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2007年11月25日 (日)

新郎父挨拶

結婚披露宴での新郎新婦の失敗談は面白おかしく語られることが多い。他愛のないものから深刻なものまで品揃えには事欠かない。

私にもある。披露宴の最後で新郎の父が挨拶をすることが多い。私の時もそうだった。今は亡き父が親族を代表して挨拶した。父の挨拶が終わったあと、あろうことか新郎の私が拍手をしてしまったのだ。すぐに気付いてやめたがビデオにはバッチリ映っている。気付いたのは参列者の半分くらいだが、相当恥ずかしい。

しかしだ。言い訳をするようだが、つまり父の挨拶がそれほど素晴らしかったということだ。披露宴の日取りが決まったころから父はずっと挨拶文を考えて練習していた。長さはどの程度にしたらいいかとか、BGMはどうするとかうるさいばかりだった。元々そういうことが好きな父で人前で話すことが苦にならぬ方だから何とかなるだろうとは思っていた。

モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」の最後を飾る「伯爵夫人よ許し給え」が弱音器付きの弦楽四重奏で奏でられる中、父の挨拶は始まった。

「水を打ったよう」というのはあのことを言うのだ。参列者は身じろぎもせずに父の挨拶に聞き入る中、清らかなモーツアルトがかすかに耳に触れている。悔しいがここはブラームスではなかった。

参列者への謝辞、媒酌人へのお礼、新婦実家へのお礼、親としての心境、新郎新婦への支援要請が淡々かつ雄弁にメモを見ることなく語られた。凄いというかさすがというか、裏方に回ったオーケストラの仲間への謝辞が一番丁寧だった。立て板に水というにはあまりに万感が込められていた。途中一回だけ言葉に詰まったが、まるで計算していたかのようなタイミングと長さの詰まりだった。声の張り、テンポが話の内容によって自在にコントロールされていた。約10分のスピーチだったがもっと聴きたいと思った。終わりよければ全てよしだ。父の挨拶一本で披露宴の余韻は極上なものになった。お開き後、これまた素晴らしい挨拶をしてくれた媒酌人が父に近づいて握手し抱擁していた。一世一代の挨拶だったのだと思う。

私は結婚披露宴の司会を23回やった。つまり新郎父挨拶を23回聴いたのだが、父の挨拶は群を抜いて最高の出来だったと断言していい。似た出来のものさえ無かった。今冷静になってビデオで観ても同じ感動が湧いてくる。

新婚旅行から戻り、媒酌人をつとめていただいた上司のところに挨拶に行くと、開口一番「お父さんの挨拶凄かったね」と言われた。「うまかった」ではなく「凄かった」と言われた。ご自身が人前で話し慣れている人なのだが、その誉め方は通り一遍のものではなかった。BGMを演奏してくれたオーケストラの仲間からも、「おまえが司会得意な理由が判った」と言われた。

昔からそういう父だった。

新郎父の心配事

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コメント

<ひふみ様

ご記憶の通りです。

この父の挨拶の後、大あわてで会場を移動して第四交響曲を弾きました。

11月25日は確か、結婚記念日でしたよね。
違っていたらごめんなさいですが。

二次会のブラームス4番の演奏は、今も忘れられません。

<魔女見習い様

ありがとうございます。

ホンの昔話でございます。

素晴らしいお父様ですね。
そして、アルトのパパさんも。。

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