シュピッタ
フィリップ・シュピッタ(1841-1894)は、19世紀最高のバッハ研究家だ。バッハ関連の書物の中では頻繁に見かける名前だが、ブラームス系の書物にもお友達として、しばしば登場する。
ブラームスとシュピッタの交際は、1868年シュピッタがブラームスに宛ててドイツレクイエムを賞賛する書簡を送ったことがキッカケとなった。ブラームスはすぐに返信をした。すでにそのときブラームスは音楽雑誌に掲載されていたシュピッタのバッハ関連の論文を評価していたことから、2人の仲は急速に親密度を増した。8つ歳下とはいえ気鋭のバッハ研究家が初演間もないドイツレクイエムを賞賛したことは、宗教作品としての真価を決定付けるものだった。
2人の往復書簡は数十通に達した。バッハ関連の情報交換と、ブラームス作品についての意見交換が主たる用件だ。シュピッタがカンタータ第4番の演奏に際して、ブラームスによる和声付けが施されたオルガンのパート譜の貸し出しを所望したり、シュピッタの大著「バッハ伝」に対する感想を求めたりだ。
1874年にはシュピッタからブラームスにバッハのカンタータ第150番の筆写譜が贈られている。ご存じの通り、このカンタータの終末合唱は11年後に第4交響曲のフィナーレのパッサカリア主題のベースになるものだ。
ブラームスが、19世紀最高のバッハ研究の泰斗から一目置かれていたことは、間違いない。ブラームスは作曲ばかりでなくバッハの研究者、校訂者としても一流だったのだ。
Hitzer.O.Erikoさま
いらっしゃいませ。お役に立てたとするなら光栄です。
バロック特集の最中に、シュピッタさまとお近づきになれたようで、吉兆に違いありません。
投稿: アルトのパパ | 2019年1月 4日 (金) 08時03分
一週間程前、たまたま友人の知り合いの家(ドイツ・バイエルン州)に伺うこととなったのですが、奥さんの祖父の叔父がフィリップ シュピッタとのことでした。著作の本も2冊見せて頂き、帰国した後、私の主人に話すと、ドイツではシュピッタは有名と教えてもらい、どんな人だったのか調べようと検索しましたら、このサイトが見つかりました。シュピッタについて知ることができ、心から感謝致します。
投稿: Hitzer・ O・ Eriko | 2019年1月 3日 (木) 22時50分