カンタータ第21番
BWV21を背負ったハ短調のカンタータのことだ。バッハ29歳でワイマール宮廷のコンサートマスターに就任した年の作品とされている。
教会カンタータには、目的がある。歌詞の内容から教会のどんな行事のための作品かが判るのだ。当時の教会の祝日はわかっているので、それらを総合すると初演を含む演奏日の見当がつく。そういう見方をするとこのカンタータは三位一体の祝日の第3日曜日のための作品である。フラット3個を要するハ短調となっていることは三位一体との関係を仄めかしているとも考えられる。1714年6月17日ワイマールにて初演されたことは確実らしい。
どうもバッハはこの作品を重要視していた形跡があるという。時を経て改訂を施しながら演奏を重ねて行ったのだ。最近の研究によれば、本作品の成立事情を物語るように、改訂の各段階を反映した稿が3種あるのだ。それらは古い順にワイマール版、ケーテン版、ライプチヒ版と呼ばれている。
時は下って1863年11月15日、つまり144年前の今日、伝統あるウイーンのジンクアカデミー主席指揮者に就任したブラームスのデビュー演奏会のメインとなったのが、このカンタータ21番ハ短調BWV21であった。
話は替わる。第一交響曲が作曲の最初の痕跡から完成まで21年の時間が経過したことは、有名である。一口に21年というけれどもただ漫然と経過したわけではない。1855年の着手から7年後の1862年夏に第1楽章が一応の完成を見ている。「Un poco sostenuto」の堂々たる序奏は無かったものの、14年後に完成した際の第一楽章と概略において一致していることはクララ・シューマンが証言している。そこから1874年まで第一交響曲の作曲が進んだ形跡が全くないのだ。
作曲家ブラームスにとって6月から9月の夏が、創作のかきいれ時だったことは、よく知られている。だから62年夏の第一楽章完成の次の夏が来る前にジンクアカデミーの指揮者に就任してしまったことは意外に重要だ。半年後のデビュー演奏会の準備にとりかかったことは確実だからだ。第一交響曲に割く時間がとりにくくなったと解し得る。
このカンタータ第21番は、演奏時間に約45分を要する大作だ。ソプラノ、アルト、テノールの独唱に混声四部合唱、そしてオーボエ、ファゴット、トランペット3、トロンボーン4、ティンパニ、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、通奏低音を要求する大編成となっている。これにクラリネットとホルンとコントラファゴットが加われば、第一交響曲の編成になる。アルト、テノールがそれぞれクラリネットとホルンに相当し、ソプラノは独奏ヴァイオリンだと想像するのは楽しい。
一方先に述べたように3種類の版が存在するから、指揮者としてそれらを評価して決定する作業もあったはずだ。何よりも不気味なのは、このカンタータが、他でもないハ短調だということだ。しかも終曲の第11曲ではハ長調に転じるのだ。こうした枠組みを観察すると、ハ短調の第1交響曲を構想中のブラームスにとって、このカンタータを指揮する経験がどれだけ有意義だったか察するに難くない。
かくして同年5月の就任から半年の準備期間をかけた満を持してのデビューは、玄人筋からの評価が高い。
オーボエの華麗なパッセージやヴァイオリンとオーボエのアンサブルは気のせいか第一交響曲に投影していそうな感じだ。また全曲の白眉第8曲で現れるソプラノとバスの二重唱は、独奏ヴァイオリンとホルンのからみを思わせる。
第一交響曲の肥やしにならぬハズがない。
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