそうで、録音技術の無かったころ、音楽は生まれて消えて行く泡のような存在だったから、楽譜さえ回収してしまえば、第三者によるテクニックの模倣はほぼ不可能だった。
ブラームスも自作出版についての慎重さにおいては人後に落ちない。クララやヨアヒムからの助言、仲間内での試演を経て出版するのが常だった。それどころか初演後も作品の推敲を続けなかなか出版を許可しなかった。出版前の演奏には手書きのパート譜が使われ、演奏終了後には回収されたという。複写機の無かった時代、回収さえしてしまえば一応安心だった。「回収さえしてしまえば」である。
その回収に万が一不備があったらどうなるかという例が第一交響曲で起きてしまった。第一交響曲は現在流布する形に落ち着いたのは初演後しばらくたった後だった。特に第2楽章は、「A-B-A-C-A」という形で初演されながら、「A-(B+C)-A」の形に切り詰められた。こうした作品の改訂の証拠を滅多に残さないはずのブラームスに何が起きたかというと、つまりそれが本日のお題「回収漏れ」だ。初演に使用されたパート譜のうちヴァイオリンとヴィオラのパート譜が一部回収を免れ後世に伝えられた。学者たちはそれらを手がかりに初演時のスコアを復元したのだ。
コミック「のだめカンタービレ」第8巻111ページでは、カイドゥーンが第1交響曲のトレーニングに飛び入りし第2ヴァイオリンとヴィオラにネジを巻くシーンがある。これは第2楽章の57小節目だと推定出来る。つまりこのあたりヴァイオリンやヴィオラにとっては難所だ。初演にあたってこうした難所を練習するために楽譜を自宅に持って帰っていたために回収を免れたのかもしれない。楽しい想像が膨らんで行く。
それにしても回収を免れたのがトロンボーンの楽譜じゃなくて幸いだった。もしトロンボーンの楽譜だったら、総譜の復元が出来たかどうか怪しい。
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