3大Bの自覚
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3人をもって、「ドイツ三大B」と表現したのはハンス・フォン・ビューローだという。その後1世紀を経て、この言い回しが廃れずに残ったことからみて、それなりの説得力を伴う主張だと推定出来る。
アンカーのブラームスの登場までバッハとベートーヴェンの2人を「2大B」と一括していた形跡は無いから、ブラームスの出現こそが、この言い回しのキーになったと感じる。
肝心のブラームス本人が、この言い回しをどう考えていたかの資料は見当たらない。慎重居士のブラームスのことだから、積極的に同意のコメントを発したとは考えにくい。
ブラームスは1872年秋から1875年春までウイーン楽友協会音楽監督の地位にあったが、その最後のシーズンの選曲を調べていて興味深い事実を発見した。
- 1874年12月 6日 ベートーヴェン:ミサソレムニス
- 1875年 2月28日 ブラームス:ドイツレクイエム
- 1875年 3月23日 バッハ:マタイ受難曲
ご覧の通りだ。いわゆる3大Bを代表する宗教作品を1曲ずつ相次いで取り上げている。周知の通りバッハに交響曲は存在しない。また楽友協会音楽監督としては独奏ピアノ作品を取り上げるわけにも行かないから、この時点で3人が同じ土俵に上がるには大規模宗教曲しかない。これらが3人の代表的宗教曲であると断じてもどこからクレームは届くまい。しかも音楽監督辞任の直前に、畳み掛けるように集中している。何だかベートーベン、ブラームス、バッハというこの順番も奥ゆかしく見えるから不思議である。年代順に演奏して自らが大トリになることを避け、バッハに大トリを譲っているかのようだ。
さらにバッハを代表する宗教作品に「ロ短調ミサ」を持って来ないことにもある種の主張を感じる。「ロ短調ミサ」には集大成という側面はあるものの、バッハ生前に全曲演奏されていないという疑いがあることをブラームスは知っていたのではないだろうか。
ブラームスの脳裏に「3大B」めいた概念が無かったと言えるだろうか?
<ひふみ様
おおお。奇遇コレクターの私としては嬉しい話ですね。
投稿: アルトのパパ | 2007年11月28日 (水) 05時14分
以前、若杉弘さんが、いずれその時が来て、天国に行けるとなって、3曲だけ楽譜を持って来てもいいと言われたら、
バッハ「マタイ受難曲」、ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」を持参したい、と何かのインタビューで答えておりましたよ。
投稿: ひふみ | 2007年11月27日 (火) 23時23分