耳の洗濯
一昨日古くからのブラームス仲間と飲んだ。ワインと料理と話で満腹になった。実は、17日の記事「没後10年」でも述べたとおり、その日は父が没して10年の節目だったから、昼間のうちに記事をアップ、墓参りにも行ってきた。さっそくの御利益があった。
ノヴェロのワインが回り始めた頃、彼女が(そうその仲間とは女性なのだ)「知人がどうしても都合悪くなったコンサートがあるけど行く?」と切り出した。
- ブラームス ヴァイオリンソナタ第2番
- ブラームス ヴァイオリンソナタ第3番
- フランク ヴァイオリンソナタ
- ヴァイオリン ギドン・クレーメル
- ピアノ クリスチャン・ツィメルマン
耳を疑った。入手困難のプラチナチケットだ。このメンツにこの曲である、ノータイムでお受けした。その日から丸2日、ブラームスはおろか音楽を聴かなかった。腹を減らしておかねばならない。おいしいレストランに行く前と同じ心境だ。
昨夜その演奏会があった。高い位置後方から2人を見下ろす席。鍵盤と楽譜が丸見えだ。私ごときが言葉で説明可能な範囲をゆうに超えていた。こんなブログで屁理屈をこねているのが嫌になるくらいだ。休憩前にブラームス2曲が続けて演奏されたが、3番のフィナーレにさしかかった時「えーっ、こんなに早く」と感じた。ずーっと聴いていたかった。センスのいい譜めくりのお兄さんはえらくイケメンだった。何とこの方調律師だと休憩時間になってわかった。
昔からCDやDVDでは聴いていたが、昨夜は偽装の余地のない生の本物が弾いてくれている。このメンツだから、飛車角の競演になるのかなあと考えていたが、違った。強いて言えば飛車角ではなくて金と銀の競演だ。絶妙の距離と位置取りを保ってお互いを守りながら、玉の周囲を固めるような感じ。将棋名人が指す矢倉の絶妙の駒組みとでも申しておく。もちろん2人が守った玉はブラームスだ。
アンコールに応えて何度かステージに戻った中の2度はツィメルマンが出てこずにクレーメルだけが登場し拍手をあびた。ブラームスのソナタにおけるピアノの重要性やピアノの素晴らしいできばえを考えると、何もツィメルマンがそんなに遠慮することも無いのにと思った。何だかツィメルマンが凄く大人でカッコよく思えた。
ショパンコンクールの優勝者にして現代最高のピアニストが何も室内楽の伴奏なんかしなくてもと思ってはいけない。ヴァイオリンの名人芸を聴かせるソナタならいくつもあるが、ピアノの名人芸が聴けるヴァイオリンソナタなんぞそうあるものではない。ブラームスはうってつけだ。数の上ではもっとも多いと思われるツィメルマンサポーターの「何でショパン弾かないんだビーム」を封殺する極上の演奏だった。
弱音の美しさ、とろけそうな緩徐楽章とか、いくらでも思いつくが、昨夜のクレーメルを正確に表現することは不可能だ。
放心状態でロビーに至る階段を下りていたら、これまた女性の古くからのブラームス仲間と再会した。そのまま3人で近所の居酒屋に直行して飲んだ。
それにしても、あれだけの演奏を聴かされて第一ソナタ「雨の歌」が聴けないのはほとんど拷問に近い。
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