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2007年11月 6日 (火)

作曲の報酬

作曲家に限らず偉人と貧乏の話は半ばつきものである。

伝記という物はとかく主人公の偉さをアピールするものなので、「貧乏にも負けずに」という構図がどうもピッタリ来るらしい。お金持ちの家に生まれたメンデルスゾーンは例外だ。

ブラームスも貧乏な家に生まれたと記述されることが多い。生活のために10代前半から酒場でピアノを弾いていたとされている。

シューマンによるセンセーショナルな紹介をキッカケにブラームスのサクセスストーリーが始まったと考えてよい。ピアノも作曲も弟子をほとんどとらなかったブラームスはほぼ作曲だけで生活していた。偉くなった後もお金に執着していなかったのは多くの関係者の証言するところである。財産管理も友人任せで匿名の寄付も数多く行っていたという。

ブラームスの収入の源泉は作曲だ。作品の出版に伴って出版社からもたらされる報酬が大部分と考えて良い。1860年代、作品番号でいうと30番台までは1作200~300マルクで、ドイツレクイエムの成功によりそれが1500マルク前後に跳ね上がった。報酬額は最終的には交渉事なのだが出版社にとってはコストだから、無謀な譲歩をしたとは思えない。作品の価値が一定の仕組みによって金額に投影されていたことは確実である。ブラームスへの報酬や印刷コストを売上によって回収しなければならないのだ。作曲家の名声、曲の話題度や規模が綿密に織り込まれていたに決まっている。

じらしにじらした甲斐もあってか第1交響曲には15000マルクが支払われたという。出版社の支払い能力の上限に近い数字だという。数字は作品の規模によっても代わるが、続く3曲の交響曲も同等の金額だったらしい。出版社から見たブラームスの価値は終生揺らぐことはなかった。それどころか現在もなお微動だにしていないと見るべきだろう。楽譜ショップやCDショップの店頭を見れば明らかだ。

当時の通貨マルクを現在の円に換算する参考資料がある。音楽之友社から刊行されている「ブラームス回想録集」第2巻111ページに「1000マルク=約50万円」の記述がある。仮にこれを適用すれば、第1交響曲への報酬は750万円になる。これはおそらく原稿の手渡しとともに払われる原稿料あるいは作曲料という位置づけだろう。楽譜の売れ行きに比例して払われる印税は別カウントだったと思われる。

第1交響曲を皮切りに矢継ぎ早に大規模な管弦楽曲が生まれたが、独身のブラームスが質素な暮らしをするのであれば、おつりが来ると思われる。

高いのか安いのか判断に苦しむ。750万円は庶民には大金だが人類の遺産であると思えば断固安い。実は実質的な価値はもっと高かったと思われる証拠がある。この数字15000マルクは、出版社ジムロックの支払い可能な限界の額だという。ブラームスの作品の価値は別系統の、出版社の支払能力というリミッターが働いていた可能性が高い。

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コメント

<魔女見習い様

松坂投手よりはう~んとお安いようです。

MLBの松坂大輔投手を思い出してしまいました。

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