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2007年12月 7日 (金)

ピアノとピアニシモ

もちろん「p」と「pp」のことだ。弱奏と最弱奏とでもいうのだと思う。ブラームスは当然これらが弾き分けられることを前提に楽譜上に配置している。

典型的な場所の一つが、インテルメッツォイ長調op118-2に存在する。Andante teneramenteと記された冒頭には「p」が置かれている。8小節後同じ旋律が確保されているところは「pp」にすり替わっている。冒頭との落差を聴かせる音楽になっている。実はこのインテルメッツォに挑もうという場合、この「pp」の鳴らし方が一つのヤマ場と言ってよい。聴き手を引き込むような深々とした「pp」で弾かれねばならない。

ブログ「ブラームスの辞書」上で再三引用しているトマス・シューマッカー先生の著書「ブラームス 性格作品」でもこの場所についての言及がある。実演奏上の注意の中でこの「pp」の重要性が仄めかされる。この「pp」を際立たせるために冒頭を強めに、「mp」で弾くべきとおっしゃっている。ダイナミクスの落差が大事という意味だろう。

シューマッカー先生にお言葉を返すようだが、賛成しかねる。ここの「pp」の聴かせ方が大切という点では全く同感で、冒頭の「p」を弱く弾き過ぎると困るという意図が理解出来なくもないが、その例えに用いられた「mp」は、ブラームス作品中において特異な位置づけにある言葉だ。「mpのつもりで弾け」という提案は、思慮に欠ける。「p」はあくまでも「p」のつもりで弾かれるべきだと思う。その後に「pp」を「pp」のつもりで弾くだけの事だ。「p」や「pp」を普段漫然と弾いているピアニストにとっては「mp」のつもりで弾かねばならないのかもしれないが、そうした怠慢のツケを「mp」に寄せてはなるまい。

言い換えると単に「pを弱過ぎるな」と言いたいがために「mp」をツールに使うなということだ。レッスンにおいても「mp」がこの手の使い方をされることは珍しくない。「ff」を際だたせるために、直前の「f」を「mf」でと要求するのと理屈は同じなのだが、ブラームスの「mp」の特異性が軽視されていると感じる。とりわけ肝に銘じておきたいのは「ブラームスはmpと書いていない」ということだ。「mp」として弾かれたいなら「mp」と書くはずだ。演奏の都合を優先した実務上の処置と混同して欲しくないものである。「pを弱過ぎるな」と言えば事足りる。「mpのつもりで」は余計だ。

Andante teneramente の冒頭はやっぱり「p」である。ブラームスが求めているのは「p」と「pp」の区別であって「pp」と「mp」の区別ではない。

世間様はどうあれ「僕の大事なmpを安易に使わないで」という感じである。ちょっとむきになった。

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