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2007年11月16日 (金)

標題のニ面性

音楽作品に付与される標題は2つに分類出来ると思っている。

一つは個体識別の記号としての意味だ。一人の作曲家が同一ジャンルで多数の作品を残し、そのいくつかが愛好されている場合、それらを識別する必要が発生する。このとき作品に与えられるニックネームが、いつしか作品の標題と化すケースだ。調の名前や発想用語がこの機能を代行する場合も多々ある。作曲者本人でない第三者が付与するケースも少なくない。

二つめは、作曲者本人が作品理解の一助として自ら付与するケースだ。「なるほどおっしゃる通り」と思わず膝を叩きたくなるような標題や詞書きもある一方、いかにも怪しいものも散見される。

いつの頃からか街角や公園に抽象的なモニュメントが設置されるのを見かけるようになった。説明板も一緒というケースも少なくない。タイトルに添えて作者の意図が書き込まれていることもある。「地球」「大地」「生命」「宇宙」を主体に「恵み」「鼓動」「いぶき」「営み」という語が順列組み合わせ的に絡むことが多い。「地球の恵み」という具合である。作者がそう言っているのを「おかしい」と言うことは誰にも出来ない。「地球の鼓動」「生命のいぶき」を具体的に見たことのある者はいないことも好都合である。それでも大人は判ったような顔で「フムフム」とうなずくが、子供は正直で「何これ?」みたいな反応も珍しくない。

作者自らが積極的に意味を説明しないと受け手には判らないということに他ならない。曲を聴いても判るまいという自覚が作曲者側にあるから、思わずコメントしたくなるという状況だ。厄介なのは説明を知った後に曲を聴いてもそうとは思えない場合だ。となると「作者が言ってるンだからそうなンでしょ」という落としどころしかなくなる。抽象芸術とは本来そういうものなのだろうが、上記2つめの意味の標題には、この類が相当数混入していることを覚悟せねばならない。

ブラームスは2つめの意味の標題に背を向けていた節がある。いわば「聴き手が作品を聴いて何をイメージするかに、作曲者が介入しない」という姿勢である。自作には「ジャンル名+調名」だけで十分と考えた。ジャンル名が未確立の分野、たとえばピアノ小品などのネーミングをたびたび出版社と相談したとされているが、結局「ピアノ小品集」としたまま出版してしまったという逸話もある。自作のタイトルに対するこの手の無頓着さは、自信の裏返しと見ることも出来よう。思いの丈は全て楽譜に盛り込みきったという強烈な自負だ。余計な先入観を聴き手に与えないという姿勢も伺える。

楽譜やCDや本を売るためというマーケティング上の要請で標題が必要というわけだ。標題が必要なのは、ブラームスではなくて周囲の人間ばかりなのだ。

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