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2007年11月26日 (月)

音楽監督

何らかの音楽系団体において、その団体の音楽的方針の決定権を有する者くらいの認識しか思いつかないが当たっているのだろうか。もちろんヒットエンドランや送りバントのサインを出したりはしないが、団体の性格によっては相当偉いということもある。

ブラームスは1872年のシーズンから3シーズンの間、伝統あるウイーン楽友協会の音楽監督に就任していた。このことは「相当たいしたモン」である。演奏会のプログラミング決定の最終責任者ということを意味する。

ブラームスの選曲は、これまた異例だったらしい。一言で申せば「渋い選曲」だ。4年間で演奏された交響曲はハイドンのハ長調と変ホ長調が各1度だけだ。交響曲といえば現代では演奏会プログラムの華である。オペラを別格とすれば4番打者みたいなものだ。それが4年間で2回とは驚きだ。案の定水面下でのブーイングは凄まじかったらしい。1875年春、辞任に至った原因の一つになったといわれている。

ブラームス自身の交響曲はまだ1曲も完成していないから仕方ないとして、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンといった面々の交響曲が全く取り上げられていないという徹底振りには、強固な意志さえ感じられる。リストの交響詩ならいざ知らず当事既に登場していた交響曲群を一顧だにしていない一方でベルリオーズの「イタリアのハロルド」が取り上げられていたりするから油断が出来ない。誰がヴィオラを弾いたのだろう。

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コメント

<魔女見習い様

そおなんですよ。

幻想交響曲ではなくて、イタリアのハロルドというのが、意表をついていますねぇ。

誰がヴィオラを弾いたのでしょうね?

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